富之保村
日本の岐阜県武儀郡にあった村
富之保村(とみのほむら)は、かつて岐阜県武儀郡にあった村である。
とみのほむら 富之保村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
合併 中之保村、富之保村、下之保村 → 武儀村 |
現在の自治体 | 関市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 武儀郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 24.12 km2. |
総人口 |
2,586人 (1955年) |
富之保村役場 | |
所在地 | 岐阜県武儀郡富之保村岩2734-4 |
座標 | 北緯35度35分04秒 東経137度00分44秒 / 北緯35.58456度 東経137.01219度座標: 北緯35度35分04秒 東経137度00分44秒 / 北緯35.58456度 東経137.01219度 |
ウィキプロジェクト |
合併で武儀村(1971年に町制施行し、武儀町)となり、現在は関市の一部である。
津保川およびその支流沿いの谷間の村であった。
歴史
編集- 江戸時代末期、この地域は尾張藩領、寺社領であった。
- 明治時代初期、岩山崎村、祖父川村、大洞村、粟野村、町村、武儀倉村、雁曽礼村、宮脇村、川合村、船山村、明ケ島村、行合村、鳥屋市村、が合併し、上之保村となる。旧・岩山崎村、祖父川村、大洞村、粟野村、町村、武儀倉村、雁曽礼村を「下村」、旧・宮脇村、川合村、船山村、明ケ島村、行合村、鳥屋市村を「上村」と称し、上村と下村を合わせて上之保村としていたという。
- 1874年(明治7年) - 上之保村(下村)[1]と水成山村が合併し、富之保村となる。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制により富之保村が発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 中之保村、下之保村と合併し武儀村となる。
教育
編集- 富之保村立富之保小学校 (2003年に中之保小学校と統合し、武儀東小学校。2021年に統合により関市立武儀小学校。)
- 富之保立富之保中学校 (1968年に下之保中学校、中之保中学校と統合。武儀中学校。2016年に統合により関市立津保川中学校)