吉積文平
日本の実業家、政治家
吉積 文平(よしずみ ぶんぺい、1891年(明治24年)8月25日 - 1980年(昭和55年)11月3日)は、日本の実業家、政治家。徳島市長。現徳島県徳島市出身。旧名・朝日福助[1]。
吉積文平 よしずみ ぶんぺい | |
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生年月日 | 1891年8月25日 |
出生地 | 徳島県上勝町 |
没年月日 | 1980年11月3日(89歳没) |
前職 | 徳島市長 |
第17代 徳島市長 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1945年5月8日 - 1946年11月14日 |
経歴
編集名東郡加茂村今切(現:徳島市春日町)で、朝日兵吉の二男として生まれる[1]。1913年、徳島市北佐古町(現佐古三番町)の吉積家の養子となり文平と改名[1]。徳島県飼糧畜産及び旭精毅工業の社長を歴任[2]。
徳島市会議長を務め[1]、1945年、徳島市長に就任し、1946年まで1期を務めた[2]。他にも徳島県信用保証協会長、徳島県中小企業協同組合中央会長、徳島市社会福祉協議会長、徳島県精麦工業協同組合理事長などを歴任[1][2]。
脚注
編集参考文献
編集- 『徳島人物事典 1969』四国ニュース、1969年。
- 『徳島県歴史人物鑑』徳島新聞社、1994年。
公職 | ||
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先代 森六郎 |
徳島市長 第17代:1945 - 1946 |
次代 妹尾芳太郎 |