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北条 政頼(ほうじょう まさより)は、鎌倉時代中期の北条氏の一門。第5代執権北条時頼の子で、第8代執権・北条時宗の弟に当たる。通称は六郎(ろくろう)。生没年や生母に関しては不明。『吾妻鏡』では2回だけ登場する[1]。1266年、宗尊親王北条政村の屋敷から御所へ移る際、伊賀朝房と共に馬の牽引を担当した他、同年将軍が京都へ帰還する際、供奉人として付き従ったことが記述される[2]

 
北条政頼
時代 鎌倉時代中期
生誕 不明
死没 弘長元年(1261年)
改名 政頼
別名 六郎(通称)
幕府 鎌倉幕府
氏族 北条氏得宗
父母 父:北条時頼、母:不明
兄弟 時輔、時宗、宗政宗時政頼宗頼時厳、女子(早世)
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『吾妻鏡』に登場する「六郎政頼」は、政村の子にも同名の人物がおり、こちらではないかという推測もある[2]。さらには時頼の子であるという確証がなく、本当に時頼の子の政頼であるのか判然としないと指摘し、その実在を疑問視する見解もある[3]。父によって領地である信濃国良田郷に地頭として派遣され、弘長元年(1261年)に同地で没したとの説がある。

脚注

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  1. ^ 高橋慎一朗『北条時頼』吉川弘文館人物叢書〉、2013年、224頁。 
  2. ^ a b 北条氏研究会 編『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社、331頁。ISBN 4-404-02908-X 
  3. ^ 細川重男『北条氏と鎌倉幕府』〈講談社選書メチエ〉2011年、109頁。