加藤久幹
加藤 久幹(かとう ひさもと[1][2] / ひさとし[3]、1904年(明治37年)12月8日[1] - 1976年(昭和51年)11月21日[3][注 1])は、日本の洋画家、華族。光風会会員[2][3][4]。旧名・島津 久幹。
経歴
編集鹿児島県出身[3]。重富島津家(薩摩島津氏の主要分家)の[2][4]男爵・島津壮之助の二男として生まれる[1]。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)で大牟礼南島に[4]、東京美術学校(現:東京芸術大学)西洋画科で藤島武二に師事[2][4]。1928年に東京美術学校を卒業[3]。加藤子爵家(元近江水口藩主家、加藤嘉明系)の加藤克明の婿養子となる[1][4]。
1957年、光風会会員となる[2]。橋口康雄(橋口五葉の甥)や山口長男の上杜会に加わったことや、猪熊弦一郎と三春会をつくったこともある[4]。また、成蹊学園の教授・高校教員を務めた[4]。72歳で逝去[3]。
親族
編集関連項目
編集外部リンク
編集- かごしまデジタルミュージアム「テラス」(加藤久幹) - 1949年の作品