洪震
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洪震/洪鎮 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 홍진 |
漢字: | 洪震/洪鎭 |
発音: | ホン・ジン |
日本語読み: | こう・しん |
ローマ字: | Hong Jin |
洪震/洪鎮(ホン・ジン、1877年旧暦8月27日 – 1946年9月9日)は、大韓民国の独立運動家。1926年7月から同年12月まで第5代大韓民国臨時政府大統領を務めた。本貫は豊山洪氏。
経歴
[編集]- 1877年8月27日 – 漢城西小門にある両班の家庭の次男として生まれる。本名は冕熹(ミョニ、면희)、幼名は鳳根(ボングン、봉근)および又鳳(ウボン、우봉)。
- 1896年 - 南相福と結婚。
- 1903年2月 – 法官養成所に入学。
- 1904年7月21日 – 同所を卒業。
- 7月26日 - 法官養成所博士に任命されたが、二日後に免職される。
- 1906年2月 - 漢城平理院主事。
- 1908年5月14日 - 義兵事件の論告を拒否し、免職処分となる。
- 1909年7月14日 – 平壌地方裁判所検事局に弁護士登録し、平壌で開業。
- 1919年3月 – 三・一独立運動の発生に伴い、忠清北道清州郡の連絡責任者となる。
- 1920年3月19日 - 臨時議政院常任委員会第4分科委員。
- 3月30日 - 臨時議政院政務調査特別委員会委員。
- 1921年4月6日 - 臨時議政院全員委員長に当選。
- 1922年4月3日 - 太平洋会議に対する責任で国務院が総辞職したことに伴い、臨時議政院議長を免職される。
- 1924年5月 - 臨時議政院内で改憲問題が紛糾したことに伴い、臨時政府内の職を離任し、江蘇省鎮江市にて隠居する。
- 1926年7月7日 - 臨時議政院にて大統領に選出され、翌日就任。氏名を洪震に改名。
- 1930年7月26日 – 韓国独立党を創党、中央委員長に選出。
- 1934年2月25日 – 南京で申翼煕の韓国革命党と統合し、新韓独立党を創党、中央委員長に選出。
- 1935年7月5日 - 独立系列単一政党である民族革命党を創党、中央検事委員となる。
- 1937年8月17日 - 美洲地域6個団体を参加させた、韓国光複運動団体連合会を結成。
- 1939年10月15日 - 臨時議政院忠清道委員に選出。
- 1940年5月9日 – 韓国独立党を創党、中央執行委員に選出。
- 10月8日 - 臨時政府顧問を推戴。
- 1942年10月26日 - 臨時議政院議長に選出(第3次)。
- 1943年10月9日 - 第35次臨時議政院開催、国務委員の選出方法に関して与野党が対立。
- 1944年1月3日 - 国務委員選出方式のための投票で与野党が同数になると、議長であったにもかかわらず、野党側が主張した無記名投票法に賛成。これに伴い、崔東旿副議長とともに韓国独立党を離党。
- 1945年2月9日 – 新韓民主党を創党、柳東説や金朋濬とともに主席団に選出。
- 1946年2月1日 – 明洞聖堂にて非常国民会議創立大会を開催、議長に選出される。
- 1984年12月15日 – ソウルの国立墓地に移葬される。
- 1994年10月6日 – 国立墓地内の臨時政府要人墓域である臨政随伴墓所に移葬される。