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自分が去った100年後にも、映画を残せるように。アーカイブコーディネーター・藤原理子|エンドロールはきらめいて 〜えいがをつくるひと〜 #16

CULTURE 2024.12.30

毎回1人ずつ、映画と生きるプロフェッショナルにインタビューしていくこのコーナー。

今回のゲストは、日本で唯一フィルム現像所の機能を持つ会社・IMAGICAエンタテインメントメディアサービス(Imagica EMS)でフィルムの修復や現像に関わる仕事を続けてきた藤原理子さん。藤原さんが映画やフィルムに興味を持つまでのいきさつや、国際映画祭でも高く評価された映画復元技術のお話、「アーカイブコーディネーター」という肩書きに込めた思いなどを伺いました。

ケーブルテレビをきっかけに、のめり込んだドイツ映画

――まず、映画に興味を持ち始めたきっかけを教えてください。

私は兵庫にあるニュータウンの、歩いて行ける範囲に文化的なものがあまりない環境で育ったので、家でずっとケーブルテレビを見るか、古本屋でマンガを立ち読みするかの生活をしていて。

16歳の時、ケーブルテレビで偶然ファスビンダー(編註:ドイツの映画監督)の映画に出会いました。確か放送されていたのは『マリア・ブラウンの結婚』(1979年)で、本当の悲しみ、本当の孤独のようなものが描かれていることにびっくりして、映画に興味を持つようになりました。


現在全国を巡回中の特集上映『ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー傑作選』予告編

――ファスビンダーの映画は、それまで観ていた映画とどんなふうに違ったのでしょう。

ある個人を通して社会全体が描かれているような気がしました。歴史の中の個人というか、それがすごく面白かったんだと思います。カットがどうとか、そういった話も大事ですが、私は映画と社会の関わり方に興味があります。

ファスビンダーの映画がきっかけで、大学ではドイツ語学科に進学しました。上京してからは、バイトと学校以外の時間を全部映画館に使うような生活で、当時はまだ営業していた三軒茶屋中央劇場や新橋文化劇場、オーディトリウム渋谷や、大学から近いアテネ・フランセに通って、さまざまな映画に興味を持つようになりました。昔の映画がフィルムで上映されているのも、上京してから初めて観ましたね。

――東京でしか観られない映画は意外と沢山ありますよね。

まず名画座の存在も知らなかったですし、私が学生の頃は、料金もまだ二本立てで800円程度だったので、自転車で映画館に通えば、お金がなくても映画館にずっといる、というような生活ができました。

100年後までフィルムを残すプロの仕事

――大学卒業後は、どうしてフィルムにまつわる仕事についたのでしょう。

在学中、ドイツ映画の自主上映会を開いた時に、古い映画について問い合わせると、フィルムの上映素材しかありませんと言われることが多かったんです。それだと映画館以外の、設備が限られた会場では上映することができないので、それならデジタル化して、みんなで観られるようになれば良いなと考えていました。

それでフィルムのデジタル化について調べていたら、今働いている会社が新卒採用をしていることを知りました。HPに松本俊夫の『銀輪』という自転車のプロモーション映画のフィルム修復工程が紹介されていたことにも惹かれましたし、入社後、Imagica EMSはケーブルテレビの「洋画☆シネフィル・イマジカ」というチャンネルでファスビンダーを放送していた会社だったことにも気がついたんです!

――16歳の時の原経験が今の仕事に繋がっているんですね。普段はどんな仕事をしているのでしょうか?

普段やっている仕事は大きく2つあります。1つ目は古い映画やメディアを修復したりデジタル化したりして、フィルムやテープに入っている古い映画を劇場や配信サービスでも上映できるように変換をする仕事です。

もう1つは新しく撮影されたフィルムの現像です。最近だと三宅唱監督の映画など、フィルムで撮影された新作を現像してスキャンする仕事をしています。今、日本にあるフィルムの現像所はImagica EMSだけなので、だからこそ使える薬品や機材があって、それが古いフィルムを守ることにも繋がっています。


スーパー16mmフィルムで撮影された三宅唱監督の映画『夜明けのすべて』(2024年)予告編

ほかにフィルムやフィルムを置いている倉庫の健康診断もしていて、私はそれらの業務全般にコーディネート役として関わっています。

――フィルムを修復したり現像したりする人が各ポジションにいて、それらの工程がうまく回るようにディレクションしているようなイメージですか?

はい、現場のプロフェッショナルたちが最大限の力を発揮できるように、状況を整えるのが私の仕事です。スケジュールを整理したり、一緒にクオリティの確認をしたり、監督やキャメラマンがまだご存命なら監修者としてアテンドをします。お金の計算もしますし、さまざまな企業に「古い視聴覚資料はありませんか」「デジタル化しませんか」と営業をかけることもありますね。

それから、記録を残すことも大切な仕事です。例えば、撮影時のカメラゴミが映っていた時に、これは撮影時にもあったもので、当時の観客も観ていたものだから消さないと判断することもあれば、視聴感上気になるから消す、と判断することもあります。そうした時に、どういう取捨選択をしたか、どういう経緯で修復されたのかを、私が死んでも映画がちゃんと残るように、全て記録に残すようにしています。

――ものすごく広範囲で、とても大切な仕事ですね。肩書きとしてはどんな名前になるのでしょう。

名刺には、アーカイブコーディネーターと書いています。端的に「修復コーディネーター」と書くこともできますが、「アーカイブ」という言葉が入ることで、フィルムやデータを100年後に残すといった意味合いも含まれるかなと思っています。

世界の舞台で評価されたフィルムの修復技術

――1本のフィルムに対して、だいたい何人ぐらいの人で作業を進めていくのでしょうか。

少なくとも15人、多い時は30人ぐらいでそれぞれの工程を分業して進めていきます。まずフィルムが入ってきたら、全部を手でチェックする人がいます。フィルムが汚いと良いスキャンができないので、油汚れやシミ、結晶やカビは取り除ける範囲で除去していき、物理的に切れているところがあれば修復したり繋ぎ目を補強して、一番良い状態にします。

スキャンの工程では、専用の大きいスキャナーをPCで操作しながら、フィルムを1枚1枚の画像に変換する人がいます。同じフィルムでもデイライト用のネガ、暗いところでの撮影に特化したネガ、合成カットがあるネガなどそれぞれタイプが違うので、それらを見極めながら作業を進めます。また映像とは別に音のデータもスキャンしていきます。

その後デジタル修復の作業に移り、物理的なクリーニングで取り除けなかったフィルムについている傷やゴミをデジタルで除去していきます。それが終わると、褪色したフィルムを制作者の意図した色に戻していくカラーグレーディングの作業があり、最後に元データから劇場で上映できるDCPという素材を作ったり、保管用のメディアに収録したりする納品物作成の作業があります。

――それだけの作業を一本一本のフィルムに対して行なっていくにはスケジュール管理も大変そうですね。

半年くらいかけて作業する大きな作品もあれば、1日2日で終わる作業もあって、スケジュール管理が難しいのですが、作品をたくさん預けていただけるということは、それだけフィルムが助かっているということなので嬉しいです。

――2年前には、Imagica EMSさんが修復を担当した鈴木清順監督の『殺しの烙印』(1967年)が、アジア映画として初めて「ヴェネツィア国際映画祭」の最優秀復元映画賞を受賞したニュースもありましたよね。


『殺しの烙印』予告編。修復作業には半年弱の時間をかけたという

『殺しの烙印』は日活株式会社さんからご依頼いただいた修復プロジェクトなのですが、私が書いた修復レポートを、日活さんのほうで準備されていた作品資料に入れ込んで、映画祭の会場で配ってくださるという出来事がありました。

修復を担当したフィルムについては1本ずつ、こういうふうに修復しました、こういったモニターの設定でデータを見てほしいですといったことを毎回レポートとして残しているのですが、それを観客の人にも読んでもらったらどうかと思いついて、日活さんが映画祭に行かれる3日前に英訳したデータをメールで送って相談したんです。そうしたらそれを300部ぐらい、すごく良い紙に印刷して配ってくださって! 普段レポートが人の目に触れることはないので、すごく嬉しかったです。

歴史の中の一人として、フィルムという生き物に向き合う

――これまでに担当した作品の中で、印象的だった作品はありますか?

担当した作品はどれも楽しかったのですが、その中でも特に田中絹代さんの監督作品は思い出深いです。まず「カンヌ国際映画祭」のクラシック部門で『月は上りぬ』(1955年)のデジタル修復版が上映され、その後、同じフランスの「リュミエール映画祭」で、田中監督の他作品が上映されたのですが、どちらも大盛況だったと聞いています!

また、海外での高評価を受け「東京国際映画祭」でもレトロスペクティブが行われました。レストアされることで、田中絹代さんの監督としての才能が世界的に発見されるムーブメントに繋がったところもあって良かったと思います。


「東京国際映画祭」で開催された田中絹代に関するトークイベントの様子。デジタル復元版が紹介されて以降「女性監督のパイオニア」として再評価が高まり、世界各国で特集上映が組まれた

――世代的に、フィルムを見たり触ったりする経験が多くあったわけではないのではと想像しますが、専門的な知識はどうやって身につけたのでしょう。

会社の先輩たちに教わったり、OBが監修者として来てくれた時に当時の話を聞いたりしています。今はデジタルの仕事をしている人でも、みんなフィルムが大好きだから沢山のことを教えてくれるんです。

――そんなにも人々を魅了するフィルムの魅力はどこにあると思いますか?

フィルムって、重たくて、物量があって、質量があって、そこに存在する感じ、生きている感じがするんです。しかも、フィルムは100年以上規格が変わっていないので、モノがあれば100年前のものでも何が映っているのか、中身を確認することができる。私はフィルムのそういうところが好きです。

それに、フィルムは作られた年が10年違うだけでものすごい技術革新が起こっていたりして。「カラー映画を作りたい」「もっと美しく/現実に近い色味を表現したい」「音をつけたい」という技術者たちの想いの強さや、フィルムの歴史自体もすごく面白いなと思います。

――最初にファスビンダー映画について話していた「歴史の中の1人」という言葉とも通じる部分がありますね。フィルムやその修復に興味を持った場合は、どんなふうに知識を蓄えるのが良いと思いますか。

フィルム修復をしている会社や映画アーカイブのような場所で働くという選択肢もありますし、日本映像アーキビスト協会のイベントなど、一般に開かれたイベントに足を運んでみるのも良いかもしれないです。

世界には専門知識を学べる学校も沢山あって、アメリカやドイツにもありますし、アジアでは台湾の「台南藝術大学」という学校が専門コースを設けています。イタリアではイマジネ・リトロバータがサマースクールを開催していて、数ヶ月通えば基礎的なことは学べるみたいです。

日本だけでなく世界中の仲間と意見交換ができたり、過去に偉大な仕事をしてきた人たちとも繋がっている感覚を持てたりすることが、この仕事の最高なところだと思います!

text_Kimi Idonuma edit_Wakaba Nakazato

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