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「ミニ・ゲッベルスはいたるところにいる」 映画「ゲッベルスと私」監督に聞く、ナチスの時代と現代の類似

シネマニア・リポート 更新日: 公開日:
インタビューに答える『ゲッベルスと私』のクリスティアン・クレーネス監督(左)とフロリアン・ヴァイゲンザマー監督 Photo: Ikenaga Makiko

ナチス前夜と現代は、似ている――。ナチス・ドイツの宣伝相ゲッベルスの秘書だった女性にインタビューしたオーストリアの監督は、そう確信した。元秘書が103歳にして事実上初めて当時を振り返った16日公開の『ゲッベルスと私』(原題: Ein deutsches Leben/英題: A German Life)は、かつてナチス・ドイツに併合されたオーストリアの監督らが4人がかりでインタビューしたドキュメンタリーだ。オーストリアはナチスの流れを組む極右・排外主義政党が政権入りしたばかり。監督2人にインタビューした。

『ゲッベルスと私』は、1942年からドイツ敗戦までゲッベルスの秘書を務めた、1911年生まれのブルンヒルデ・ポムゼルの貴重な独白をつづる。未公開を含むアーカイブ映像を、彼女が語った年代に合わせて織り込むことで、ナチスのナンバー2のそばにいながら「知らなかった」とする彼女の主張と、ユダヤ人迫害やホロコーストが吹き荒れた現実との乖離を際立たせてゆく。

『ゲッベルスと私』より、独白するゲッベルスの元秘書ブルンヒルデ・ポムゼル ©2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

今作は、ジャーナリストとして長年活動を続けるフロリアン・ヴァイゲンザマー監督(45)が別の取材でたまたまポムゼルに会ったのがきっかけだという。彼女の「すごい記憶力」に感銘を受けたヴァイゲンザマー監督は、製作会社を率いるクリスティアン・クレーネス監督(56)に電話で知らせ、映画化へと動いた。「ナチス政権を間近で目撃した証人がなお存命だなんて、信じられない思いだった。彼女のような証言者に出会ったならば、物語にする責任がある」とクレーネス監督は語る。

 とはいえポムゼルはすぐには首を縦に振らなかった。何年も前、メディアに扇情的に取り上げられたこともあって、彼女はもうメディアには話さないと決めていた。「説得は大変だったが、彼女の年齢的に、そう多くの時間は残されていなかった。最終的に、映画の中で彼女に意見をしたり論評を加えたりしないという約束で実現した」とクレーネス監督。そうして16日間にわたり、30時間以上かけて撮影した。 

『ゲッベルスと私』より、独白するゲッベルスの元秘書ブルンヒルデ・ポムゼル ©2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

その分、彼女の言い分をそのまま流すことにならないよう、アーカイブ映像を対比させた。クレーネス監督は「映画の冒頭、観客は彼女を好ましく思うだろう。でも中盤、ちょっと確信が持てなくなる。最後には、彼女に対する自分なりの答えを見いださなければならないと感じるだろう」と解説する。

『ゲッベルスと私』のクリスティアン・クレーネス監督 Photo: Ikenaga Makiko

「知らなかった」「私に罪はない」

 彼女は映画の中で、ホロコーストの悲劇について「知らなかった」「私に罪があったと思わない」と強調する。

 ヴァイゲンザマー監督は語る。「彼女が語ったのは、彼女にとっての『事実』。記憶を選びとっているのだと思う。彼女はもろもろ背負って生きてくために、戦後、記憶を組み立てなければならなかった。忘却することで身を守り、次第にそれ自体が記憶になっていった」

『ゲッベルスと私』より ©2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

もっとも、彼女の独白だけ聞いても、ややつじつまが合わない部分は出てくる。「つまり彼女はかなり早くから知っていた。ただ目を背けて気づかないふりをしただけで、道義的には罪があった。何もせず、ナチス支配を支持した無数のドイツ人やオーストリア人の象徴だ」

 当時ナチス政権下にいた人たちの常として、ポムゼルも「逆らうことなどできなかった」と主張した。「確かに、恐れず抵抗できるような人はごく限られていると思う。大多数の人は確実に、彼女と同じようなことをするだろう」とクレーネス監督。だがヴァイゲンザマー監督は「とはいえ、いつの時点で考えるかの問題だと思う。確かに彼女が言う通り、政権後期になると時すでに遅しで、物申すのは命がけだった。でもその10年ほど前なら多くのことができた。なのに彼女も、他の多くの人たちもそうしなかった。今の私たちは日々、自分たちの振る舞いや道義性について注意していかなければならない。政府はある時点で急に厳しくなる。そうなったら遅い」

『ゲッベルスと私』のフロリアン・ヴァイゲンザマー監督 Photo: Ikenaga Makiko

歴史を受け止める国、語らない国

今回インタビューした監督2人はいずれも、1938年にナチス・ドイツに併合されたオーストリアのウィーン出身・在住だ。クレーネス監督は言う。「私たちは第2次大戦もホロコーストも含め、ドイツの歴史を共有している。ところがオーストリアは今日まで、自分たちはナチスの第一の犠牲者だと思っている。それは違う」

 実際、例えばアカデミー賞5冠の米映画『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)は、併合後のオーストリアが国を挙げてナチス色に染まり、反ナチスの人々を追い立てた状況を描いているが、米紙ニューヨーク・タイムズによると、舞台となったオーストリアでは当時、劇場公開されていない。

 ヴァイゲンザマー監督は言う。「オーストリアはナチスを喜んで受け入れたし、ドイツ同様、きわめて多くのナチ党員がいた。私たちも第三帝国の一部だったということだ。でもオーストリアはそれを語りたがらず、秘密にしてきた。ドイツは非常に開かれた議論と調査をし、痛みとともに当時をさらけ出してきたが、オーストリアはそうしたことを決してせず、自分たちは第一の犠牲者だという考えの陰になお隠れている」 

『ゲッベルスと私』より ©2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

オーストリアでは昨年12月、反移民・難民や自国第一主義を掲げる国民党党首セバスティアン・クルツ(31)が世界最年少で首相に就任。さらに、ナチスの流れをくむ自由党までもが連立政権に加わった。極右政党の政権入りは西欧で唯一だ。オーストリアで今、何が起きているのか。

 クレーネス監督は「私にもわからないよ」と苦笑しつつ語った。「この映画を撮り終えたら欧州は変わっていた。過去と現在とが似てきたんだ。今作は当初は、20世紀の陰の歴史を振り返る作品になると思っていたが、とてもタイムリーなものになったのだと気づいた」

 だからこそ、ナチス前身のドイツ労働者党が創設された1919年から終戦までの約26年間に焦点を当てた意義があるという。 

インタビューに答える『ゲッベルスと私』のクリスティアン・クレーネス監督(左)とフロリアン・ヴァイゲンザマー監督 Photo: Ikenaga Makiko

ヴァイゲンザマー監督は「ヒトラーは、ユダヤ人がドイツ人からすべてを奪うという幻想を作り上げ、人々を恐れさせた。クルツ首相は同じことをして選挙を戦った。『難民が何もかも奪ってしまう、だから自分が守る』と。ポピュリスト以外の何者でもない。こうした嘘で権力をつかむのはたやすいことだ」と語る。

 監督たちは今作の製作に際し、ゲッベルスの日記や文献、映像を研究。そうして「ゲッベルスは初期のポピュリストのひとりだ」(クレーネス監督)と痛感したという。「ゲッベルスを駆り立てたのは政治的な考えではなく、非常に強い虚栄心から権力を欲しただけだった。彼もそれを自覚していたことがセリフからもわかる。彼は天才的に、どうすれば人心やメディアを操り、どうやって映画を活用できるか知っていた。彼の演説は恐ろしい。それが欧州で今また登場している。声の大きい人が強い権力を持つ。それだけだ」とヴァイゲンザマー監督は言う。

新たな「ゲッベルス」の登場に備えよ

 世界は今後も、新たな「ゲッベルス」の登場に備えなければならないということだろうか。そう投げかけると、ヴァイゲンザマー監督は「オーストリアの内相がすでにそうだ」と語った。英BBCなどによると、ナチスの系譜をくむ極右・自由党のキックル内相は今年1月、難民申請者を1カ所に収容すべきだと主張し、「まるでナチスの物言いだ」と物議を醸した。「ミニ・ゲッベルスは世界中、至るところにいる。これからもずっとそうだ。私たちは民主主義や自由社会を注意深く守っていかなければならない。非常にもろいものだからね」とヴァイゲンザマー監督は強調した。

 そうした警鐘を踏まえ、昨年死去したポムゼルがクレーネス監督に電話で伝えた言葉を記してこの記事を締めくくりたい。「トランプ米大統領が演説しているのをテレビで見たら、昔を思い出しましたよ」