建築家・隈研吾は数々の名声を轟かせる一方で、その仕事に実害を受けた人や眉をひそめる専門家は多い。那須の美術館で起きたトラブルを機に、全国各地で問題が火を噴きそうな事態となっている。それに対し、隈氏本人はどう弁明するのか。
前編記事『隈研吾の建築が「青カビと腐食でボロボロ」「建築家の仕事とは思えない」…!地元住民も首をかしげる名建築家の「致命的なトラブル」』より続く。
隈研吾氏の回答は……
こうした専門家の指摘や馬頭広重美術館で起きている問題に、隈氏本人はどう考えているのか。本誌が質問すると、書面でこう回答した。
「欧米においても、木材の利用でメンテナンスの費用はアップするが、木材にはそれ以上の環境的、経済的効果があるとして、さらに木材振興が進んでいます。(編集部注‥開館から)20年経過した時点から、劣化にどう対応できるかを町と議論していましたが、取り換えの方針を確定するのに時間がかかり、木材の一部で劣化が進んでしまいみなさんに御心配をかけてしまいました。(スギを外部に使用したことについて)地元の林業の振興という点を考えても杉材が最も適切だと考えました」
実は馬頭広重美術館は、隈氏にとっての出世作だ。隈建築の特徴である木製ルーバー(格子)が初めて高い評価を受けたのが、この美術館だった。
'64年、横浜の“ボロい家”に育った隈氏は、10歳で建築家・丹下健三の設計した建物に目を剥き建築家を志したという。'90年代は建築家の間でも評価が低かった隈氏だが、広重の描く雨の線が細く美しいことに着想を得て、屋根まですべて細い木材で美術館をつくったところ評判を呼んだ。この成功を機に「木の匠」として持て囃されていく。その後はほとんどの代表作に、馬頭広重美術館に見られるような木製ルーバーを施している。