日本とは、いまだ謎に満ちた国である。問題も山積している。
そんな日本で生きていくために、さまざまな謎や論点を正しく捉え、私たちが当然だと考えている常識や固定観念をときほぐし、問いなおすことが必要である。
例えば、日本人が大好きな「ハーバード式教育」というのは、一体どれほどの妥当性を持つのだろうか。なぜ日本には「シリコンバレー式教育」が根付いていないのか。
(※本稿は現代ビジネス編『日本の死角』を一部再編集の上、紹介しています)
「ハーバード式教育」ができない理由
ある社会が教育にどれだけ資金を割けるかは、いくつかの要因が絡み合って決定されるが、もっとも単純な図式では、その社会の豊かさ(GDP)×その社会の政府の大きさ(税率)×その社会の政府の教育性向(政府支出に占める教育支出の割合)によって決定される。
日本がハーバード大学やシリコンバレーで見た教育政策をそのまま導入するのが難しい理由の一つはこの利用可能な教育資源の量にある。
税負担率については、2023年のIndex of Economic Freedomを見ると日米の差は10%程度であるが、政府の教育性向については、World Development Indicatorsを見ると米国は日本の1.7倍ほど高い教育性向を持っている。
確かに、日本は少子化が急激な勢いで進んでいるので、それが教育性向に反映されているだけかもしれない。
しかし、若年従属人口指数という、生産年齢人口に対してどれくらい若年人口(15歳未満)がいるかで表される、働き手でどれくらい子供たちを支えなければならないかを意味する指標があるが、日本が20%程度なのに対し、米国も28%程度しかないため、少子高齢化だけでは教育性向の違いを説明しきれない。
しかし、何よりも決定的に違うのは豊かさである。日本の世帯所得の中央値は約3万4000ドルであるが、これは全米で最も貧しい州であるミシシッピよりも1万ドル以上も低い。
実際にWorld Development Indicatorsのデータに基づき日米比較をしてみると、小学生一人当たりの公教育支出も、日本が8500ドル程度なのに対し、米国は1万1500ドル程度と30%以上も多い。
さらに、米国は州ごとの貧富の格差が大きく、ハーバード大学のあるマサチューセッツ州、シリコンバレーのあるカリフォルニア州の世帯所得の中央値はそれぞれ約8万6000ドル、約8万ドルもあるため、これらの州の小学生一人当たりの公教育支出は全米平均よりもかなり高い値になっていることが予想される。
さらに、州内での巨大な経済格差を考慮すれば、日本人がハーバード大学やシリコンバレーで見るような米国の公教育というのは、日本が模倣してスケールアップするには、高価すぎる商品なのである。