共感の「大切さと限界」を知る
御田寺 今日この対談で重要なのは、フェミニストのハヤカワさんと、ネットのフェミニスト界隈からは「アンチフェミニストの代表のひとり」とされる私が、同じような危機感を持つくらいには「今のネットの状況はまずい」と考えていることだと思います。
「人間は共感が高まったときほど分析的思考が弱くなる」という研究があります。残念ながら私たちは生来、共感と論理を両立させるのが苦手な生き物なので、そこをわきまえることが、ネットやSNSとの上手な付き合い方のカギかもしれません。
ハヤカワ 感情が先走って論理的思考やファクトチェックがおろそかになる例は、オピニオンリーダーになっているような著名な方でさえよく見ます。
ただしそれには理由があると思います。というのも、社会運動などではまずは感情を表面に出し声を上げて、世の中に問題を認知してもらう段階があって、その次に解決法を考えたり仕組み化する段階があるからです。御田寺さんが言うような「共感と論理を両立させる」意識が必要なのは、どちらかというと後者の、仕組み化する時とかソリューションを考える時なんじゃないかと思うんです。
当事者たちの問題がいまどのフェーズにあるかの認識がすれ違っていて、例えば御田寺さんがフェミニストの「ネガティブな共感」に対して「女性の地位に関しては、もう十分に社会問題化してるじゃん」と感じていても、感情的に声を上げている側の人は、まだ不十分だと考えている可能性もあるんじゃないでしょうか。
御田寺 たしかに、主観的な苦しみを訴えている人に対して「あなたの主張は客観的には矛盾している」などと批判したところで、「そうか、間違っていましたか」とはならないし、むしろかえって反発を生むでしょうね。
ハヤカワ 私はどちらかというと、男女どちらも性別でレッテルを貼られないような仕組みづくりや、50年後100年後によりよい社会を作るには何をすればいいか、といったことにより関心があるのですが、それは目の前の問題に苦しんでいる人から見れば、いまある不平等や不公正を解決するのが先でしょ?となる。フェミニズムの中にさえ、そういうフェーズの違いはありますから。
いまの世の中でさえ、声を上げられない人は本当に多いですから。だから、まずは私にもひとこと言わせてほしい、その後でロジックに行ってくれ、という気持ちを持っている人も多いかもしれないということは、想像しておきたいところです。
御田寺 声を上げづらい人も発信できる、実社会ではかき消されるくらいの小さな声を拾えるというのは、政治的な文脈を抜きにして、とても大事なことだと思います。それがインターネットの本来の良さだったはずですし。ですが、それを加害者/被害者の分断や闘争に結びつけず、どうしたら建設的なほうに導けるのか……。
立場が違うハヤカワさんに今日一番お聞きしたかったのはこのことです。意見が対立する相手を反射的に「敵」とか「悪」と考えてしまうことをやめるための筋道はあるのでしょうか。