[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/


日本で「ベーシックインカム」導入は果たして可能なのか

賛否が真っ二つに分かれるが…
山森 亮 プロフィール

税を財源とするベーシックインカムの提案で、それほどの増税をしなくてもベーシックインカムの導入は可能だという議論がたまにある。

フィンランドのように貧困基準以下で生活している人への福祉制度がある程度整っている国では、既存の制度の合理化で、実質増税は避けながら(税額はあがってもその分ベーシックインカムで戻って来る形で)導入することも可能かもしれない。

しかし日本ではその可能性はない。

第3回で、税制を大きく変える提案や、貨幣・金融制度を大きく変えることでベーシックインカムを導入する提案について紹介した。ただこれらは長期的な展望となる。

短期・中期的にはどのような展望があるだろうか。

第一に、既存の制度をよりベーシックインカム的なものに近づけていくことである。例えば基礎年金を現行の社会保険による仕組みから税財源とする。児童手当を現行の世帯主への支給から、主に育児を行っている者への支給に変更し、所得制限を撤廃し、かつ増額していく。

第二に、いくつかの国で導入されている、部分的なベーシックインカム的制度を導入する。アメリカやイギリスなどで導入されている給付付き税額控除の導入が考えられてもよいだろう。

第三に、他の政策目標にベーシックインカム的発想を持ち込むこともできる。例えば過疎対策で、過疎地域の居住者に部分ベーシックインカムを給付することなどが考えられてもよいだろう。

ベーシックインカムは、ある人にとっては「私たちが当然にもっているはずの権利」だし、ある人にとってはその人にとっての「当たり前」を真っ向から否定する「荒唐無稽な提案」だ。

何をかくそう、筆者がベーシックインカムについて初めて触れたのはもう30年近く前だが、はげしく反発したのを覚えている。

私たちの社会には多くの「当たり前」がある。多くの人が共有している「当たり前」から、いまや永田町のなかにしかないかもしれない「当たり前」まで。

いわく「少子高齢化は子どもを産まない女性のせい」「過労死は自己責任」「子連れで通勤電車に乗らないで」「風邪くらいで会社休むな」「家事育児は女性の責任」「お金を稼ぐのは男性の責任」「経済成長がぜったい必要」などなど。

ベーシックインカムについて考えることは、これらの「当たり前」をいったん括弧にいれることでもある。

関連記事