国立政治大学は箱根湯本にあった!
2018年の秋、僕は台北にある国立政治大学に2ヵ月あまり滞在した。
この大学は人文社会系に特化した名門校で、日本なら一橋大学のようだといえばよいだろうか。メディア・コミュニケーション研究では東アジアで最も有力なコミュニケーション学部(傳播学院)を有している。
この大学のあたりがなんとも素敵なところだった。
台北市南部の文山区に位置し、丘陵地にあって、キャンパスのどこからでも山が見える。日本でこんなキャンパスは見たことがなく、あえていえば箱根湯本に大学のキャンパスがあるような感じだ。
コミュニケーション学部は、小田急ロマンスカーを降りて須雲川にかかる橋を渡った湯本富士屋ホテルあたりにあるようなもの。
政治大学のすぐ脇には猫空(マオコン)という山がある。ゴンドラがかかっていて、台北が一望でき、お寺やおしゃれなレストランがある観光地だ。鉄観音茶の産地でもある。
台北で過ごした2ヵ月あまり、毎朝宿舎のカーテンを開けると目の前に猫空が見えた。
晴れた日には始業前のゴンドラがはっきり見え、雨の日には雲がその頂を隠す。明け方には背後から日が差して山の輪郭が金色に縁取られ、夕暮れには空より先に黒い塊に還っていった。
安政五年のシュプレヒコール
猫空を見上げながら、僕は自分が育った金沢の卯辰山(うたつやま)※を思い出していた。卯辰山は金沢城の北東にある標高約140メートルほどの丘陵地だ。
※卯辰山というが、城の卯辰(東南東)方向ではなく、丑寅(北東)にある。後述のように金沢城からみて鬼門に位置している。
僕は小学校から高校まで奥卯辰山の山肌を削ってできた住宅街に住んでいて、毎日山を登り降りして通学していた。
この卯辰山が舞台となった小説にかつおきんやの『安政五年七月十一日』がある。小学校の頃、学校の図書館で借りて読んでおもしろかったので、自分でも買った覚えがある。
かつおきんやが勝尾金弥だと知ったのは高校に入って、この著者の息子が先輩にいた時だった。おそらく金沢在住の児童文学者だったのだろう。
この本は1858年(安政五年)の「安政の泣きの一揆」と呼ばれた一連の騒動を庶民の目線から描き出した歴史小説だ。