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いま理系の大学で増えている「ブラック研究室」という大問題

文系の人間が知らない「闇」

M君のこと

大学に職を得てから25年あまりになり、その間に多くの学生を社会に送り出したが、時に忘れられない印象を残す学生がいる。その一人が、M君だ。彼が研究室に入ってきたのは、20年以上は前のことだろうか。背が高く、少しボーっとした印象を人に与えるM君が、ある日、〝事件〟を起こした。

理系の大学の研究室なら、大体どこでも「雑誌会」というゼミの時間がある。自分の研究に関連する英語の論文を抄録して、研究室のメンバーに紹介して発表するというものだ。今はパワーポイントなどPCを使って発表するのが普通だが、M君がいた当時はB4の紙のレジメを配るスタイルが一般的だった。

M君はその日、雑誌会の抄録担当だったのだが、ゼミの教室に行くと彼のレジメだけない。どうしたのかな、と思っていたが、他の担当者の発表が終わり、彼の番になると、彼は普通に前に出て教壇に立った。レジメなしで発表を始めるのかと思いきや、なんと彼は「論文を読んでいたのですが、間に合わず、できませんでした!」と言って、頭を下げた。

私の教員生活はおろか、小学校以来の経験を顧みても、こんな〝発表〟は、後にも先にも、これ1回きりである。こういったケースは、通常、担当者が急に「お腹が痛く」なったり「熱が出た」りして、1週間後に発表が延びるのが〝普通〟である。ちゃんとゼミに参加して、みんなの前に出てきて「できませんでした!」と謝るような学生は、空前絶後だ。

まじめな学生は「なんで、そんなことになるの?」という困惑の表情を浮かべ、当時、研究室にいた百戦錬磨のさぼりの常連たちの間にも「えっー、そんな手があんの???」と、その斬新さに衝撃が走ったという。

大学が持つ「2つの顔」

当たり前だが、大学にはいろんな学生がいる。優秀な研究者になりそうな学生もいれば、指示通りに丁寧に仕事はするが、自分で考えるのはちょっと苦手という学生もいたり、また研究にはあまり興味がなく、最低限の労力で単位だけとって卒業すればいいという、さぼりの常連たちもいる。いろんなことをスルスルとすり抜けてゆく優秀な学生がいる一方、M君のようにそういう〝優秀さ〟とは縁遠い学生もいる。

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私は、M君のような不器用な真っ直ぐさが、嫌いではない。しかし、そんなやり方が社会に出て通用するはずもない。叱咤すべきなのか? 普通の大人は、そういった時は「急におなかが痛くなるものだよ」と教えてあげるべきなのか? 悩んでしまう。大学の本来の役割は、研究機関というより、やはり教育機関なのであろうと、思う。

この大学の二面性、つまり研究機関であり教育機関である、という属性は、時にコンフリクトを起こす。そして、教員や大学の評価が厳しくなればなるほど、その軋轢が強くなっていくことが、少なくとも実験系の研究室では、今、起きている。一般にはあまり知られていないようにも思うが、潜在的には深刻な問題であり、現場からの声として、この場で提起したい。

大学の研究室における「教育」の構図

大学における研究というのは、もちろん教員が主導しているが、実験系の場合、実際に手を動かしているのは、主に大学院生を中心とした学生である。外部資金を多くとっているラボだとポスドクと呼ばれる、給料をもらいながら実験する研究員がいる場合もあるが、全体とすれば数は決して多くない。

教員が実際に実験をすることも、若い助教を除けば、ごく少数の例であろう。私も一応まだ自分で実験をしているが、まとまった時間を取るのはなかなか難しいのが現実だ。大学の実験系研究室における、研究の主力は学生なのである。

PHOTO iStock

このラボにおける〝主な労働力が学生〟という状況は、実に微妙なバランスで成り立っている構図である。学生は学費を払って大学に来ており、給料をもらっているわけではないので、基本的には何かを教わる立場であり、ラボの「労働力」として扱われるのは、本質的には筋違いだ。

つまり教員の主導する研究に従事することで、実験のスキルであったり、科学的なものの考え方であったり、物事の進め方であったりしたことを学んでいく、という理屈なのである。これが前提であることを、まずご理解いただきたい。

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