「労働時間の上限規制」は大きな進歩
1月22日、第196回国会において安倍総理の施政方針演説が行われ、「働き方改革」に関しても言及があった。
「我が国に染みついた長時間労働の慣行を打ち破ります。史上初めて、労働界、経済界の合意の下に、三六協定でも超えてはならない、罰則付きの時間外労働の限度を設けます」
文章にするとわずか2行程度のこの方針が実現に至るまでに、実は長年にわたる数多くの紆余曲折と労使間の攻防が存在していた。
「労働時間の上限規制」という、諸外国では当たり前に存在している基本的な決まり事が、なぜ日本ではこれほどまでに実現が困難なのか、大いにもどかしさを感じていた身としては実に感慨深い宣言であった。
日本の労働基準法は、諸外国と比較しても緻密に規定がなされているものの、実質的には抜け穴が存在するため、違法行為に対する抑止力として機能していない面がある。
その最たるものが労働時間だ。労働基準法では「1日8時間、1週間40時間まで」と明確に規定されているが、それが法的な上限だと捉えている人は多くないだろう。しかるべき手続きさえとれば、青天井で残業させることが実質的に可能になっているからだ。
今回の宣言は、この問題構造にメスを入れ、根本から解決できる期待が持てるものだ。これまで実質青天井で、かつ罰則もなかった残業時間に関して、原則として「月45時間、年360時間」が法的にも上限となり、違反した場合には罰則が与えられる。これは大きな進歩であるといえよう。
「働き方改革」のよくある誤解
今回の「働き方改革」の方針は非常に意義がある。しかし、この意義が企業の経営層を中心に、きちんと理解されていないと感じる機会が依然として多い。
先日も人材業界の有力者が、某新聞において働き方改革について発言している記事があった。氏曰く、
「いま日本ではワーク・ライフ・バランスのかけ声の下、労働時間の削減ばかり注目されている」
「だが全ての労働者が横並びに休めばいいものではない」
「最も成長する時期にいる新入社員や若手をこの状況で育てることには危機感がある。「休め休め」「定時に帰れ」と「優しさ競争」になっている働き方改革が成長機会を奪っていないだろうか」
同様に考える人が一定割合いるからこそ記事になるのかもしれないが、氏がもし「労働時間削減は成長機会を奪う」と本気で考えているなら、どうやら働き方改革の本質を誤解されているようだ。
働き方改革とは、単なる「残業削減の取組」「福利厚生の一環」「従業員への施し」ではない。もしあなたの会社がそう捉えているなら、これからの時代を生き残っていくことはできないと断言してよいだろう。
働き方改革とは、いわば「これからの不確実な時代を生き残るための、攻めの経営戦略」である。売上を上げることと同等くらいの位置づけで、組織の最優先課題として実行する必要があるのだ。
さらに、その実行にあたっては「産みの苦しみ」が伴う。長期間にわたって相応の労苦が発生することを知っている改革当事者にとっては、とても「優しさ競争」などとは言えないはずだ。