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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

2025年に、ブログみたいなごくわずかな共通点の端くれだけ握りしめて



あけましておめでとうございます。
本年もよろしくおねがいいたします。

実を言うとブログはもうだめです。突然こんなこと言ってごめんね。

でも本当です。2、3日後にものすごく大きな炎上があります。

それが終わりの合図です。程なく大きめのブログプラットフォームの閉鎖が来るので気をつけて。

それがやんだら、少しだけ間をおいて終わりがきます。


懐かしいですね、『最終兵器彼女』。
おそらく、このブログを日頃から読んでくださっている、もうすでにごく少数になってしまった方々は、「ブログがオワコンとか、もうわかっとるわ!何年同じことやってるんだ!」とツッコミを入れながら読んでくださったのではないでしょうか。

 

このブログでは、毎年、新年最初のエントリは、「現在のブログ情勢と今年の展望」みたいなことを書いているのです。


fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenablog.com


もう2020年くらいからの「ブログ界隈」に関しては、「みんなにアピールするメディアとしてはもうオワコンです。好きな人たちが細々と続けていく趣味になりましたね」という言葉で言い尽くされてしまうかな、と思うんですよね。
それは別に悪いことではなくて、自然なことなんだろうな、と。

毎年「今年のブログ界隈の展望」を書いているのですが、年々書くことがなくなってきています。
それは、僕自身の加齢によるモチベーションや新しいことへの興味の低下のせいなのか、ブログというジャンルそのものの求心力が下がっているからなのか。


「ネットで知らない人の文章を読む」という機会そのものがどんどん減ってきているし、Twitterでも、未知の人のツイートが話題になってしばらくすると「いい機会だから」と宣伝が始まったり、コメント欄で同じようなコピペリプが大量に並んだり、書籍化されたりして、「ネットの読み物はすべてCMかサロンの勧誘」みたいな感じです。反社会的な行為を叩こうとすると、それが告発した人自身による捏造で、尻馬に乗った人たちが「ネットリテラシーがない」とバカにされる、という状況で、オチオチ正義も執行できません。


YouTubeは完全に一時の勢いを失ってきていて、じゃあショート動画は?というと、ショートだと同じような内容ばっかりになりがちで、すでにみんな飽きている。


今の若い人たちは、いったい何を楽しみに生きているのだろうか?
流行りのテレビやラジオの番組は昔ほど多くないし、YouTubeは飽きられつつあり(飽きながらも、ダラダラ観てしまう、ということは、少なからずあるんですけど)、ニコニコ動画も新しいものが出てこなくなってしまった。
カクヨム小説家になろう、も売れるのは同じようなジャンル(異世界転生もの)ばかりで、それがどんどんニッチに深掘りされてきているのです。
なんか一時期の「叙述トリック合戦」のミステリ小説界みたい。
みんな、なんでこんな異世界転生ばっかりなんだ、と思いつつも、それ以外は読んでもらえないから、その中での「差異」を追求するしかなくなっている。


ネットで「正論」なんて読んでいて面白くもないし、かといって、悪さ自慢みたいなものも胸糞悪い。
「オススメ」はみんなアフィリエイトだし、ノウハウはみんなサロンへの誘導。
承認欲求を発動しても「それお前の承認欲求」とツッコミを入れてくれる人すらいない。


「読まれなくても書くのか?」というのは発信側にとってはずっと問われ続けていることですが、まあ、大概の人は、読まれなかったら書かないよね。それこそ、チラシの裏で十分だから。
よほど「書きたい」という気持ちがないと、基本的には、ブログを書くことのメリットよりもデメリットのほうが意識される時代ではあります。


僕自身、それこそ10年前くらいまではブログ更新依存みたいなところがあって、年末年始とか「書かないこと、更新しない日」に居心地の悪さを感じていました。何日か更新していないからと、ネタを無理やり捻り出してなんとか書いていたこともあったのです。

でも、ここ数年はもう、そんなモチベーションは無くなってきていて、なんか書きたくてしょうがないときだけ書こう!(で、その書きたい衝動の7割くらいは、YouTubeを観たり、ゲームをやっているうちに、まあ書かなくていいか、といつの間にか消えてしまう)と思いますし、実際にそうしています。


fujipon.hatenadiary.com


本や映画の感想ブログのほうは、「人生の記録として」週に2回くらいは定期的に書こうと頑張っています、というか、昔はよく毎日更新できていたものだ、と過去の自分の熱量に圧倒されてしまいます。あの頃は、飲み会から帰ってきた日も、遅い時間に書いていたからなあ。
人間、暇だから書く、というよりは、激務や人生の困難など、何かに追われているときのほうが、「書きたい、遺したい」というモチベーションが高まるのかもしれません。


SNSやブログなどの「自分の意見」を比較的カジュアルに公に表出できる場ができ、世界は「建前より本音の世界」になってきています。
「内向き」「アメリカ・ファースト」がアメリカで支持されているのは、トランプ大統領のせい、というよりは、「自分が、今がよりハッピーならば、自分やその視界内にいる人以外のことはどうでもいい」と公言することが、責められない世の中になってきた、ということの結果のひとつでしかありません。

それが良いのか悪いのか。

いや、良いとか悪いとかじゃなくて、世界は、ホッブスが『リヴァイアサン』に書いた「決定的な能力差の無い個人同士が互いに自然権を行使し合った結果としての万人の万人に対する闘争」の場になってきている。
中国やロシアのような権威主義国家は「帝国主義の復活」ではなくて、「これほど人々が『自分がやりたいようにやる』ことをためらわなくなった世界では、強い国家権力に頼りでもしなければ、集団生活が困難になってきている」という新しい現実の反映のような気もするのです。


……何を書いているんだ僕は。


とまあ、大きな話を勢いで書いてしまいましたが、個人的には、これからのブログは、「日記」、それも「とくに有名でもない人の、日常日記(純日記)が、最後の砦なのかな、と思っています。

文学フリマ」とか「日記祭」みたいなイベントがそれなりに隆盛なのは、みんなが「偽善」や「露悪」しかネットに書かなくなった時代に「ふつうの人は、何を考え、どういうふうに日常を過ごしているのだろう?」という興味を、あらためて持つようになったことを示しているのではないかと。

50年以上生きていて、人間というのは、一部の人が思い込ませようとしているほど「善」でも「悪」でもないし、もっと刹那的で無気力で、それでいて、ときおり、とんでもない力を発揮したり、ちょっとしたきっかけで、すごく善いことや悪いことをしてしまう、不安定で不合理な存在でしかない、と感じています。
だからといって、何もかも許す、とは悟れないし、絶対に許せないはずのことも、いつの間にか、どうでもよくなっていたりもする。

人は変わらないようで変わっていくし、ときどき、よくわからないこともやるから面白いし、怖い。


あまり読まれなくなったからこそ、ブログでは、比較的装飾が少ない日記を書きやすくもなりました。
思えば、僕が最近好きで読んでいるブログは、そういう日記が多いのです。

そして、そういう辺境的な日記愛好家は、案外多いのではないか、という感触もあります。


日記というのは、誰にも読まれなくても、ブックマークされなくても、自分で読み返して「あのときの自分のこと」を振り返り、自分の変化を確認することができる。最低でも、ひとりは読者がいる。ゼロとイチとでは、全然違う。

僕自身は、以前のような情熱をブログに傾けることはできないし、『ドラゴンクエスト3リメイク』やNetflixの『ダンダダン』に救われながら日々を過ごし、給料日が来るのを待っています。アニメ『ダンダダン』の1期があんなところで終わられると、とりあえず2期までは生きていたいな、と思うじゃないかダルいぜ。

まだ20代だった2000年からこの年齢まで書き続けてきたので、もう、書けるところまで、細々とでも書いて、読んでくれる人が自分一人になる時が、いつになるのか、検証してみたいと思います。
ドキュメント25年間。


fujipon.hatenadiary.jp


有名でも大金持ちでもない50代男性の日常なんて、誰も興味を持たないだろう、と僕はずっと思っていました。
でも、世の中には「そんなに偉くもなれず、好き勝手にやっていくほどの覚悟もなく、これからどう生きたらいいかよくわからない中年」っていうのは本当にたくさんいて、なんとなく虚しい気分に覆われ、「他の同世代の日常のやり過ごしかた」を知りたい、と考えているみたいです(僕もそうです)。

2000年以前くらいからインターネットで発信してきた「インターネットアーリーアダプター世代」には、いままさに40代、50代の「中年の危機」をむかえている人が多いはず。

英会話教室や学び直しもいいけれど、これからは「中高年の日記的なブログ」を個人的にはおすすめしたいと思います。僕も読みます。
あまり読んでもらえなくても、ネットに放流するだけで、なんとなく「浄化」する思い、みたいなものって、あるような気がするのです。
せっかく、こういう時代を生きているのだから、ネット黎明期にみんなが最初に「楽しい」とやってきたことに立ち返ってみるのも、良いんじゃないかな。

2025年は、ちゃんと日記を書こうと思います!(もう1月6日)


fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenadiary.com