[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/

ジョセフ・ヒース「左派は再分配に傾倒すれば、限定的な支持しか得られないだろう」(2014年9月5日)

人々の利他心に訴えても、選挙で過半数を獲得する強力な基盤とならない

Lessons for the left from Olivia Chow’s faltering campaign
Posted by Joseph Heath on September 5, 2014

オリビア・チャウは、トロント市長選に立候補した時点では紛うことなき有力候補だった。なにしろ、対立候補の4人(ジョン・トリー、ロブ・フォード、ジョン・デイヴィッド・ソクナッキ、後に選挙戦から撤退するカレン・スティンツ)は右派で、唯一の左派だったのだ。チャウは(故ジャック・レイトンの未亡人としての)スター性を備えており、(トロントにおける有権者の過半数に近い)可視マイノリティー 〔訳注:黒人やアジア系のような外見上非白人の特徴を持つ人々〕によって明らかに親近感を抱かれる存在であり、最近ハーパーコリンズ [1]訳注:北米の有名出版社 から自伝を出版し、長年にわたって市議を努めてたことでトロントの有権者からの知名度も申し分ない。

最近の様々な世論調査によると、チャウは現在、ロブ・フォードに次ぐ3位に付けている。フォードはどう見ても公職に相応しくない人物であり、支持者ですら、自分の子供の通う学校の校長が彼になったと知らされたら、失望するような人物だ。

つまり、チャウの選挙運動は何か間違えているのだ。「間違えている」といっても、汚い手口とか、悪質な中傷とか、対立候補をこき下ろすような〔汚い〕選挙戦術を繰り広げているわけではない。候補者本人に問題があるわけでもない(演説はあまり上手くないが…)。本当の問題となっているのは、チャウの政治姿勢にある。彼女の選挙運動での失敗は、トロントだけでなく、カナダ全土の左派に教訓を教えてくれる。

チャウの問題は、はっきり言ってしまえば、彼女が左派すぎるのだ。また、彼女は〔夫だった〕ジャック・レイトンよりイデオロギー的に硬直化しすぎている(言うまでもないが、彼女は生真面目すぎる)ため、単なるイデオロギー的左派と受け取られてしまっている。結果、彼女は、私が「正真正銘の左派有権者」と想定している、NDP〔カナダの左派政党〕の伝統的支持者――カナダの有権者の約20%(トロント市街では20%より若干多く、都市部近郊では若干少ない)――だけを惹きつける存在に成り下がっている。

この「正真正銘の左派」という言葉の意味を簡単に説明しておこう。この言葉を使ったラベリングに疑問を持っている人もいるからだ。私自身は、特にここオンタリオ州ではイデオロギー的な違いがはっきりと具現化していることから、このラベリングは非常に有用だと考えている(この件については既に解説済みだ〔本サイトでの翻訳はここ〕)。私は非常にシンプルで小さな見取り図によって、左派・右派を想定している。この見取り図は、基本的な「政治経済」の問題に関して、様々な候補者を位置付け・分類したものだ。

この見取り図はシンプルで、かなり単純なのだが、全容を明らかにするには若干の説明が必要となっているので、少し付き合ってほしい。

上のグラフでは、社会を2つの階層――「富裕層」と「貧困層」に分けている(もっと位相を増やして細分化できるが、ここでは分かりやすくするために2つにしている)。点Sは現状を表しており、〔現状の総量である〕一定量の利潤と、その利潤の分配状況を2つの階層を両端として示している。曲線は、「生産可能性フロンティア」のようなもので、国家が持っている資源を使って生み出すことのできる利潤の様々な分布を示している。詳しい人なら、点の右上の領域がパレート改善、つまり全ての人が改善されるような変更を示しているのをご存知なはずだ。

さて、トロントで今最も関心を集めている、交通問題を俎上に載せみよう。どの候補者も現状の変革を望んでいる。しかし、物事をどう変革させたいかについては、候補者間にかなりの差がある。そこで、変革先を、4つの基本的な「ゾーン」に分けたいと思う(これを上の図を色付けして以下に示した)。この考察では、全ての人が不利になるような変革はひとまず想定しない。

まず、物事をより平等な方向に変革したい(つまり貧しい人を優遇したい)人を、「左派」と定義する。これは、この小さな見取り図では、原点から現状(S)にかけて引いた直線より下で、かつ現状(S)より右側の区画となる〔赤~オレンジ色に塗られた区画〕。この区画内でのポジションの移動は、相対的に貧困層の生活が改善する一連の変革を意味している。〔青く塗られた〕右派側は、左派の単純な鏡像だ。さらに、私は、左派・右派内をそれぞれ、さらに「中道」と「強硬」のバージョンに分けた。「中道」「強硬」の差は、純粋に再分配的な変革に傾倒しているかどうかに基づいている。

「中道左派」は、社会的生産物の増加を望む(可能性フロンティアを外側にシフトさせたい)が、増加の恩恵が富裕層より貧困層に有利となるような方法を志向している人である。これは、一般例だと、「所得への累進的な税を財源とする公共財の提供」となる。公共交通機関を建設するために、固定資産税を上げようとするのが最適例だろう。そうした政策を行えば、全ての人に恩恵を与えるが、貧困層が最も恩恵を受けることになる。

一方、「中道右派」も立場的には、国家の力を使って可能性のフロンティアを拡大させようとするが、恩恵が主に富裕層に優遇されるような方法を取るのを特徴としている。これは大抵の場合で、集合行為問題等の解決の実施において、〔解決手段への〕アクセスの確立が市場による所得分配の配列に依存する形として行われる(「富裕層優遇」という部分をネガティブに解釈する必要はない。これは大抵の場合で、「富裕層への便宜」とならず、単に分配おいて市場による配列が尊重されるだけである。市場による分配の配列は、国家による課税・支給制度によって確立される配列よりも平等ではないからだ)。渋滞を緩和するための道路の有料化は、典型的な「中道右派」的立場の一例だろう。この政策は、可能性フロンティアを間違いなく拡大し、誰もが恩恵を受ける(移動時間が短縮される)が、道路料金への支払意志によって、恩恵へのアクセスが制限される。

私の政治的志向は、間違いなく中道カテゴリーの、やや左寄りにあると自負している。左寄りにある主な理由は、人の人生には根本的な不公平性が存在する事実と、自身の特権の不当性の程度からの感傷的な認識に由来している。同時に、未解決の集合行為問題への反感は非常に大きいため、他に手段がなければ、中道右派の提案も積極的に受け入れる(例えば、道路の有料化や、炭素税)。

結果、私から最も奇妙奇怪と感じるのは、「強硬左派」と「強硬右派」と名付けたポジションとなる。これらポジションは、その志向から、「正真正銘の左派」「正真正銘の右派」と呼ぶべきかもしれない。両者は、一定程度の反福祉主義者である。つまり、両者は、なんらかの政治的原則に非常に重い価値判断を置いており、その実現のためには、一人もしくは複数人の福祉を悪化させてもかまわないとの考え方に立っている。典型的には、左派では「平等」が、右派では「自由」が、この原則を担っている。

この「強硬」な考えでは、政府は基本的に「問題解決」や「社会福祉向上」の役割を担っていないことになる。「強硬右派」の視点からは、国家は常に個人的自由を制限しようとする存在であり、戦うべき敵である。例えば、強硬右派の思想家は、税の公共財への使用用途いかんに関わらず、税は強制的であるという理由で、原則的に税に反対する。つまり、減税による行政サービス排除の志向は、強硬右派の典型的な立場である(この観点からだと、カナダ納税者連盟や、大抵の場合でのフレーザー研究所〔カナダの保守系シンクタンク〕は、強硬右派となる。なぜなら、これら組織は、政府支出によってもたらされる社会福祉的恩恵をまったく考慮せずに、常に課税の絶対水準だけに文句を付けるからだ。これは公共サービスに対価を払う必要はないとする原理主義的立場の表明に他ならない)。

〔強硬右派による〕交通機関への立場は、「個人所有の乗り物」こそが個人的自由の反映・促進であるとの理由から、車への選好という形で現れる。強硬右派の観点からすると、大量輸送、より正確には集団輸送は、個人の自律性を制限・コントロールしようとする政府の企てとなる。こうした考えの人々(都心のリベラルが想像するよりはるかに多い)は、自家用車を運転することで得られるプライバシーと自由を守るため、渋滞に苛まされることを厭わない。そのため、強硬右派の政治家(例えば、前回の州首相選挙でのティム・フダック)は、地方政府支出を、公共交通機関から高速道路に移転しようとする。

4分類の最後が、「強硬左派」的立場である。中道左派の立場では、集団的利益の達成条件が優先され、分配的正義の問題は二次的な問題となる。これに対して、強硬左派の信奉者では、分配的正義が最優先目的となり、集団的利益への懸念は二の次となる。この観点では、政府の基本的な役割は、富裕層から金を取り上げて、様々な方法で貧しい人に分け与え、市場の結果として生じる不平等の是正となる。

さて、私は中道志向が強いため、トロントの交通問題に関して、強硬左派的な立場があるとは想定すらしていなかった。トロントにおける渋滞は、明確なまでに集合行為問題であり、どのような政策であれ、なんらかの改善策にならざると得ないと思えたからだ。ところが、チャウは、この問題で、紛うことなき「強硬左派」と言わざるを得ない政策的立ち位置を見出した。チャウ曰く、「バスとバスサービスの改善が最優先なのです。バスこそ最も恵まれない人々の移動手段だからなのです」。

実際、これは事実だ。普通の人は地下鉄を好む。主な理由は、冬に屋外で待機する必要がないからだ。そのため、地下鉄の駅ができると、人はその近くに住みたがる。結果、駅近隣の不動産価格が上がり、貧困層はバスしか通っていない地域に追いやられる。なので、チャウに言わせると、地下鉄に使われている予算の一部をバス・サービスに回せば、貧困層はさらなる恩恵を得る。

これは素晴らしい政策だが、選挙戦の争点にしても、必ずしも票を集められるわけではない。問題は、チャウが交通問題全体を分配的正義の観点で考えていることにある。彼女の脳裏では、「進歩的」な政策立場をとることが全てとなってしまっている。彼女の見解では、「進歩的」とは、社会正義の推進に他ならず、「進歩的」な政策的立場を取ることがあらゆることに優先される。ここで前提とされている社会正義とは、かつてアラン・ウルフによって「逆トラシュマコスの見解」と名付けられたものだ。「正義とは弱者の利益」であり、それの実施こそが「貧困層の救済」に他ならない、という思想である。
〔訳注:トラシュマコスは、古代ギリシアの弁論家。プラントンの『国家』で主要登場人物として登場し、「正義とは所詮強者の論理にすぎない」との説を展開する。〕

ある意味で、チャウの公共交通機関への見解は、ある種の右派の見解の鏡像のようになっている。保守派の多くは、公共交通機関を基本的に貧困層ためのものだと考え、福祉制度の延長として忌み嫌っている。保守派の見解では、公共交通機関は、車を買う余裕のない人々への「施し」なのだ。〔強硬〕保守派は、集合行為問題の観点に立っていない(「毎朝トロント市街に通勤する50万人の人々をどのようにして運ぶか」等)。チャウも、集合行為問題を把握できておらず、〔強硬〕保守派と同じように分配的正義の観点に立っている。そして、道徳的判断の価値観は逆転している。

チャウの立場の問題点は、一般有権者への訴えかけに、他者への福祉という道徳的関心の喚起に全面的に依存してしまっていることにある。彼女は、中位の有権者の福祉を向上させるような主要な政策を公表していない。彼女の売り込みは、「私に投票すれば、あなたの生活を改善しますよ」ではなく、「私に投票すれば、貧しい人の生活を改善しますよ」なのだ。私は、何も彼女の道徳的な感情に意義を申し立てたいわけではない。ただ、人々の利他心に訴えても、選挙で過半数を獲得する強力な基盤とならないことを指摘したいのだ。

チャウの問題点は、交通問題だけに限られると考えている人がいるかもしれないので、もう一つの例を挙げよう。一連の世論調査で苦境に立たされたことを知って、チャウは、主要政策の発表に焦点を絞った記者会見を行った。そこで、彼女は、市内の36,000人の児童を対象とした給食費を補助するため、超高所得世帯を対象とする土地譲渡税の引き上げを公約として発表した。

これは素晴らしい公約だが、政策として、マジョリティにきちんと届いているかどうかが重要となっている。そして、この政策は、実質的に、ほとんどの有権者の頭上(もしくは足元)を通り過ぎるだけの政策だ(課税はトロントの上位層の約10%に影響し、政策の恩恵は下位10%にしか受けない)。この政策で顕になっているのが、道徳的関心が児童福祉だけに絞られてしまっていることだ。

一方、トロントの公立学校は、全面的な混乱状況にある。例えば、この10年間、クィーン・ストリートの南側には20万世帯が住む新しいマンション群が建設されたが、新しい学校は一校も作られていない。開発中の分譲マンションの前には、「引っ越してきてもかまいませんが、学校がないことに注意してください」と書かれた法律上の注意書きがデフォルトで立てられている。市は、「小規模住宅なので、入居家族に子供ができたら引っ越すだろう」との一か八かのギャンブルをしているようだ。このギャンブルは、この先もっと分が悪くなっていくだろう(他の国を少し回ったことがある人なら、子持ちの一家で小さなアパートに住んでいる人が当たり前にいることを知っているだろう。カナダ人がこれをできない理由は存在しない)。なので、公立学校制度を対象とした、もっと幅広い一般層向にアピールできる投資政策は多く存在している。しかし、チャウはこの手の問題には関心を示しておらず、貧困層のための給食制度を作ろうとしている。

繰り返させてもらうが、給食制度は悪い政策ではない。ただ、フリーランチを約束しても、選挙には勝てないのだ。普通の人からすれば、トロントでの生活には不便が多すぎる。悪夢のような道路状況。最悪で高価な公共交通機関。高騰化する住宅。大気汚染。資金不足による公共教育機関へのバス送迎の実質的な休止と、利用希望者の殺到。予約満杯の保育園。人力での雪かき。週末の都市郊外への外出が事実上不可能になっていること。市長になりたければ、平均的な有権者に対して、「●●であなた方の生活を少しでも楽にしますよ」と言わねばならない。そして、4年の任期の終わりには、「■■であなたの生活を改善しましたよ」と言えるようにならねばならない。それができなければ、普通の人は憤り、とにかく減税だけは約束するロブ・フォードのような人物を選ぶだろう。

References

References
1 訳注:北米の有名出版社
Total
21
Shares

コメントを残す

Related Posts