東北地方の南部、宮城県のほぼ中央にある都市の名。
自治体としての仙台市は当該項目参照。
二つ名は「杜の都」。なお「森の都」ではない。「杜」とは自然林ではなく、人の手が入った人工の林のことである。仙台の市街地は、近世大名伊達家の本拠地として市内に武家屋敷の屋敷林が多かったことから、「杜」の都と称される。武家屋敷は空襲で焼け、跡地はビルになってしまった。そのため現在では、街路樹が多いから「杜の都」と呼ぶのだとか、青葉山などの山が市中心部に入り込んでいるから森の都と呼ぶのだとか言われてしまう。実際、イメージを守るために市政は街路樹植樹に熱心である。
古代には、市内の郡山地区(太白区)に初期の陸奥国府があり、未だに一部しか発掘されていない広大な遺跡が残されている。やがて陸奥国府は多賀城、市内の岩切地区(宮城野区)に順次移転する。陸奥国分寺、国分尼寺は現在の木ノ下地区(若林区)近辺に置かれ、門前町も栄えたらしい。中世の動乱の中で国府は機能をほぼ停止し、戦国時代に入ると旧国分寺近辺は国分氏、岩切近辺は留守氏という武士が支配していた。国分氏は千代城という居城を築いたとされる。後に東北地方南部全域に支配域を広げて来た伊達氏が次第に国分氏、留守氏などを征服し、伊達政宗の代には仙台を支配するようになった。
都市としての仙台は17世紀初頭に当地に仙台城を築城した政宗がそれまでの「千代」を「仙台」と改め、城下町を整備したところから始まる。「仙台」とは唐の詩『同題仙遊観』が漢代の仙台という宮殿の壮大さを仙境崑崙山の五城十二楼という伝説の宮殿に例えて「仙台 初めて見る 五城楼」と詠ったことによる。なおここから仙台と仙台城の美称として五城楼という語も用いられる。政宗はそれまで岩出山城を居城としていたが、武士だけでなく城下町の民も多く率いて仙台に移住した。青葉山(青葉区)という要害に仙台城を築き、山麓と片平地区(青葉区)に上級武士を住まわせた。そして外堀に当たる広瀬川の対岸の河岸段丘に仙台の城下町を築く。政宗の築城前のこの地は広大な原野であったらしい。ここに岩出山から伴った民を住まわせて、大町(今の商業中心地おおまちアーケード)や立町、柳町など御譜代町と呼ばれる商業地区を展開する。大町は大手門から東西に延び、これと奥州街道が交差する場所を芭蕉の辻と呼んで市内の中心地にした(現在は日本銀行仙台支店がある)。芭蕉の辻より北の奥州街道を宿場町とし、仙台を訪れた旅行客を宿泊させた。この地にはかつての国分氏に従っていた国分寺門前町の商人が集められ、国分町と呼ばれた。これが現在の仙台最大の歓楽街、国分町である。商業地区を守るように東と北に中級以下の武家屋敷を築き、東一番丁(今の商業中心地一番町アーケード)、東二番丁、北一番丁などと名付けた。これら広い杜を擁する武家屋敷が市街の過半を占め、後にはさらに広がって杜の都の異名をもたらす。こうして仙台は以後、江戸時代を通じ仙台藩62万石の城下町として栄えた。
明治以降は東北地方における行政・経済の中心として発展する。戊辰戦争に敗れた仙台藩士たちは、再興の切り札を後述するように学術に求めた。また帝国陸軍の仙台鎮台が置かれ、後に第二師団となって軍都としても仙台は重要拠点となった。太平洋戦争の空襲で大きく打撃を受けたのちに復興し、周辺市町村との合併も経て1989年に政令指定都市移行を果たした。
江戸時代を通じた城下町としての歴史は、伊達家がかつて領有していた福島県、山形県、宮城県の文化を仙台平野に集めることになった。さらに伊達政宗が支倉常長らを使節として欧州に送ったことをはじめとして、海外文化も積極的に取り入れた。政宗が残した陸奥国分寺薬師堂、大崎八幡宮、松島の瑞巌寺といった建築は桃山文化の粋を現代に伝えている。さらに二代忠宗による瑞鳳殿、四代綱村による鹽竈神社がこれに続く。各地から集まった職人は工芸にも活躍し、絹織物の仙台平、陶器の堤焼、伝統箪笥の仙台箪笥などが挙げられる。
仙台近辺は古代から歌枕として数多くの名所が知られていた。先述の松島をはじめ、榴岡(宮城野区)、壺碑(多賀城市)、末の松山(多賀城市)などが挙げられる。歴代藩主による施設整備の保護によって、松尾芭蕉をはじめ多くの文化人がこれらを訪れた。
後に仙台藩は財政窮乏への対処も兼ねて、学問振興に力を注いだ。藩校の養賢堂が整備され、膨大な蔵書が集められる。漢学や武術に加えて19世紀に入ると国学、算術、洋学などまでの学科を備えるように至った。庶民を対象とする初等教育の寺子屋も18世紀後半になると藩政から設立が推奨され、急増していく。寺子屋より高度な漢学などの教育を行う私塾も増え、また養賢堂も身分が低い者の入学を認めて藩政改革に活かす努力がなされていた。
明治維新以降は、これらの歴史を背景に仙台は学術と教育の中心地としての側面を強め、後には「学都」仙台と呼ばれるようになる。旧制二高を元に現在の東北大学が誕生し、医学や工学分野では世界の先端を競うに至る。例えば脳波の規則性や胆道閉鎖症手術、テレビ受信アンテナ、磁気記録、光通信などの研究が挙げられる。また多数の大学や高校を市内に集め、現在に至るまで学生人口が多い街となっている。
年中行事
学術と教育の「学都」以外にも、仙台市政は音楽の中心地「楽都」仙台、演劇の中心地「劇都」仙台といった構想を掲げて芸術とイベントを振興している。実際、仙台は市民団体の活動が活発で、中心街は年間を通じ毎週末に各所でイベントが行われている。その中でも大きな行事を以下に挙げよう。
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