堀幸一(ほり こういち、1969年4月2日-)とは、野球が大好きな釣り人元プロ野球選手(二塁手)である。現在は千葉ロッテマリーンズのコーチを務める。
千葉ロッテマリーンズ #75 二軍チーフ打撃コーチ |
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堀幸一 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 長崎県 |
生年月日 | 1969年4月2日 |
身長 体重 |
185cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 二塁手・遊撃手・三塁手・外野手・一塁手 |
プロ入り | 1987年 |
引退 | 2010年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
海星高校時代は甲子園にも出場。1987年ドラフト3位でロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に指名される。当初はプロのレベルを見て自信喪失しすぐにでも辞めたいと思ったらしいが、その後20年以上に渡りプレーすることになる。
プロ入り2年目の1989年に抜擢され初本塁打も記録するが、セカンドのレギュラーであった上川誠二の壁は高く、2年間準レギュラーとして経験を積んだ。そして迎えた1991年、開幕スタメンこそ上川に譲ったものの、2戦目から5番セカンドとして出場してからは好調を維持し、チームトップの20本塁打も記録した。主砲マイク・ディアズの故障もあって4番打者は日替わり状態だったが、堀も多くの試合で4番打者を務めて「12球団で最も給料の安い4番打者」と呼ばれた。
翌1992年は本拠地が千葉マリンスタジアムに移転し、球団名も千葉ロッテマリーンズに改めての再スタートとなった。打率や安打数は前年と同水準を維持したものの、狭い川崎球場を離れたことで本塁打数は激減した。
1993年、1994年は不振に陥ったものの、1995年に監督に就任したボビー・バレンタインは堀を攻撃型ショートとして起用し、ようやく打棒が復活。自身初の3割(.309。リーグ2位)を記録し、前年5位からの2位躍進に大きく貢献した。
翌1996年はバレンタインが解任されチームも5位に逆戻りしたが、堀は好調を維持し2年連続の打率3割(.312。リーグ3位)を記録した。
1997年はルーキーの小坂誠がショートのレギュラーとして抜擢されたため再びセカンドに戻ったが、初芝清の不振もありサードでの出場機会も多かった。しかし翌1998年はフリオ・フランコが復帰してセカンドを守ることになったため、堀はレフトにはじき出されてしまった。このことが影響したのか、打率はついに2割5分すら割り込んでしまった。
その後は長年不振に苦しむが、2003年についに復活を果たし、3割近い打率と20本台の本塁打を記録した(超打高投低の年だったので、打撃十傑にはランクインせず)。プレーオフで福岡ソフトバンクホークスを下し、日本一(33-4)になった2005年には主に2番打者を務め、1996年以来の打率3割(.305。リーグ8位)を記録し、初のベストナイン(二塁手)も受賞した。
翌2006年以降は若手の台頭などでレギュラーの座を喪失し、2008年には史上40人目(球団史上3人目)となる通算2000試合出場を果たしたものの、1989年から継続していた19年連続本塁打記録(現在にいたるまでの球団記録)がついに途切れてしまった。
2009年は控え選手として活躍し、本塁打も4本記録するが球団からはコーチ就任を打診される。結局断って現役続行を選択したものの、翌2010年は一軍出場することが出来ず、戦力外通告を受けることになった。本人は現役続行を望んだものの獲得意志を示す球団はなく、12月2日に現役引退を表明した。
堀の引退により、オリオンズに在籍経験のある選手は全員ユニフォームを脱いだ。
引退後は解説者ののち、2013年からロッテに一軍打撃コーチとして復帰した。が2016年以降ロッテは深刻な貧打に苦しみ、打撃コーチとしての手腕に疑問が寄せられることが多くなった。
2018年からは二軍打撃コーチに配置転換された。2021年は育成総合兼育成打撃コーチ、2022年からは二軍チーフ打撃コーチを務める。
右打ちの巧さには定評がありボビー・バレンタイン監督には「太平洋で一番エンドランが上手いバッター」と評されたことがある。この発言は真偽不明(パシフィックリーグを太平洋と訳し間違えた説)だがバレンタインが堀を評価していたのは事実で堀がFA権を取得した際バレンタインが監督を務めていたニューヨーク・メッツよりオファーがきた。
本職は二塁手だが、遊撃手・三塁手・外野手・一塁手と捕手以外のすべてのポジションを経験。また全打順も経験し1998年には当時史上4人目だった全打順本塁打を記録するなど走攻守三拍子そろったユーティリティプレイヤーとして長年活躍した。
釣り好きであり2009年のマリーンズファン感謝祭では「釣り堀幸一」なるイベントをしたこともある。
打席での登場曲はプロパガンダの「p:Machinery」であり球場ではファンが曲に合わせて掛け声を挙げるのが恒例であった。
応援歌はポパイのテーマ「I'M POPEYE THE SAILORMAN」を原曲としている。
球団 | レス | No | プレイヤー |
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ロッテ | 応援歌のピコカキコ一覧#654 | 10629 |
通算:21年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 2064 | 7680 | 6788 | 929 | 1827 | 183 | 810 | 133 | 121 | 58 | 676 | 37 | 1295 | 124 | .269 | .336 |
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最終更新:2024/12/28(土) 03:00
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