骨肉腫により12歳から人工関節になった著者は、30歳の時に感染症の罹患を機に太腿から下を切断。術後、失ったはずの手足が痛む「幻肢痛」を経験することに。その経験と向き合うことで、人々の価値観や「無いものの存在」の捉え方を考える。※本稿は、青木彬『幻肢痛日記:無くなった右足と不確かさを生きる』(河出書房新社)の一部を抜粋・編集したものです。
術後変化していく幻肢痛
幻肢のイメージも強くなる
術後10日ほどの間は幻肢痛について文章を書き残すことが、いい気晴らしになる(編集部注/著者は右足切断後からインターネット上で連載を投稿し始めた)。車椅子移動やリハビリ、神経系の薬の処方を数日行なう中で幻肢痛のパターンに随分と変化が現れた。
ちょうどリリカ(編集部注/神経障害性疼痛に用いられる薬)の処方量が増えた頃、右足の膝あたりに「局所発火型」(編集部注/ないはずの右足の薬指、かかと、土踏まずなどに起きていたバチン!とした痛み。複数回連続することが多い)の幻肢痛があった。膝周辺は元々人工関節が入っていた場所で感覚も少し鈍かったので、ここも痛むのかと新鮮な驚きがあった。
そして常時の痛みが「漠然型」(編集部注/術後早い段階から発生した、漠然とした足首周辺の痺れ)と「足裏型」(編集部注/足の裏一面に起きる、ジンジンとした鈍痛。足裏が鉄板になった感覚)が合体したような、強い足裏のイメージがジンジン痺れるものに徐々に変わってきた。
それが1週間ほど経つと、右足くるぶしから先の幻肢のイメージが明確になり、痛みがその幻肢に凝縮されると同時に、断端面からくるぶしまでの空間も僅かに幻肢の輪郭が感じ取れた。この感覚はかなり強く現れて、足の痛みでふと手を伸ばしてしまい、ベッドを触って「あ、無いんだ」と気がつくくらいだった。しかしこの幻肢は足というよりももう少し固いプラスチックっぽい印象の足で、ぎゅっと身体の内側に突っ張った感覚だった。
足一本通しての幻肢のイメージが強くなったおかげで足の上げ下げ以外にも、断端をひねることで幻肢を回旋させることができるようになった。
仲間との会話で
幻肢痛の知識を蓄える
その頃、骨肉腫で入院した12歳の時に知り合った骨肉腫サバイバーのO君がお見舞いに来てくれた。