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カレントアウェアネス
No.315 2013年3月20日
CA1790
関西館図書館協力課:菊池信彦(きくち のぶひこ)
はじめに
大学を取り巻く問題の一つに、「若手研究者問題」というものがある(1)。およそ大学関係者であれば必ず耳にするものの一つだが、管見の限りこれを論じた図書館関係の文献はない。
若手研究者問題とは、一言で言えば若手研究者の就職問題である。1990年代後半以降、大学院生の数が増加し、博士課程を修了しても専任教員ポストに就くのが困難となっている(2)。そして若手研究者の多くが、長期にわたり非常勤講師やアルバイト等の不安定な地位にあって教育・研究活動を続けざるを得ない状況にある。
だが、若手研究者問題がただ研究者の就職問題のみに留まるものであれば、この図書館情報誌で紹介する必要はないだろう。本稿では、若手研究者問題がなぜ生じ、その現状はいかなるものなのか、そしてこの問題がなぜ図書館界に関わるのかを論じた上で、特に大学図書館界に対して問題提起を試みたい。
本論に入る前に述べておかなければならないことがある。若手研究者問題は、自然科学系から人文・社会科学系に至る、多くの学問分野に共通して存在する問題である。だがそれと同時に、各分野においてその問題の規模や様相、そして捉え方が大きく異なっている。そのため以下で展開される議論は、西洋史学という人文学の一領域を修めた者の立場からのものであり、また扱う対象も人文系の若手研究者に限っているということを予め断っておきたい。
1. 若手研究者問題:その原因と現状
まずは若手研究者問題の発生原因から議論をはじめたい。すなわち、若手研究者問題につながった大学院生の、ひいては若手研究者の増加はなぜ生じたのか。
これまでの研究ではこの原因について大きく二つのポイントが指摘されている。
一つ目は、1991年の大学審議会の答申「大学院の整備充実について」と「大学院の量的整備について」に基づいて、政府によって進められた大学院倍増計画である。これが進められたのは、大学院を志望する学生が増えたからというわけではない。計画の背景には、当時欧米諸国と比較して日本の大学院生の数が少なかったことから、グローバル化していく社会にあってはそれらの国々と同規模の大学院が必要とされたことにあった。
二つ目は、その大学院倍増計画とは別の文脈で進められた、旧帝大を中心とした「大学院重点化」の動きである。これが行われた理由は、学部よりも大学院の方が教員あたりの校費(教官等積算校費)が高かったために、予算の獲得につながったからであった(3)。だが、大学院講座の積算根拠は学生定員の算出基礎でもあったため、予算が増大すればその分定員も増加することになり、結果大学院生の増加へとつながったのである(4)。
このような政府および大学の動きによって、1991年に98,650人だった大学院生の数は、2000年までの9年間で約2倍に、そして2010年には約2.8倍の271,454人にまで増加した(5)。そしてこれに伴って大学院博士課程修了者の数も増加している。図1は、1990年度から2012年度までの「人文科学」の博士課程修了者数とその進路先の推移を表わしたグラフである。これをみると、1991年度は717人だった「人文科学」の博士課程修了者は、その約10年後の2003年度には1,383人と約1.9倍となっており、大学院生全体とほぼ同様の推移を見せたことが分かる。
図1 「人文科学」の博士課程修了者数とその進路先の推移(1990年度~2012年度)
出典:文部科学省の『学校基本調査報告書』各年度版をもとに筆者が作成した(6)。
しかし問題は、増えた若手研究者を吸収する大学教員ポストが増えなかったことにある。
人文・社会科学系大学教員の需給バランスを検証した潮木によると、「1986年以前では、年間900人程度の大学教員が新規に採用されてきた。それが1990年前後にいったん1,300人ほどまで増加し、その後再び減少し、現在(引用者註;2010年)は1,000人前後になっている。」つまり、現状では「年間1,000人程度の採用しかないのに、新規卒業者はその1.3倍まで増加して」おり、供給過剰な状態になっているというのである。さらに潮木は2010年以降の10年間の需給バランスについても、「2,100人から5,900人ほどの博士課程卒業者が供給過剰となる」との見通しを示している(7)。要するに大学院生・博士課程修了者が急増してからは、恒常的な“博士(課程修了者)余り”となり、それが今後10年間も続くと予測されているのである。
自然科学系では、“余った博士”は「ポストドクター等1万人支援計画」を契機にポストドクターとして研究に従事するものが多いが(8)、人文系の場合はそれとは異なる。図1を再び見ると、1990年度以降、博士課程修了者の全体数が増加しているにもかかわらず、「就職者」の数がさほど増えず、代わりに増えた分の多くが「無業者」(9)に吸収されたことが分かる。別の調査によると、2002年度から2006年度までの5年間に「人文科学」の若手研究者が博士課程修了直後に就いた職業では、非常勤講師等(「大学教員(その他)」)の割合が最も高く、29.4%に上るという結果も出ている(図2参照)。そして2010年度では、人文系大学教員のうち、本務校がなくほかに定職も持たない非常勤講師、いわゆる専業非常勤講師の割合は55.1%となっている(10)。大学の人文学教育の半分以上を、この専業非常勤講師が担っていることに注意したい。
図2 2002年度から2006年度の「人文科学」の博士課程修了者の課程修了直後の職業内訳
出典:科学技術政策研究所による『我が国における人文・社会科学系博士課程修了者等の進路動向』をもとに筆者が作成(11)。なお、母数は4,574名である。
非常勤講師やアルバイト、あるいは無職等の期間が短く、その後専任教員へ順調に移行できるのであれば、若手研究者問題はここまで深刻なものとはならなかっただろう。だが、大学院修了直後に非常勤講師となった場合、その後5年を経過してもなお約66%の研究者は非常勤講師の地位に留まっている(12) (13)。非常勤講師等から専任教員へと移行するまでの期間が長期化しており、その間不安定な地位にありながら研究業績を挙げなければならないのが現状なのである。
まとめると、1990年代後半以降、専任教員ポストをめぐる需給バランスが崩壊したことによって、専任教員ポストを目指す人文系若手研究者の多くが長期間にわたって非常勤講師等として滞留している。そして、「高学歴ワーキングプア」として経済的な不安を抱えながら(14)、大学の教育現場を支え、業績を挙げるために研究を続けざるを得なくなっている。これが若手研究者問題である。
2.若手研究者問題と大学図書館との関わり
それでは、この若手研究者問題がなぜ図書館界、特に大学図書館界に関わるものと言えるのか。
この問いに対しては二つの観点から答えることができる。一つは、若手研究者問題がそもそも就職問題であるという点、そしてもう一つが研究環境の提供という点である。
人文系博士課程修了者の就職先はもっぱら大学の研究職に依存しているが(15)、これは裏を返せばそれ以外にキャリアパスが開かれていないということを意味する。そのため、供給過剰な若手研究者をアカデミズム以外の様々な場所で活躍させるための検討が、政府および学界関係者の間で続けられている(16)。
例えば日本学術会議は、2010年に発表した『日本の展望―人文・社会科学からの提言』の中で、大学以外の場における学術的専門職の確立を目指すとして、若手研究者のキャリアパス多様化のための提言を盛り込んでいる。そこには、「国家公務員や地方公務員における『大学院枠』の新設」や「地方自治体における文化政策担当者」と並んで、「図書館司書や博物館・美術館の学芸員」も挙げられている(17)。また、同年に科学技術・学術審議会学術分科会研究環境基盤部会学術情報基盤作業部会が発表した『大学図書館の整備について(審議のまとめ)』では、「研究者として大学図書館の新たなプロジェクトを開発するために調査研究等を行うライブラリアン」には、「大学院において研究者としての知識とスキルを学び、修士もしくは博士の学位を取得する必要がある。……(中略)……長期的には図書館情報学の学位を有するライブラリアンと他分野の学位を有するライブラリアンがバランスよく配置されることが望ましい」とされている(18)(19)。
このように、政府および学界からは、人文系若手研究者のキャリアパスとして、大学図書館を含む図書館界に期待が寄せられているのである(20)。ここに若手研究者問題と大学図書館界とが交わる一つ目のポイントがある。
だが本稿が問題にしたいのはもう一つの点、すなわち研究環境の提供である。
人文系の研究者にとって図書館の提供する文献資料は研究を進める上でなくてはならないものである。しかし、その若手研究者は自身の文献収集環境にあまり満足しておらず、特に博士課程修了後、専任教員ポストに就くまでの間に苦労していることが分かっている。これを示す資料はいくつか存在するが(21)、ここでは特に、筆者を含む若手西洋史研究者約20名が結成した「西洋史若手研究者問題検討ワーキンググループ」によるアンケート調査の結果を紹介したい(22)。
調査は、西洋史の若手研究者(23)の研究環境や経済状況などの実態把握を目的に、2012年10月13日から12月16日までの期間、ウェブアンケート形式で実施した(有効回答数は191件)。このうち、研究活動を進める上での障害を尋ねた設問で「文献を収集する環境が整っていない」と感じるかどうかを質問したところ、190件の回答があった(無回答は1件)(24)。この回答結果を回答者の属性別に分けたグラフが図3である。
図3 「文献を収集する環境が整っていないと感じるかどうか」という問いに対する西洋史若手研究者の属性別回答内訳
出典:西洋史若手研究者問題アンケート調査―中間報告書―(25)
まず全体を見ると、「(文献を収集する環境が整っていないと)とても感じる」「ある程度感じる」という回答が51.3%となっている。西洋史を専攻する若手研究者の2人に1人が文献収集環境に不満を感じていること自体にそもそもの問題があるように思われるが、本稿の課題ではないためこれ以上は踏み込まない。
前段を踏まえたうえで詳細を見ると、「とても感じる」「ある程度感じる」と答えた者の割合が全体平均に比して特に高いのが、「非常勤講師」(26)と「その他」であることが読み取れる。この二者と、残りの「大学院生」、「研究機関研究員」、「大学教員」の違いを考えると、「特定大学に所属して日常的に大学図書館を利用できる立場にあるか否か」という点にあると言えるだろう。つまり、若手研究者のうち、特に非常勤講師や在野の研究者等は、大学所属の研究者に比して、文献収集環境では不利な立場にあることになる(27)。
これはもちろん「当然のこと」だが、だからといって問題ではないということを意味するものではない。すでに述べたように、人文系若手研究者の多くは、博士課程修了後の非常勤講師やアルバイト、あるいは無職の期間に研究業績を挙げて専任教員ポストに就くというルートが一般的となっている。つまり、例外的な存在ではない若手研究者たちが文献の入手で苦労していると感じているのが、「当然のこと」になっているのである。
そしてこのことは、若手研究者の研究活動とその後のキャリアパスを左右する問題なのである。それを示すアンケートの自由記述欄の意見を紹介したい。
「OD(引用者註;オーバードクターのこと。ここでは博士課程所定3年間を超えた、常勤の研究職に就いていない若手研究者のことを指す。)が大学非常勤講師の職の有無を問わずに大学図書館を継続して利用できるよう、制度の改正をしていただきたい。
周知の通り、西洋史研究者の場合は、海外からの文献の取り寄せなど、大学の図書館を通じてしか利用できないレファレンスサービス(ママ)を利用することが不可欠である。
ところが、最近では大学非常勤講師の仕事を見つけることすら困難なため、大学図書館の利用権を全て失う可能性が以前よりも高い。また、学位取得後にいつまでも出身校の近くに居住するわけでもないので、出身校の図書館を使わせてもらうこともできない。こうなると、個人の力ではどうにもならない。もはや研究の継続は不可能である。それは、実験道具を奪われた理系の研究者が研究を断念せざるを得ないのと同じである(28)。」
若手研究者問題は、若手研究者のキャリアパスを研究職以外に広げるという点だけでなく、研究者としてのキャリアパスを進むという点においても、大学図書館界と無関係ではないのである。
3. 大学図書館の若手研究者向けサービスの現状
それでは、大学図書館は実際のところ若手研究者――特に図3の「非常勤講師」と「その他」――に対してどのようなサービスを行っているのか。
国内全ての大学図書館を調査することは難しいので、ここでは「人文科学」の博士号授与数の多い上位10大学の図書館を対象に考えてみたい(29)。
「非常勤講師」と「その他」は、大学図書館の利用者区分としては、「非常勤講師」「学外者」「卒業生」のいずれかに分類される。そのため、対象となる大学図書館(中央館)10館における「非常勤講師」「学外者」「卒業生」それぞれに対するサービス内容、および特に若手研究者を対象としたサービスの有無について、2012年12月末から2013年1月にかけてウェブサイトとメールインタビューをもとに調査を行った。その結果をまとめたのが下の表1である。
表1 2009年度中の「人文科学」の博士号授与数上位10大学の図書館(中央館)における若手研究者向けサービスの有無、非常勤講師・学外者・卒業生へのサービスレベルの現状
大学名 (カッコ内は2009年度「人文科学」の博士号授与数) | 若手研究者向けサービスの有無 | 非常勤講師 | 学外者 | 卒業生 | |||||||||
貸出 | ILL | レファレンス | 電子リソース | 貸出 | ILL | レファレンス | 電子リソース | 貸出 | ILL | レファレンス | 電子リソース | ||
大阪大学(83) | × | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | × | ○ | △ | ○ | × | ○ | △ |
東京大学(65) | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | × | × | △ | × | × | × | ○ | × |
筑波大学(51) | × | △ | ○ | ○ | ○ | ○ | × | × | × | ○ | × | × | × |
京都大学(50) | × | ○ | ○ | ○ | ○ | × | × | ○ | × | × | × | ○ | × |
東北大学(49) | × | △ | ○ | ○ | ○ | ○ | × | ○ | △ | ○※1 | × | ○ | △ |
早稲田大学(43) | × | ○ | ○ | ○ | △ | × | × | × | × | × | × | × | △ |
北海道大学(34) | × | △ | ○ | ○ | ○ | ○ | × | ○ | △ | ○ | × | ○ | △ |
名古屋大学(24) | × | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | × | ○ | △ | ○ | × | ○ | △ |
國學院大学(24) | × | △ | ○ | ○ | ○ | △※2 | × | × | × | ○ | × | × | × |
広島大学(21) | × | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | × | × | △ | ○ | × | × | △ |
出典:各大学図書館ウェブサイトおよびメールインタビューの結果による。
「非常勤講師」のカテゴリーについては、各大学所属の専任教員とサービスレベルが異なるか否かを基準に判断しており、○の場合は同等、△は非常勤講師のサービスが専任教員と比較して劣る場合につけた。「学外者」および「卒業生」では、○×でサービスの有無を表わし、△で条件付きでのサービス実施を意味する。
※1「東北大学萩友会終身会員」になれば、貸出で更に優遇されるサービスがある。
※2山手線沿線私立大学図書館コンソーシアム加盟館の学生・教員であれば可能。
まず、博士課程修了後の若手研究者を対象にサービスを実施しているという回答があったのは、東京大学総合図書館(30)のみであった(31)。このことから、博士を多く世に出すような大学にあっても、それらの利用者を特にターゲットとした図書館サービスは一般的なものではないと言える。
次に、「非常勤講師」向けのサービスについては、おおむね専任教員と同等のサービスレベルとなっている。ただし一部の館では、貸出冊数が専任教員よりも少なく大学院生と同じ冊数であったり、電子リソースについては契約上一部のみしか提供できていなかったりする場合もあった。
非常勤講師が専任教員とおおむね同等のサービスレベルであるということをもって若手研究者に対する図書館サービスの現状に満足しそうになるが、前章のアンケート結果を思えば、ここは少し立ち止まって考えるべきだろう。
科学技術政策研究所の調査によると、博士課程修了者の大学教員(専任・非常勤ともに含む)としての就職先が博士課程と同一大学である比率は、人文系の場合21.2%という(32)。裏を返せば、博士課程修了後に大学教員となった者のうち約8割が、出身大学とは別の大学に勤務していることになる。別の大学に専任教員として勤めるのであれば大学図書館を利用する上であまり問題はないと思われるが、――前章のアンケート結果で約半数が文献収集環境に不満を感じていたことを思えば必ずしも楽天的にはなれないが――博士課程修了直後は専業非常勤講師となる者の方が多い。関西圏大学非常勤講師組合等がまとめた『大学非常勤講師の実態と声 2007』によると、居住地の回答(993件)と勤務地の回答(1,610件)との間に開きがあることから、県をまたいで勤務する非常勤講師も少なからず存在していることが分かる(33)。そのため、遠方にある勤務先図書館よりも自宅近くの、場合によっては慣れ親しんだ出身大学の図書館の利用を望む者もいるだろう。しかしそれらの研究者が、その大学図書館を利用する際は、「学外者」あるいは「卒業生」という利用者区分にならざるを得ない。あるいはまた、前章で紹介したアンケートには、現在、非常勤講師の職すら得ることが難しくなっていること、学位取得後も出身大学の近くに住み続けてその大学図書館を利用するわけではないとの意見もあった。そのため、転居先の近隣の大学図書館が仮に地域に開放しているのであれば、「学外者」としてそれを利用するケースも想定される。要するに、若手研究者の利用者区分としては、「非常勤講師」だけでなく、「学外者」や「卒業生」も十分考えられるということである。
その「学外者」あるいは「卒業生」向けのサービスについて、表1に挙げた10館の中では貸出やレファレンスサービスを提供しているところは比較的多いものの、電子リソースの提供は行っていないか、あるいはウォークインユーザーへの提供可能範囲に留まっている。また、ILLサービスはどの館も提供していない。つまり、「学外者」あるいは「卒業生」向けのサービスは、もっぱら自館の所蔵資料の提供に留まっているのが現状なのである。
人文学の研究を進める上で、大学図書館1館の資料だけで完結することはほぼ想定しえない。そのため、「学外者」あるいは「卒業生」として大学図書館を利用する若手研究者にとっては、このサービスレベルは満足できるものとは決して言えないだろう。
なぜ大学図書館の「学外者」あるいは「卒業生」向けサービスは所蔵資料の提供のみに留まっているのだろうか。その理由としては、まずもって各館の人的リソースや財政事情等が想定される。だが、一つの補助線として考えられるのは、大学図書館の地域開放が進められてきた経緯そのものだろう。現在、国公私立大学図書館の93.6%が学外者の利用を認めているが(34)、種々の先行研究や事例報告において、そのような地域開放が1980年代以降の生涯学習への対応を出発点としていたことが指摘されている。そしてその後の地域開放は、情報公開法と大学の独立法人化への対応から制度面で、そして法人化後の社会貢献への対応という理念面で、拡大が続けられてきた(35)。だがこの文脈での地域開放は、ここで問題としているように、主に単館レベルの利用提供を中心に行われてきたのであった(36)。
したがって、若手研究者への図書館サービスを考える場合、学外者への開放をこれまでの生涯学習/社会貢献という文脈とは別に、若手研究者のおかれた現状から再考する必要があると言える(37)。
おわりに
人文系の若手研究者にとっては、“学外者”となった期間に行った研究がその後のキャリアにとって極めて大きな意味を持つ。そしてその期間にある若手研究者が、実質的に大学教育の多くを支えている。そのような状況がここ20年の間に拡がってきたのである。
「大学図書館は学内構成員である学生と教員のためのものである」とはしばしば聞く言葉である。確かにそうだろう。しかし本稿で論じてきたように、その前提は若手研究者のおかれた現状にもはやそぐわないものとなっている。
若手研究者が「高学歴ワーキングプア」という“憐れむべき人々”だから、というのではない。彼ら/彼女らが大学教育の現場と大学の目指す学問の発展を現に支えている研究者だからこそ、その現実を踏まえたサービスを提供することが、大学図書館界に求められる責務ではないだろうか。筆者はそう問いたいのである。
(1) 主に自然科学系ではポストドクター問題(ポスドク問題)と呼ばれているが、ここでは総称的に「若手研究者問題」という語を採用した。
(2) 1990年代以前においても若手研究者が就職できず、「オーバードクター問題」と呼ばれ社会問題となったことがあったが、現在の若手研究者問題とはその背景や規模等が異なる。
国立教育政策研究所ほか編. ポストドクター問題: 科学技術人材のキャリア形成と展望. 世界思想社, 2009, p. 12.
(3) 2000年に「教官当積算校費」と「学生当積算校費」が「教育研究基盤校費」に一本化されたことで、すでにこの方法はメリットを失っている。
前掲. p. 22.
(4) 前掲. p. 17-29.
榎木英介. 博士漂流時代: 「余った博士」はどうなるのか?. ディスカヴァー・トゥエンティワン, 2010, p. 99-104.
日本社会学会. 若手研究者の研究・生活の現状と研究活性化に向けた課題: 社会学会若手会員へのアンケート調査報告書. 2010
http://www.gakkai.ne.jp/jss/hokokusho.pdf, (参照 2013-01-01).
(5) 中央教育審議会. “グローバル化社会の大学院教育”. 文部科学省, 2011-01-31.
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2011/03/04/1301932_01.pdf, (参照 2012-12-30).
(6) 1990年度(平成2年度)から1999年度(平成11年度)分までは冊子体資料を、2000年(平成12年度)から2012年度(平成24年度)分まではe-Satのデータを利用した。
文部省大臣官房.学校基本調査報告書(高等教育機関編)
“学校基本調査”. e-Stat.
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001011528, (参照 2013-01-04).
なお、1999年度調査からそれ以前の年度では「無業者」であった項目が「左記以外の者」と表記が変更されているが、グラフでは統一的に「無業者」と扱った。2004年度調査から、「専修学校・外国の学校等入学者」という項目が新設されているが、グラフでは「進学者」に統一している。また、同年度調査から「一時的な仕事に就いた者」という項目が新設されている。2012年度調査では、「就職者」のカテゴリーに「正規の職員等」と「正規の職員等ではない者」が、「『進学者』のうち就職している者」のカテゴリーに「正規の職員等」と「正規の職員等ではない者」がそれぞれ登場しているが、グラフでは統一させた。
(7) 潮木守一. 大学教員の需給アンバランス―今後10年間の推計結果をもととする―(人文科学系・社会科学系について). 広島大学高等教育研究開発センター大学論集. 2011, (42), p. 133-134.
http://rihe.hiroshima-u.ac.jp/tmp_djvu.php?id=103758, (参照 2012-12-30).
(8) 「ポストドクター等1万人支援計画」とは、1996年に策定された「第1期科学技術基本計画」に盛り込まれた計画である。当時不足が予想された研究現場での人材確保のために、任期付きのポストドクターの数を増やしキャリアパスとして位置づけることで、日本の研究開発能力の強化が目指された。
榎木英介.前掲, p. 44-49, p. 102-104.
文部科学省科学技術政策研究所第1調査研究グループ. 我が国における人文・社会科学系博士課程修了者等の進路動向. 2012, p. 22.
http://data.nistep.go.jp/dspace/bitstream/11035/1165/2/NISTEP-RM215-FullJ.pdf, (参照 2012-12-30).
(9) 2004年度以降は「一時的な職に就いた者も含む」の項目が新設されている。グラフの推移から、2004年度以前は非常勤講師等の「一時的な職に就いた者」が「無業者」の扱いになっていたと推定される。
(10) 2010年度(平成22年度)の学校教員統計調査データをもとに算出した。
“学校教員統計調査”. e-Stat.
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016172, (参照 2013-01-05).
(11) 文部科学省科学技術政策研究所第1調査研究グループ. 前掲. p. 23.
(12) 前掲. p. 52-54.
また、潮木によると、人文系の新規専任教員の直前の経歴では「その他=推定無職」の者が最も多く、2006年度は68%にまで上っていたという。
潮木. 前掲. p. 133.
(13) 非常勤講師が5年間経過後も非常勤講師のままでいるものが多い反面、博士課程修了直後にポストドクターとなったものは5年経過すると専任教員となったものが約57%と最も多い。
前掲. p. 52.
(14) 水月昭道は、博士号を取得した若手研究者がアルバイト等で経済的に困窮している様を「高学歴ワーキングプア」というセンセーショナルな言葉で紹介し、話題となった。
水月昭道. 高学歴ワーキングプア: 「フリーター生産工場」としての大学院. 光文社, 2007, 217p.
水月昭道. アカデミア・サバイバル: 「高学歴ワーキングプア」から抜け出す. 中央公論新社, 2009, 248p.
水月昭道. ホームレス博士: 派遣村・ブラック企業化する大学院. 光文社, 2010, 214p.
(15) 図2で挙げた2002年度から2006年度の「人文科学」の博士課程修了者の課程修了直後の状況を就職先機関別に分けると、71.7%が大学で働いているという。
文部科学省科学技術政策研究所第1調査研究グループ. 前掲. p. 27.
(16) キャリアパス多様化のための実際の取組みは、主に自然科学系研究者を対象としたものとなっており、人文系研究者への取組みは決して多くはない。例えば、以下のプロジェクトが自然科学系を対象としたものである。
博士人材キャリア開発サイト. 科学技術振興機構.
http://www.jst.go.jp/phd-career/index.html, (参照 2012-12-31).
(17) 日本学術会議日本の展望委員会人文・社会科学作業分科会. “日本の展望-人文・社会科学からの提言”. 日本学術会議. 2012-04-05.
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-tsoukai-1.pdf, (参照 2012-12-30).
(18) 科学技術・学術審議会学術分科会研究環境基盤部会学術情報基盤作業部会. “大学図書館の整備について(審議のまとめ)-変革する大学にあって求められる大学図書館像-”. 文部科学省. 2010-10.
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/toushin/1301602.htm, (参照 2012-12-30).
(19) キャリアパスとして具体的に「図書館」という言葉は登場していないものの、第3期(2006年)に続き第4期の『科学技術基本計画』(2011年)や、科学技術学術審議会学術分科会が2012年に公表した『リスク社会の克服と知的社会の成熟に向けた人文学及び社会科学の振興について(報告)』にも、若手研究者のキャリアパス多様化に向けた計画や提言等が記されている。
“科学技術基本計画”. 文部科学省. 2011-08-19.
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/08/19/1293746_02.pdf, (参照 2012-12-31).
科学技術学術審議会学術分科会. “リスク社会の克服と知的社会の成熟に向けた人文学及び社会科学の振興について(報告)”. 文部科学省. 2012-07-25.
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/toushin/__icsFiles/afieldfile/2012/09/06/1325061_1.pdf, (参照 2012-12-31).
(20) 一方の図書館界、それも特に大学図書館界からは、管見の限り特に反応はないようである。例えば国立大学図書館協会人材委員会が2012年3月に発表した『図書館職員の人事政策課題について(提言)』においては、本文で触れた『大学図書館の整備について(審議のまとめ)』を引用しながらも、大学図書館界における若手研究者の積極的な活用については何も論じられていない。
国立大学図書館協会人材委員会. “図書館職員の人事政策課題について(提言)”. 国立大学図書館協会. 2012-03.
http://www.janul.jp/j/projects/hr/jinjiseisakukadai.pdf, (参照 2012-12-31).
(21) 本文で紹介する西洋史若手研究者問題検討ワーキンググループのアンケート調査のほかにも、例えば、早稲田大学女性研究者支援総合研究所による大学院生と若手研究者を対象にした一連の「研究者養成のための男女平等プランに関する調査」(2007-2008年)や、日本社会学会による『若手研究者の研究・生活の現状と研究活性化に向けた課題に関する調査』(2009年)、立命館大学のポストドクターに対する研究支援ニーズ調査(2009年)等において、一定の割合で若手研究者の文献収集環境や大学図書館に対するニーズが存在していることが分かる。
“若手研究者の研究・生活の現状と研究活性化に向けた課題: 日本社会学会若手会員へのアンケート調査報告書”. 日本社会学会.
http://www.gakkai.ne.jp/jss/hokokusho.pdf, (参照 2012-12-31).
斉藤富一ほか. 人文・社会科学分野のポストドクターを対象とした研究支援策の構築: 立命館大学における若手研究者育成の視点から. 大学行政研究. 2011, (6), p. 35-48.
http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/2362/1/30042808_0603.pdf, (参照 2012-12-31).
“若手研究者ならびに教職員を対象とした実態把握調査”. 早稲田大学女性研究者支援総合研究所.
http://www.waseda.jp/prj-giwr/project/chosa.html, (参照 2012-12-31).
(22) 西洋史若手研究者問題検討ワーキンググループ.
https://sites.google.com/site/futurehistoriansjp2012/, (参照 2013-01-05).
(23) ここでいう「若手研究者」について、回答者に対しては年齢制限を行っていない。回答者自身の判断による。
(24) アンケートでは文献収集環境の設問の直前で、「文献を購入する経済的余裕があるかどうか」を質問している。そのためここでの結果は、もっぱら回答者のおかれた環境面に基づく回答と言える。
(25) “西洋史若手研究者問題アンケート調査―中間報告書―”. 西洋史若手研究者問題検討ワーキンググループ.
https://sites.google.com/site/futurehistoriansjp2012/, (参照 2013-03-13).
(26) ここでいう「非常勤講師」とは、本務校を持たずに非常勤講師として生計を立てている、いわゆる専業非常勤講師を指す。
(27) 日本社会学会の若手研究者向けアンケート調査では、「大学院生」「非常勤講師」「機関等研究員」「大学教員(専任)」の属性のうち、「文献を収集する環境が整っていない」と回答する割合が最も高かったのは「非常勤講師」であった。このことから、非常勤講師が文献収集環境に不満を感じているのは、西洋史のみではないと言える。
日本社会学会. 前掲.
(28) “西洋史若手研究者問題アンケート調査―中間報告書―”. 西洋史若手研究者問題検討ワーキンググループ.
https://sites.google.com/site/futurehistoriansjp2012/, (参照 2013-03-13).
(29) この原稿を執筆している時点(2013年1月)では、2009年度(平成21年度)のデータが最新であった。なお、表1の10校だけで当該年度の「人文科学」の博士号授与者の約半数を占めている。
高等教育局大学振興課. “平成21年度博士・修士・専門職学位の学位授与状況”. 文部科学省.
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2012/10/23/1299723_05.pdf, (参照 2012-12-31).
(30) 2012年12月26日付けの東京大学総合図書館からのメールでの回答によると、同館ではオーバードクター(同大学の博士課程修了者また同大学において所定の修業年限以上在学し所定の単位を修得の上博士課程を退学した者)に対して、所定の手続きをすれば貸出及び書庫に入庫することができるとのことであった。
(31) なお、上位10大学の圏外ではあるが、関西大学図書館でも東京大学総合図書館と同様に、同大学博士課程修了者および所定単位修得後退学者を対象として、貸出と書庫入庫許可をしていることは特に指摘しておきたい。
“本学の博士課程後期課程修了者および所定単位修得後退学者の利用”. 関西大学図書館.
http://web.lib.kansai-u.ac.jp/library/non_member/doctoral.html, (参照 2012-01-07).
(32) 文部科学省科学技術政策研究所第1調査研究グループ. 前掲. p. 59.
(33) “大学非常勤講師の実態と声 2007(PDF版)”. 関西圏大学非常勤講師組合.
http://www.hijokin.org/en2007/pdfindex.html, (参照 2013-02-13).
(34) 文部科学省研究振興局情報課. 平成23 年度学術情報基盤実態調査結果報告. 国立大学図書館協会. 2012-06.
http://www.janul.jp/j/documents/mext/jittai23kekka.pdf, (参照 2012-12-31).
これに関連し、創価大学附属図書館は「市民利用可能な大学図書館」のウェブページを開設し情報提供を行っている。
“市民利用可能な大学図書館”. 創価大学附属図書館. 2012-07-28.
http://lib.soka.ac.jp/support/2.6.4.html, (参照 2013-01-05).
(35) 土田大輔. 大学図書館と社会貢献. 図書の譜. 2005, (9), p. 145-158.
http://hdl.handle.net/10291/424, (参照 2013-01-05).
富田健市. 特集; 大学図書館の現在. 国立大学図書館における一般開放への取り組みについて. 図書館雑誌, 2008, (102)2, p. 88-90.
逸村裕. “地域連携”. 変わりゆく大学図書館. 逸村裕ほか編. 勁草書房. 2005, p.153-162.
“国立大学図書館協会経営問題委員会報告書: 法人化のなかの国立大学図書館経営”. 国立大学図書館協会. 2006-03.
http://www.janul.jp/j/projects/mi/keiei_hokokusho.pdf, (参照 2013-01-01).
(36) 文部科学省による学術情報基盤実態調査では、大学図書館の公開状況について情報がまとめられているが、そこで挙げられている項目は「情報検索」「館内閲覧」「館外貸出」「複写サービス」「参考調査」「その他」であり、単館レベルの利用範囲が主となっている。
文部科学省研究振興局情報課. 平成23 年度学術情報基盤実態調査結果報告. 国立大学図書館協会. 2012-06.
http://www.janul.jp/j/documents/mext/jittai23kekka.pdf, (参照 2012-12-31).
(37) 本稿では若手研究者が博士課程修了後に「学外者」となっているという前提に基づいて、大学図書館がそれら若手研究者の支援に乗り出す場合についての考察を行った。そのため、若手研究者を学外者ではなく「学内構成員」にして、従来通りの図書館サービスを提供するということも十分考えられることである。これに関しては、例えば九州大学や北海道大学等の専門研究員制度が参考になるだろう。
専門研究員・学振研究. 九州大学文学部・大学院人文科学府・大学院人文科学研究院.
http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/research/special_research.php, (参照 2013-01-04).
文学研究科専門研究員(Postdoctoral researcher). 北海道大学大学院文学研究科・文学部.
http://www.let.hokudai.ac.jp/graduate/system/postdoc.php, (参照 2013-01-04).
あるいは、特に若手研究者に限らずとも学外者に対する社会貢献事業で結果的に若手研究者支援となるものもある。例えば広島大学の「フレンドリー利用制度」では、一定額以上の寄附を納めることで、同大学の学部学生が受けているサービスと同様のサービスを受けることが可能になる。そして実際にこの制度を利用した若手研究者からは好意的な意見が寄せられたとのことである。
板谷茂. 広島大学図書館の社会貢献事業: 「図書館フレンドリー利用証」と「地域交流プラザ」. 大学図書館研究, 2006, (76), p. 15-20.
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00021552, (参照 2013-01-04).
また、類似の例としては、名古屋大学附属図書館友の会もある。
“名古屋大学附属図書館友の会”. 名古屋大学附属図書館.
http://www.nul.nagoya-u.ac.jp/tomo/index.html, (参照 2013-01-04).
Ref:
広渡清吾. 特集; 若手研究者の育成: 人文社会科学における若手研究者の育成. 学術の動向. 2008, 13(9), p. 11-15.
特集: 科学・技術の危機とポスドク問題: 高学歴ワーキングプアの解消をめざして. 国公労調査時報. 2009, (555), p. 4-40.
特集: 高学歴ワーキングプアの解消をめざして: 学術の危機と若手研究者・ポスドク問題. 2010, (572), p. 5-33.
崎山直樹. 崩壊する大学と「若手研究者問題」: 現状分析と展望. 歴史学研究. 2011, (876), p. 37-46.
[受理:2012-02-14]
菊池信彦. 若手研究者問題と大学図書館界―問題提起のために―. カレントアウェアネス. 2013, (315), CA1790, p. 13-20.
http://current.ndl.go.jp/ca1790