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福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】ムナーリと子どもたちのワークショップ風景【写真】ムナーリと子どもたちのワークショップ風景

「創造性」って何だろう? ブルーノ・ムナーリを辿りながら──デザイナー、アーティスト、教育者の随想 こここスタディ vol.22

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巨匠ブルーノ・ムナーリのクリエイティビティ

「クリエイティブな視点を身につけたい」、あるいは「クリエイティブな存在になりたい」。不確実な未来に向け歩かなくてはいけない社会の中で、そんな願いを持ったことがある人は少なくないでしょう。

“福祉に宿るクリエイティビティをたずねる”を掲げてスタートした〈こここ〉でも、人の福祉(幸せ)に関わるユニークな取り組みと、それを仕掛けた人の創造性に数多く出会ってきました。一方で、その創造性を発揮できた人の背景には何があったのか、どんな視点を育んできて今その人があるのかまでは、取材で踏み込みきれていないことも多くありました。

【写真】バイオリンを弾くブルーノ・ムナーリのポートレート
photo by Luca Cenerelli

そこで今回たずねるのが、20世紀イタリアを代表する美術家、デザイナーのブルーノ・ムナーリ(1907〜1998)。世界の第一線で活躍しているクリエイターたちが過去、その実践をさまざまに参照してきた人物です。

彼は生涯をかけ多くのプロダクトやグラフィックデザインを生み出しながら、絵画や彫刻などたくさんの芸術作品も残しました。『役に立たない機械』『みたての石』シリーズや、『読めない本』『本に出会う前の本』をはじめ、ユニークなアートや絵本、玩具なども多数制作。そして晩年には、子ども向けのワークショッププログラムを編み出し、教育活動に力を入れたことでも知られています。

日本でも、2007年には生誕100年に際して「ブルーノ・ムナーリ展 あの手この手」など多くの展覧会が、また2018年にも巡回展「ブルーノ・ムナーリ こどもの心をもちつづけるということ」が開かれるなど、今なお注目のやまない人物。そんなムナーリは、人の創造性をどのように捉えていたのでしょうか。その力をどう次世代に伝え、育もうとしていたのでしょうか。

ムナーリの軌跡から、創造性を生み出すヒントを何か得られたら──。そんな思いで、彼の思想や発見、子どもとの関わりを自らの活動に生かす3名に、文章を寄せていただきました。

・阿部雅世さん(デザイナー)
『ムナーリのことば』『正方形』『円形』『三角形』(平凡社)他、ムナーリの本の翻訳者。金沢美術工芸大学、エストニア芸術大学客員教授。ベルリン在住

・志村信裕さん(現代美術作家)
映像インスタレーションや、ドキュメンタリーの手法を取り入れた映像作品を制作。可視化され難い社会問題や歴史に焦点をあてるプロジェクトを手がける

・藤田寿伸さん(教育研究者)
東京成徳大学子ども学部准教授。プロダクトデザイナーとして国内外で活動後、幼稚園教諭としての勤務を経て現職。芸術教育、幼児教育などが専門

創造性を刺激するムナーリの「仕掛け」──阿部雅世

【写真】2冊の書籍
『空想旅行』『点と線のひみつ』ブルーノ・ムナーリ 著/阿部雅世 訳(編集部撮影)

ムナーリが1984年にコッライーニ出版のためにつくった『Libro illeggibile(読めない本)MN1』。いろんな形に切り込んだ色紙のページが、次々と新しい景色を展開する小さな正方形の冊子だ。それを20年近く前だったか、グラフィックデザイナーの野口孝仁さんの小さかったお子さんたちに差し上げたことがある。しばらくして野口さんが「子どもたちが折ったり、切ったりして、なんか違うものになっちゃいましたけど、それでいいんですよね。」と言ってこられた。子どもたちは正しい。それこそがムナーリが望んだこと。

ムナーリが晩年に作った『空想旅行』と『点と線のひみつ』。この小さなデザイン教本は、画用紙に印刷され画帳の体裁で綴じられた本だ。二冊を翻訳し、その特別な装丁で復刻した日本語版を出したときには、イラストレーターの阿部隆夫さんに、本を差し上げた。すると「色をのせてみたい衝動にかられて、さっそくいろいろ描きこんでしまいました。」という手紙がきた。隆夫さん、よくぞ描きこんでくださった。それこそが、ムナーリが望んだこと。

ムナーリは、なぜ、いろんな形に切り込んだ色紙を束ねて『読めない本』を作ったのか。なぜ、わざわざ画用紙に画帳の装丁で『空想旅行』や『点と線のひみつ』を作ったのか。それは人の創造性を刺激するために必要な仕掛けだからだ。ムナーリが切り紙遊びをした色紙の束。ムナーリが空想遊びの点や線や物語のメモを描きこんだ余白の多い画帳。手にした人がムナーリの遊びの痕跡に触発され、創造の心の赴くままに切ったり、折ったりし、いたずら書きのように何かを描きこみ始めたとき、それらの本は、はじめてその真価を発揮する。

私たちは大人の分別に従い、この大切な本を丁寧に開いて、閉じて、きれいなまま本棚にしまっておこうとしてしまう。でも、ムナーリに触発されて、うずうずしている自らの創造性を発揮するには、そういう分別から自由になり、好奇心いっぱいのいたずらっ子になって、これらの本に向き合う必要がある。これがなかなかむつかしいのだが、幸いなことに、そんな分別には一向に無頓着で、自由な心を持ったままの子どもはたくさんいる。そして、その自由な心を失わぬまま育ってしまった大人、社会の中でその心の置きどころに困っている大人も、実は少なからずいる。ムナーリは遊び心を失えぬそんな自分の仲間に向けて、この本を差し出しているのだろうと、私は確信している。

“さあ、ここからは
きみの番だ。
続けてやってみてごらん。”

──ブルーノ・ムナーリ『空想旅行』(トランスビュー)より

ワークショップで映し出される「個性」の正体──志村信裕

 
 
 
 
 
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「つくりかけラボ02 志村信裕|影を投げる」千葉市美術館

ワークショップの講師をよく頼まれる。対象は子ども向けが多く、短時間で参加者に何かをつくってもらうことを主催者からは期待される。そんな諸条件のなかで、作家である自分が子どもたちと一緒にできることを構想する時、いつも頭に浮かぶのはムナーリの仕事だ。「つくること」ってそもそも何だろうと、創造の原点に立ち返ることができるからだ。

最初の出会いは、大学院時代に読んだ『ファンタジア』(萱野有美 訳)。デザイナーではなく、現代美術作家を志していた自分にとっても、表現のヒントに満ち溢れていたし、文化人類学的な知性を感じるムナーリの哲学に惹かれた。なかでも子どもたちとスライドプロジェクターを使い、身近なものを異化させる「ダイレクト・プロジェクション」は衝撃だった。自分もその当時から映像インスタレーションを制作していて、偶然にもムナーリと同じように現実の風景やモノを異化させるための道具としてプロジェクター(投影機)を扱ってきた。しかし、1950年代からすでに「投影すること」を美術教育の領域で応用してきたムナーリの先見性に、目から鱗が落ちるような感動を覚えたのだった。

唐突だが、幼児の描く絵には、言い知れぬ魅力がある。その一つは、後天的に学習できる創作のテクニックとは無縁な自由奔放さに対して、大人たちがある種の憧れとして感じ取る「良さ」だ。この「良さ」を、先天的な「個性」と言い換えてもいい。しかし、年齢を重ね、社会性という規範(コード)が内面化されていくと、子どもの描き方は均質化していき、魔法が解けたように個性は均されていく。未熟な幼児時代の方が個性を発揮しやすい環境を、実は私たち大人が、無意識につくってしまっていないだろうか。

ワークショップをする際、僕が子どもたちに期待しているものは個性だ。上手い、下手という相対的な評価のものさしが生まれないように、できるだけテクニックに依存しないワークショップの形態を好む。たとえ一瞬でも、子どもたち固有の絶対的な手癖や思考の跡が視覚化できれば成功だと考えている。そんな最終的なアウトプットを逆算して、ワークショップを設計していく時、ムナーリの実践はまさにそのお手本となる。特に「ダイレクト・プロジェクション」は、自分ならではの視点を画材すら使わず可視化し、拡大させる過程で、創造の本質を鮮やかに体感させる。それはまさしく現代美術作家として作品をつくり続けてきた自分がやってきたことと、ぴったり重なるのだ。

“ある人が将来クリエイティヴな人間になるか、あるいは単なる記号の反復者になるかは教育者にかかっている。ある人が自由に生きるのか、それとも条件づけられて生きるのかは人生の初期段階をどのように過ごしたか、そこで何を経験し、どんな情報を記憶したか、ということにかかっているのである。大人たちは未来の人間社会がかかっているこの大きな責任に気づくべきではないだろうか。”

──ブルーノ・ムナーリ『ファンタジア』(みすず書房)より

子どもが“創造したくなる”教育をつくる──藤田寿伸

【写真】ムナーリと子どもたちのワークショップ風景
©️Beba Restelli

誰かが考えたものを真似るだけでなく、「自分で新しいことを思いついて形にすること」「それを他の人と共有できること」は、人間の生活や社会をよりよいものにすることにつながります。芸術は、それまでにない新しい価値を探して感じとれる形に表す行為ですから、芸術を通して創造性を高めることが、人間にとってとても大切だとムナーリは考えていました。

しかし、彼が芸術家として優れたデザインやアート作品を提案しても、多くの大人たちはすでに固定観念に囚われて、次の創造性につながらないことにムナーリは気づいていきます。次第に「創造性は幼児期にこそ大切に育てなければいけない」と考えるようになり、70歳頃から子どものための造形教育ワークショップに力を注ぎました。

ムナーリは芸術家の視点から教育に関心をもち、子どもの発達について興味を深めました。哲学者デューイの教育学や、心理学者ピアジェの発達・認識論はムナーリに大きな影響を与え、子どもの学びを「主体的な興味関心」によって最適化し、「実体験」を介して定着させようとする、ムナーリのワークショップ・メソッドの原理となりました。今なお世界で多くの研究者や教育者が、これを引き継ごうと、さまざまな実践を積み重ねています。

子どもたちの創造性を育むためには、描いたり作ったりする表現の方法を大人が子どもに教える必要があります。しかしその上で、ムナーリは「何を表現するかは、子どもたちに委ねさせなければならない」と言っています。大人たちが担うべき仕事は、そのきっかけになる“問い”を工夫して投げかけること。準備を整えながらも、子どもたちの選択や表現の成果に口を出さないこと。

大人が決めたことをやらせる教育ではなく、あくまで「子どもが創造したくなる環境」をつくる教育が、次の時代の創造性につながるとムナーリは考えたのです。

“今日のこどもたちは明日(未来)の大人たちです 彼らが型どおりな人生から自由に生きられるように助けよう 彼らの感覚が成長するのを助けよう より感受性の豊かな人間になれるよう助けよう 創造的なこどもは幸せなこどもだから”

──ブルーノ・ムナーリ【Beba Restelli, 2002, GIOCARE CON TATTO, FrancoAngeli より藤田寿伸 訳】

※本記事に使用したムナーリの写真は、今もイタリアで実践を引き継ぐベバ・レステッリさんに提供いただきました


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連載:こここスタディ