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プロジェクト・シンジケート(チェコ)

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Text by SLAVOJ ŽIŽEK

スロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクは、「最後の人食い人間」の逸話を例に、これまでの為政者たちは自ら犯した罪を隠匿してきたと指摘する。

だが近年、愛国主義を標榜する政治家たちは、自身の罪を隠すことなく「祖国のための行動だ」と誇示する傾向があるという。シジェクが今、危惧することとは何なのか──?

最後の「人食い人間」を食べた者は…


ふつう、自国を「文明国の代表」として示そうとするならば、その原罪を曖昧にし、野蛮な面を隠して表目に出ないよう懸命になるものだ。ところが最近、右派の指導者たちのあいだでは“勇気をもって”こうした虚飾まみれのふるまいをやめ、堂々と罪を犯すという危険な傾向が見られる。

オーストラリア先住民に初めて遭遇した探検家についての話を思い出そう。「あなたたちのなかに、人食いはいますか?」と彼は訊く。「いないですよ。昨日、生き残っていた最後の人食いを食べたので」と彼らは答える。最後の人食い人間を食べて文明化された共同体を立ち上げるには、その行為を「人食い」とは別の名で呼ばなければならない──つまり「最後の人食い」は、記憶から消し去るべき一種の原罪なのだ。

同じように米国の「西部開拓時代」においても、近代の法秩序を確立するまでには、野蛮な犯罪の数々と、それを隠蔽するための神話が必要だった。ジョン・フォード監督による西部劇『リバティ・バランスを射った男』の登場人物はこう言った。

「伝説が事実になるのなら、伝説のほうを記事にしろ」

しかし伝説から生まれた「事実」の数々は、立証可能な真実ではなく、社会のなかで作られた人工的な事実である。社会・政治的な秩序の基盤となる共有観念とでも言おうか。これを否定する人がある程度に達すれば、秩序全体が崩壊することになる。

現代文明は、いまだに野蛮さに依存している。だが、社会的に構築された共有観念があるからこそ、その社会における原罪は隠されたまま、静かに機能し続ける。権力の法的機関が「強化尋問」という名のもとに、どれほど法外な拷問をしてきたかを思い起こせばすぐにわかることだ。


右翼の「ヒロイズム」とは


ところが今、新タイプの政治体制が現れつつあると、哲学者のアレンカ・ジュパンチッチが近著『腐らせておけ』(未邦訳)で指摘している。自分たちの行為が「あたかも根本的に異なる道徳観や性格の発露であるかのように、すなわち自分たちがそれを公然とおこなうための勇気や根性をもっているかのように」、その犯罪を誇示する指導者が増えているのである。

しかし、ジュパンチッチはすぐにこう付け加える。
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