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レーニンは1924年1月21日に死去(享年53歳)。永久保存のため遺体はエンバーミング加工された
Photo: Georges DeKeerle / Sygma / Getty Images

レーニンは1924年1月21日に死去(享年53歳)。永久保存のため遺体はエンバーミング加工された
Photo: Georges DeKeerle / Sygma / Getty Images

来る1月21日、レーニンの没後94年を迎える。遺体は死後すぐに防腐処理を施され、いまに至るまで一般公開されている。モスクワの赤の広場にある霊廟は、見学客の長い行列ができる人気スポットとなっているが、この観光名所を撤去しようという声がロシア国内で高まっている。そうなれば、革命家のつややかな亡骸は、もう二度と拝めなくなる。

クレムリンの城壁前に鎮座するレーニン廟
Photo: iStock / Getty Images


美しすぎるあの女性も、次期大統領候補も


レーニン廟撤去案は、毎年のように持ち上がっては消え、かれこれ30年も議論され続けている。最近この論争に参戦したのは、ロシアのお騒がせ有名人の3人だ。

「レーニンを廟から引っ張り出して埋葬すべき」と主張しているのは、チェチェン共和国の独裁者ラムザン・カディロフ、クリミアの“美しすぎる検事総長”ことナタリヤ・ポクロンスカヤ(現ロシア連邦下院議員)、そして、セレブタレントで次期大統領選に立候補を表明しているクセニア・サプチャクだ。

まず、チェチェンのカディロフ首長(41)が口火を切った。カディロフは2017年11月、テレグラム(メッセージアプリ)で「レーニンの遺体もハジ・ムラートの遺体も、きちんと埋葬し直すべき」だとコメントした。ハジ・ムラートはチェチェンの宗教指導者の盟友で、カフカス戦争の英雄だが、切断された遺体の頭部だけがサンクトペテルブルクの博物館に収蔵されている。

「チェチェンの狂犬」と呼ばれるラムザン・カディロフ
Photo: Sefa Karacan / Anadolu Agency / Getty Images


カディロフの主張を支持したのが、与党「統一ロシア」のナタリヤ・ポクロンスカヤ議員(37)だ。ポクロンスカヤは自身のフェイスブックにこう投稿した。

「大勢の人に見せるために死んだ人を『展示』するだなんて。それを見て喜びを感じたり、楽しい気持ちになったりする人がいるかしら?」

鳩山由紀夫元首相も惚れ込んだナタリヤ・ポクロンスカヤ
Photo: Mikhail Svetlov / Getty Images


この非公式の連帯に、テレビ司会者のクセニア・サプチャク(35)が同調した。サプチャクは3月の大統領選への出馬を表明している。当選後に真っ先に実現したいことを訊かれた彼女は、「レーニンの死体を赤の広場から取っ払う」と答えたのだ。

「あれって本当に胸糞悪いわ。この国はいま、中世に逆戻りしそうになっているけど、その理由の一つがあれだと思うの。だって21世紀にもなって、国の重要な広場に人間の死体が横たわっているのよ。その人物の政治思想とか、祖国への歴史的貢献とか、そんなこと関係ない」

プーチン対抗馬に名乗りを上げたクセニア・サプチャク
Photo: Sefa Karacan / Anadolu Agency / Getty Images


さらに彼女は、この問題を国民投票にかけるべきだと提案した。

これには、レーニン廟保存派のロシア共産党がほとんど瞬間的に反応した。共産党のジュガーノフ委員長は即座に声明を出した。

「廟の保存は最終決定であり、覆すなどあり得ないことだ。それにレーニンの棺が置かれているのは地下2mの深さで、ロシア正教の宗規にもかなっている。地下の遺体安置所なんて世界中にいくらでもある」

地下の薄暗い空間にガラスの棺が安置されており、革命家の顔が照らし出されている
Photo: Elizaveta Becker / ullstein bild / Getty Images


共産党は、この問題の決定権はロシア上下両院およびロシア連邦大統領のみが有するとの見解を示している。かつてレーニンの遺体保存を決めたのが、ソ連政府の最高幹部だったからだ。

1998年に、当時の大統領ボリス・エリツィンが、大統領令を出してレーニンを埋葬しようと試みたことがある。ところが「法的根拠が見つけられない」として却下され、着手できなかった。

埋葬案には、いまも反対の声が根強い。野党勢力「左翼戦線」の指導者セルゲイ・ウダリツォフは、埋葬するとなれば「何千人もの共産党員がレーニン廟を守るために立ち上がる」と気を吐いている。

一方、ペスコフ大統領報道官は、この話題は「社会的にきわめて大きな反響を呼ぶ」ものではあるが、クレムリンの議題には挙がっていないとコメントし、議論を牽制した。

始まりは「放送事故」


じつは、レーニン埋葬問題が表だって議論されるようになって、2018年で30年になる。初めてこの提案を公の場で口にしたのは、舞台演出家で映画監督のマルク・ザハロフだった。

「レーニンに謝罪して、人間的に埋葬すべきです。レーニン廟は時代の記念碑にすればいい」

ザハロフは1989年4月21日に放映されたテレビ番組『視点』で、こう発言したのだ。

「レーニンを神様か何かのように偶像化することで、おいしい思いをする人がいるのでしょう。人々がレーニンに心酔すれば、彼がすべてにおいて正しかったかどうか、疑うこともなくなりますからね。

でも、もしレーニンが今日の状況を目にして、全国で自分の肖像が山ほど使われていることを知ったらどうでしょう。おそらく真剣に、革命的な行動に出たと思いますよ。彼がすべての共産主義者に求めたのはただひとつ、謙虚であれということでしたから」

番組の司会者にその時の様子を尋ねたところ、司会者は、ザハロフの発言は想定外だったと明かした。

「レーニン生誕記念日の生放送だったのです」

レーニン生誕日と命日には、いまも多くの共産主義者がレーニン廟に花を手向けにくる
Photo: Sefa Karacan / Anadolu Agency / Getty Images


ザハロフは、レーニン廟に長蛇の列をつくる民衆の姿をテレビで見たのだという。本人が、番組放映後にこう語っている。

「あの映像には吐き気がしましたよ。それで、全国ネットのテレビでこの状況についてコメントしようと決めたのです。その後の反応は興味深いものでしたよ」

共産党の集会では、こう言われたという。

「われわれも落ちたものだ! ロシア功労芸術家ともあろう人物が、レーニンを埋葬するなどというとんでもない提案をするのだからな」

さらに、モスクワの2つの工場から書簡が送られてきたという。そこには「投票により全会一致で死刑を宣告する」と書かれていた。

1991年、潮目が変わる。
残り: 3413文字 / 全文 : 6644文字
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PROFILE

From Kommersant(RUSSIA) コメルサント(ロシア)
Text by Ekaterina Grodman, Asya Karnoukhova

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