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自己肯定感の低さから生まれるやさしさ。「メサイアコンプレックス」を知っていますか?

ポリアモリーというライフスタイルを知ったのは5年前。
実践しはじめたのは3年前。

この3年間で変わったことは山ほどあるが、その1つに世の中の「生きづらさ」に敏感になったこと、がある。

ポリアモリーとは、合意を得た上で複数の人と同時に恋人的な関係を持つ恋愛スタイル。これまでのシリーズはこちら

恋人は1人とか、男らしさとか、結婚の適齢期とか、それまで当たり前だと思っていたことが、誰か(自分)にとっては生きづらさだったことを知った。

そんな中で、新しい言葉ともたくさん出会った。

最近、レンタルなんもしない人に紹介されたことで話題になったロマンティックラブイデオロギーや、現在肩書きにしているリレーションシップアナーキーもその1つ。

そんな中「メサイアコンプレックス」という言葉について知っている人はどのくらいいるだろうか?

実は「これ、自分のことでは?」と思ってしまったこの言葉について、例によってパワポで考えてみた。

今日はそんな話。

■2つの感情が混ざっているコンプレックス

心理学でコンプレックスの一種とされているメサイアコンプレックス。

コンプレックスとは、普段は意識されないが、実は自我に大きな影響を与えている因子とされている。

そして「メサイア」とは「メシア(=救世主)」のこと。

日本語で救世主妄想とも訳されるこのコンプレックスを持つ人は、無意識のうちに誰かの救世主になろうとし、それによって自我を保とうとするのが特徴と言われている。

一見すると、

「それが誰かを救っているならいいのでは?」

と思いがちだが、コンプレックスと呼ばれるくらいなので、そんな単純に片付けるわけにはいかない。

「誰かを救いたい」という感情に「自分が救われたい」という感情が混ざっているところがメサイアコンプレックスの難しいところ。

時にはそんな感情が爆発して誰かを傷つけてしまうこともある。

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実は僕も「(自分が世間から叩かれてもいいから)ポリアモリーについて発信しよう。それで誰かの生きづらさが解消するなら、自分も救われる。」と思っている節があり、メサイアコンプレックス的な発想と言える。

では、メサイアコンプレックスの危険性について考えてみよう。

■攻撃性に変化するやさしさ

メサイアコンプレックスの危険性は「誰かを救いたい」という感情が拒絶された時に最大化する。

例えば、AさんがBさんに向けたやさしさの内訳が以下だったとしよう。

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この場合、あくまでメインの目的はBさんを救うことで、そこに「ついでに自分も救われたらラッキー」という感情がサブで入っていることになる。

よって、BさんがAさんのやさしさを拒絶したとしても、Aさんは「Bさんが別の方法で救われるならいいけど…」と捉えることができる。

問題はこれが逆転している時で、その状況こそがメサイアコンプレックスの危険性だ。

やさしさの目的が「自分が救われたい」だった時、そのやさしさが拒絶されるとAさんは「自分が受け入れられなかった」という人格否定として受け取る。

さらに別のCさんが登場して、Bさんを救ったとしたとしよう。

その瞬間、AさんにとってCさんは敵意の対象となり、場合によってはBさんも攻撃対象になりうる。

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このように、自分が救われるために誰かを救おうとする行為の危険性を表現したのがメサイアコンプレックスの本質だ。

では、そもそもなぜ「誰かを救いたい」という感情に「自分が救われたい」という感情が混ざってしまうのか。

■自己評価の低さから生まれるやさしさ

「誰かを救いたい」という感情に「自分が救われたい」という感情が混ざる要因はシンプルで、「そもそも自分が救われていないから」だろう。

自分もまだ救われていないのに、他人を救わなければいけなくなった時、そのやさしさを成立させようとしたら「自分も救われるから」と理由づけをするしかない。

この「自分はまだ救われていない」という感情がメサイアコンプレックスを生み出す要因だ。

内閣府の「子ども・若者白書(2019)」によると、日本の若者の「自己肯定感」は諸外国に比べて低く、欧米など6か国との比較でもっとも低かった。

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(これは乱暴な例えだが)例えば先ほどのBさんに50という単位のやさしさを与えようとしたら、他国の若者は「自分も満たされているし、全然いいよ!」となるところが、日本だけは「それによって自分も満たされるからいいか」という感情を一部混ぜないと成立しないということになる。

つまり、メサイアコンプレックスの危険性が混ざってしまう。

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このように、自己肯定感がメサイアコンプレックスと関係しているとしたら、日本はメサイアコンプレックスによる他者への攻撃行動が起こりやすい国とも言えるし、昨今のSNSによる誹謗中傷を見ていると少し納得感もある。

まだ自分に自信は持てないけど、誰かにやさしくしたい。

その気持ちは美しいものではなく、危険な兆候として捉えるべきではないだろうか。

■正解が少ないから、自己肯定感が少ない

最後にもう少しだけ。

なぜ、日本では自己肯定感が低いのか、を考えてみる。

その要因は様々な角度から語られるが、冒頭の「生きづらさ」とも密接に関係している。

島国で人種の幅も少ない村社会、日本。
単純に言ってしまえば、多様性に慣れていないのが日本だ。

生き方のパターンが少ないから、いわゆる「世間の正解」の幅が狭い。
(そもそも正解なんて存在しないのだが)

正解が少ないから、そんな「世間の正解と自分の差分」を意識しやすくなってしまう。これが自己肯定感が低い要因の1つだろう。

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「自分に自信がない」と言う若者に「自分に自信を持てよ!」とアドバイスをする前に、そのままの自分で自信を持てるような社会にしてあげたい。

そんなメサイアコンプレックスを抱きながら、僕は今日もこのnoteを書いている。

早く自分も満たされたいものだ。

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小島 雄一郎
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