NHKの人気番組「ブラタモリ」が、3月いっぱいで週1のレギュラー放送を終了すると発表があった。2月14日のことである。

 タモリが専門家の指南を受けつつ、ぶらぶら歩いて地域の特色を紹介するという番組構成上、どうしてもタモリは相応の距離を歩き回らねばならない。78歳という年齢を考えると、「そろそろなのかなあ」という感触はあった。それでもいざ発表になるとさびしいものだ。

 タモリがハナモゲラ語や中洲産業大学教授、イグアナのものまねなどで、テレビメディアに本格デビューしたのは1976年。私が中学生の時だ。その前年あたりから主に赤塚不二夫の後押しで、単発的にテレビ番組に出演していたという。同時期、山下洋輔や筒井康隆の文章に、「面白いヤツ」として登場していたような記憶がある。が、記憶において前後関係は割と簡単に入れ替わったりするので、確かかどうか判然としない。

 「森田一義アワー 笑っていいとも!」と「タモリ倶楽部」が始まったのは1982年。私が大学生の時だ。確か1985年に開いた高校の同窓会で、一同飲み過ぎて一人の友人の家になだれ込んでそのまま雑魚寝し、起きたらテレビでタモリがゲストと「いいかな?」「いいとも!」と呼び交わしていた記憶がある。以後、自分は就職し、何回も転属し、独立して原稿を書き……並行して「笑っていいとも!」も「タモリ倶楽部」も続いた。その間、ずっと私は、タモリの番組に終わりがあるとは思いもしなかった。

 2008年に特番で「ブラタモリ」が始まった時、多くの人が「面白い!」と思った。と、同時に「『笑っていいとも!』と『タモリ倶楽部』が続く限り、もうひとつレギュラー番組を持つのは、無理ではないかな」とも考えた。特に「笑っていいとも!」は月から金までの週5日放送だったので、「NHKがどんなにレギュラー化したくとも、『笑っていいとも!』が続く限りは無理だろう」というのが大方の感想だった。実際、しばらくの間、「ブラタモリ」は、20回ほど毎週放送しては翌年まで休止というサイクルで制作・放送された。

知性と観察眼を持つ面白がり

 2014年3月末で「笑っていいとも!」が終了した時、ネットではわっと、「これで『ブラタモリ』がレギュラー番組になる」という感想があふれた。実際、2015年4月からレギュラー化。以来ほぼ9年、260本以上が放送されている。

 タモリは人には言えないような「密室芸」から始めて、やがて全国放送昼のバラエティー番組に進出していった。が、芸風の中心にあるのは最初期から「面白がる知性と、知性を支える観察眼」だったのではないかと思う。ハナモゲラ語は、各言語の特徴を精緻に分析することなしには成立しない。イグアナのまねも、イグアナの行動の観察と分析から導き出される。

 そうしたタモリの「面白がる知性と、知性を支える観察眼」は、年を経るごとに露わになっていった。

 タモリ的知性の感触は、昼間に最大公約数的視聴者を相手にし続けた「笑っていいとも!」よりも、深夜放送だった「タモリ倶楽部」のほうが先鋭に出ていたように思う。「タモリ倶楽部」の名物コーナーだった「空耳アワー」は、視聴者の側から「面白がる知性と、知性を支える観察眼」を引き出すものだった。

 「タモリ倶楽部」の毎回のテーマもまた同様だった。私は、作曲家の青島広志をゲストに迎えて本格的に前衛音楽を紹介した回(2005年5月6日放送 「ジョン・ケージのこれどうやって弾くの!?」)に強烈な印象を受けた。笑いのオブラートで包んでいるものの、そこには間違った内容が全くなかった。「面白さは、自分の内側にある手持ちの材料をこねくり回して作るものではなく、自分が理解できないものを理解しようとして観察するところから生まれる」と、要約できようか。

 「ブラタモリ」は、そんな「知性と観察の人タモリ」の集大成だったのではなかろうか。

 タモリは70歳を過ぎたあたりから引退をほのめかしていたそうで、「ブラタモリ」のレギュラー放送終了はその一環なのだろう。彼は意志的・計画的に徐々に引退していき、「気が付いたらいなかった」ということにしたいのではないか、という気がする。

 「なあ、タモリってほんとにいたか。タモリなんて最初からいなかったんじゃないか?」――となれば、これはもう押井守監督の映画そのものである。

 で、ここからが本稿の本番。NHKは「ブラタモリ」の後番組として「新プロジェクトX~挑戦者たち~」を放送すると発表した。

 「松浦は、『何をバカな』と思った(田口トモロヲの口調で)」——「プロジェクトX~挑戦者たち~」は2000年代前半に絶大な人気を誇りつつも、やがてマンネリ化し、2005年には内容の捏造(ねつぞう)などの不祥事が発覚し、打ち切り同然に終了した番組だ。当時ネットでは「プロジェクト×(ペケ)」というネットスラングが流行した。

(イラスト:モリナガ・ヨウ)
(イラスト:モリナガ・ヨウ)

 同様に感じた人は多いようで、ネットはすでに何を取り上げるかで「MRJ 飛べない翼をやってくれ」「みずほ銀行のシステムダウンを」「下町ボブスレーをやってください」「消えた陸上イージスを」などなど――と、「プロジェクトペケの候補」を巡る大喜利が起きている。決めのナレーションは「選択と集中、これだ」とか「〇〇は言った。テストデータを改ざんしよう」とか、「優良決算の裏で、簿外債務が拡大していた」とか――思いつく限りのネタが乱舞している状態だ。

 旧「プロジェクトX」の放送リストを見ながら、自分はいつごろからこの番組に疑念を持ったのかを思い出してみる。

 初回放送は2000年3月28日、題材は富士山頂に建設された台風観測用気象レーダー、通称「富士山レーダー」。タイトルは「巨大台風から日本を守れ~富士山頂・男たちは命をかけた~」。

 「プロジェクトX」が他のドキュメンタリーシリーズと異なっていたのは、「成功した事例のみを扱う」ということだった。通常のドキュメンタリーは、制作者の問題意識によって題材が選択される。だからうまくいったもの、うまくいっているものだけではなく、うまくいっていないもの、調子がおかしいもの――それどころか「はっきりと社会悪として糾弾しなくてはいけないもの」も、テーマとなる。対して、「プロジェクトX」は、現実の中にある「努力したら成功した」という事例を積極的に題材として拾っていった。

 それの何が悪いのか――いや、悪いことはなにもない。実際にそういうことがあったのだから、事実を題材としてドキュメンタリーとして構成していくことには全く問題はない。

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