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  • 閉じ込められた部屋(73)

    9 その日、美和は自分でもどのようにして家に帰ったのか分からなかった。 気づいたら自分の家のリビングで一人、呆然としながら床に座り込んでいた。手元のバッグの中には、真尋の部屋から持ち帰った手紙が入っていた。 もう病院に行くのが怖かった。 病院で、真尋の顔を見るのが怖かった。 この手紙を見る前の美和は、真尋が目覚めた時、真尋にどのような言葉をかければいいのかが分からなかった。あの夜のことに触れずに、どのように真尋を勇気づければいいのだろう。そのことだけを考えていた。 だけど、この手紙を見た後の美和は、全く別の恐怖に囚われていた。 病院で目を覚ました真尋の口からどのような言葉がこぼれ落ちるのか。そ…

  • 閉じ込められた部屋(72)

    「お母さん。 お母さんにとって、私はどのような娘だったのでしょうか。 一度は訊いてみたかったけど、お母さんの口からどんな言葉がこぼれるのか分からなくて、それを想像するのも怖くて、結局、一度も訊くことができなかった。 今、この手紙を、一人部屋の中で書いています。 ベッドの横の目覚まし時計の針は午前三時を指しています。このような手紙を書くことになるなんて、数時間前の私は想像すらしていなかった。昨日までの私であれば、きっと、この時間はいつものようにベッドの中で眠っていたのでしょう。だけど、私はどうしても今、この手紙をお母さんに向けて書かなければならないのです。 昨日の夜、つまり6日の夜、私は友人の真…

  • 閉じ込められた部屋(71)

    左右に視線を巡らせ、誰も自分を見ている者がいないことを確認してから、美和は開いたドアの内側に体を差し込む。 ドアが閉まり切ると、ドアの鍵を閉めた。これからこの部屋で美和が見つけようとしているものを、他の誰かに見られたくなかった。 鍵を閉め終えると再び振り返り、部屋の中に視線を戻す。 初めて見る真尋の部屋だった。まだ午後三時を回った時間なのに、部屋の中はひどく薄暗かった。短い廊下の先に見える窓は、カーテンが締め切られていた。 「真尋。・・・入るね」 この部屋の中にいるはずもない部屋の住人に向かって一言呟いてから、靴を脱いで玄関を上がった。 玄関を上がってすぐ右手にスイッチがいくつか並んでいるのを…

  • 閉じ込められた部屋(70)

    真尋が住むマンションのある最寄駅には、午後三時過ぎに着いた。 真尋の通う大学から電車で一本のその駅は、学生が多く暮らすのか私服を着た若者が目につく。 美和は改札を出て、駅のすぐ前に設置されていた駅周辺の地図に向かった。手帳を出して、真尋のマンションの住所と地図とを見比べる。真由美が言ったように、駅前商店街を通り抜けるように道をまっすぐ進めば15分ほどで着けそうだった。手帳をバッグにしまい、美和は踏みしめるように目の前の道路を前に歩き出した。 商店街を抜け、そのまままっすぐ歩いていると、右手に12階建ての建物が見えてきた。 単身者向けのワンルームマンションで、アンバランスなくらい縦に細長い建物だ…

  • 閉じ込められた部屋(69)

    真尋が一人暮らしを始めた際、 「何かあった時のために渡しておくね」 と真尋に言われて、美和は合鍵を一つ受け取っていた。 その時に、マンションの入り口のオートロックについても、その暗証番号を書いたメモを受け取っていた。確か合鍵は物入れの一番上の引き出しに入れ、そして暗証番号のメモは手帳に挟み込んでいたはず。 真尋が一人暮らしを始めて約二年が経っていたが、それまで美和は真尋の部屋に行ったことは一度もない。 真尋の部屋に行かなければならないような用事なんてなかったし、何か連絡する必要に迫られた場合はメッセージアプリや電話で済ませていた。そもそもとしてそのような場合すら、この2年間で数えるほどしかなか…

  • 閉じ込められた部屋(68)

    男は手元の手帳に何やら書き込んだ後に、また美和を見遣る。ひどく冷たい目だった。 「一点、確認させてください」 「・・・はい」 「お母様は、真尋さんの自殺未遂の理由について、何か心当たりはありますか?」 美和は男から視線を外して、足元を見る。そのまま視線を合わせていると心を見透かされてしまいそうな、そんな怖さを感じた。 真尋が自殺未遂をした理由。 美和には、14年前のあの夜のことしか思い当たることはなかった。 だけど、そのことを警察に告げるということは、真尋の、そして美和自身の罪を告白するということでもあった。 言えるわけがなかった。 「私も、真尋がなぜあのようなことをしたのか、分からないです・…

  • 閉じ込められた部屋(67)

    8 ピンポーン。 突然チャイムの音が鳴った。 「はい」 ドアの外に声をかけながら、美和はドアノブを握る。小さくドアを開けると、玄関先に50代くらいのスーツを着た一人の男性が立っていた。 真尋が入院してから一週間が経っていた。 依然として真尋は眠り続けていた。この一週間、美和は面会のために毎日病院に通っていた。そのチャイムが鳴ったのは、午後一時すぎの自宅で、美和がちょうど外出のための準備をしていた時だった。 「警察のものですが」 男はスーツの内ポケットから黒い手帳のようなものを取り出して、美和の前に差し出した。上下に開くようなタイプの手帳となっていて、下側に「警視庁」と刻まれた記章が取り付けられ…

  • 閉じ込められた部屋(66)

    美和は、サイドボードの上に置かれたバーバリウムを見つめていた。 ピンク色のバラが透明な液体の中に浮かんでいる。 そこに、窓から差し込む日差しが当たり、きらきらと光っていた。 そのバーバリウムは、昨日、病院からの帰りに美和がデパートで買ってきたものだった。そしてつい先ほど、真尋が眠るベッドの横の、サイドボードの上に置いたのだ。これ一つあるだけで、病室に色が生まれたように感じた。 4月10日の午前中の病室は、まるで時間が止まったかのように緩やかに時間が流れていた。 美和は、バーバリウムから、ベッドの上の真尋の顔に視線を移す。4月7日の夜に病院に運び込まれた真尋は、青白い顔のままその日も眠り続けてい…

  • 閉じ込められた部屋(65)

    美和の前に座る森田医師は、やはりひどく疲れた顔をしていた。 そもそも、もともとこのような顔なのだろうか。 森田医師の顔を見て、そのような場違いなことを美和は思った。 A03診察室。その小さな部屋の中で美和は森田医師と対面するようにして座っていた。 森田医師は徐に口を開く。 「看護師から聞きました。真尋さんがいつ目覚めるのかをお知りになりたいと」 「・・・はい」 美和は首を小さく縦に振った。 「一昨日、先生は、真尋は次の日には目覚めるでしょう、とおっしゃいました。ですが、今日になっても真尋は目覚めていません。この二日間、指一本動かしているのも見ていません」 森田医師は机の上の置かれたディスプレイ…

  • 閉じ込められた部屋(64)

    結局、その日に真尋が目を覚ますことはなかった。 夕方に一度病室を訪れた森田医師は、 「明日まで様子を見てみましょう」 と美和に一言告げた後、病室を出ていった。 N大学附属病院では面会時間は18時までと決められている。17時半が訪れると、美和は、いまだに眠り続けてる真尋に 「真尋・・・、明日も来るね」 と声をかけてからその病室を後にした。 美和はその日は埼玉県の自宅に戻った。 疲れ果てた体を引きずるようにして電車を乗り継ぎ、ようやく自分の家の前にたどり着く。 「ただいま」 家の中には誰にもいないと分かっていても、いつもの習慣で小さく声に出してからドアを開けた。来ていた春物のコートをハンガーにかけ…

  • 閉じ込められた部屋(63)

    401号室の前に着く。 ドアの横の入院患者の表記を見ると、「佐藤真尋」しか書かれていない。 真尋一人の部屋だろうか。 念の為、ドアを一度ノックしてみる。 中からは何の返事も返ってこない。 美和は、 「失礼します」 と小さな声で言ってから、そのドアを開けた。 部屋には四つのベッドがあって、三つのベッドの上には誰も寝ていない。窓際のベッドの一つに、真尋が昨日の夜見た姿のままで寝ていた。 窓からは、白いカーテンの隙間を縫うようにして春の穏やかな日差しが部屋の中に差し込んでいた。 美和は音を立てず、真尋が寝るベッドに近づく。 真尋の顔を見るのが怖かった。昨日見た、死人のような青白い顔がどうしても記憶の…

  • 閉じ込められた部屋(62)

    その日は夜も遅いということもあって、病院に近くのホテルを紹介してもらって美和はそこに宿泊することにした。 次の日も、朝から真尋の面会に病院に訪れようと考えていた。 病院の受付でホテルの電話番号を聞く。 美和が自分の携帯電話でホテルに電話をかけると、 「はい、Aホテルです」 という若い女性従業員の声が受話器から聞こえた。 「一人なのですが、これから行っても泊まることはできますか」 と尋ねると、その電話先の女性は、何かを確認するような間を少しとった後に、 「おひとりさまですね。はい、大丈夫です」 と答えた。 病院の受付で地図を見せてもらいホテルまでの道順を確認すると、病院から1キロくらいの距離に位…

  • 閉じ込められた部屋(61)

    「真尋の手に触れても大丈夫ですか?」 「はい。大丈夫です。ぜひ、手を握ってあげてください」 看護師は事務的な口調で答える。 美和はベッドの上に投げ出された真尋の右手に触れる。そしてそのままその手を強く握った。真尋の右手は氷のように冷たかった。 「なんで・・・、なんでこんなことに・・・」 美和の言葉は、誰にも受け止められることもなく空気の中に霧散していく。 美和は看護師を振り返った。 「真尋はどのような具合なのでしょうか」 「そのことについてなのですが、先生が真尋さんのお母様にお話ししたいことがあるとのことです。診察室まで来てもらってもいいですか?」 「・・・わかりました」 美和は真尋の右手から…

  • 閉じ込められた部屋(60)

    7 白い看護服を着た一人の若い女性が待合室に小走りで歩いてきた。 「佐藤真尋さんのお母様はいらっしゃいますか?」 「はい、私です」 美和は右手を小さく上げて、立ち上がった。 少し遅れて真由美も立ち上がる。 「あの、私は、これで失礼します・・・」 「え?」 美和は、真由美を振り返る。 真尋を発見した時の様子を美和に話したことで自分の義務を果たしたというかのように、真由美は、 「私は、家に帰ろうと思います」 と言葉を重ねた。 待合室に掛けられた時計は午後23時を回っていた。 「もう遅い時間だけど、電車は大丈夫?」 「病院に、タクシーを呼んでもらおうと思います」 「そう・・・」 美和は両手で、真由美…

  • 閉じ込められた部屋(59)

    真由美は、真尋を発見したときの状況をぽつり、ぽつりと呟くように話した。 美和は途中で話を遮ることもなく、黙って真由美の話を聞いていた。そして真由美が話し終えると、真由美に向かって丁寧に頭を下げたあとに、 「真尋を助けていただき、ありがとうございました」 と口にした。真由美は少し困った表情を顔に浮かべ、 「いえ」 と小さく首を横に振った。 二人の間に沈黙が訪れた。 人気のない夜の病院の待合室で、もう言葉を発する者は誰もいなかった。美和は真由美と並んで、その待合室のソファーの上に座っていた。座りながら、真由美の話の中に出てきた真尋のことをずっと考えていた。どうしても気になる点があった。 「真尋・・…

  • 閉じ込められた部屋(58)

    彼女の部屋はワンルームでした。 玄関から入って右手側にキッチンがあり、左手側に浴室のドアが見えました。そして玄関の正面には、ちょっとした廊下の向こうに、厚手のカーテンが引かれた窓が目に入りました。 その窓の厚手のテーテンが夕方の外界とこの部屋を完全に分断していて、そのカーテンの隙間から差し込む夕陽だけがその部屋に微かな光を投げかけていました。 「真尋、中に入るね」 私は薄暗い部屋の奥に一言声をかけてから、靴を脱ぎました。 そして部屋に上がると、ゆっくりと玄関前の廊下を進みました。 薄暗い中に、彼女の部屋が徐々に見えてきました。 6畳の部屋の中央にはマットが敷かれていて、その上にローテーブルと、…

  • 閉じ込められた部屋(57)

    エレベーターで11階に上がると、真尋さんの部屋の前に向かいました。 そして私はドアの前に立ち、ドアの横に設けられていたチャイムのボタンを押しました。 ピンポーンという音が、部屋の中で響いているのが聞こえました。 彼女がドアを開けて、 「あれ、真由美、どうしたの?」 そんな言葉とともに、私を不思議そうに見てくる姿を期待していました。ですが、インターフォンから声が聞こえてくることはなかったし、ドアの奥からは物音一つ聞こえてきませんでした。 もう一度チャイムを押しました。やはり中からは何の物音も聞こえてくることはありませんでした。 “もしかしたら、真尋は何か急用があって実家に帰っているのだろうか。だ…

  • 閉じ込められた部屋(56)

    その日は16時までびっしりと講義が入っていました。 その間、真尋さんから返信が来ていないかと何度もスマホを確認していました。だけど、彼女からの返信は一通も来ていなかったし、そもそも私が朝に送ったメッセージには、「未読」の表示がそのまま変わらず付いていました。 彼女から返事が来ないことについて午前中は特に重くは考えていなかったのですが、その頃には “さすがにこれはおかしい” と思い始めました。 “もしかして、部屋で倒れているのではないのか” そう考えると、もう居ても立っても居られないような気持ちに襲われました。 その日は夕方からバトミントンサークルの練習が入っていたのですが、サークル仲間に、 「…

  • 閉じ込められた部屋(55)

    次の日、つまり、今日です。 私は朝から大学の講義がありました。真尋さんも私と一緒にその講義をとっていました。彼女は私とは違って、朝が早かった。いつも私が来る前に席についていて、私が教室に入ると、 「真由美」 と私に向かって小さく手を振ってくれました。私はそんな彼女を見て、そばに駆け寄り、そして彼女の横の席に座っていたのです。 だから今日も、彼女のその笑顔を予想して教室に入りました。だけど、私がその教室に入っても彼女の声は聞こえてきませんでした。 “あれ、おかしいな” 教室の入り口に立って、教室に視線を巡らせました。席は学生で半分くらい埋まっていたのですが、彼女の姿はありませんでした。 その時の…

  • 閉じ込められた部屋(54)

    美和は、以前、真尋の口から真由美という名の大学の友人がいるという話を聞いたことがあったことを思い出した。 真尋から学校の友人の話が出ることは珍しかったので、その名前を覚えていた。 「同じバトミントンサークルに入っている子で、真由美って子がいて」 真尋は、楽しげにその真由美という子のことを話した。そのように楽しげに何かを語る真尋の姿を見たのも久しぶりだった。そのことも美和の記憶の中に“真由美”の名前を刻み込むきっかけになっていた。 「真尋と同じサークルに入っている、真由美さん?」 美和のこの言葉に、真由美は少し表情を和らげて、 「はい。そうです。真尋さんと仲良くさせてもらっています」 と言葉を返…

  • 閉じ込められた部屋(53)

    美和がN大学附属病院に着いたのは、夜22時半を回っていた。 12階建ての建物は、夜の街に立ちつくす巨人のように美和の前に立っていた。もう夜も遅くなっており、その窓の半分以上はすでに灯りが消されている。 その建物の入り口に「N大学附属病院」という看板が掲示されているのを確認し、美和は玄関から中に入る。すでに診察時間は過ぎているのか、夜の病院の待合室は人もまばらだった。 自分は、どこに向かえばいいのだろう。 とりあえず受付で聞いてみるしかない。 そう思い、美和は受付で事務作業をしていた女性職員に、 「すみません」 と声をかける。 「はい。何でしょうか」 「先ほど、この病院から、私の娘が緊急搬送され…

  • 閉じ込められた部屋(52)

    N大学附属病院から、美和に突然の連絡があったのは4月7日の夜9時過ぎだった。 美和は一人の夕食を済ませ、食器を洗って後片付けをしていた。 そのとき居間の机の上に置いていた携帯電話が突然震え出した。机に振動が伝わり、ガーガーと大きな音を立てる。美和は食器洗いを中断して、手を拭いてから居間に向かう。携帯電話を手に取ると、電話がかかってきていた。 美和の携帯に電話がかかってくることは珍しかったし、携帯電話のディスプレイに見知らぬ番号が表示されている。 “こんな時間に誰だろう” と訝しく思いながら電話に出る。 「こちら、N大学附属病院です。佐藤美和さんの電話で合っていますでしょうか」 受話器から、若い…

  • 閉じ込められた部屋(51)

    美和は持ってきたバッグを開き、その中から一つの包みを取り出した。 昨日この病室を訪れた際に、この部屋の殺風景さがひどく気になっていた。 何か気分を変えてくれるようなものをこの部屋に置きたいと思った。ただし、真尋が入院しているN大学附属病院では生花のお見舞い品は禁止されている。先ほど面会の受付をした警備室の横にも、目立つように赤字で、 「感染症予防のため、当院では生花のお見舞い品は禁止となっております」 という表示がなされている。それを見て美和は、生花が駄目なら、何がいいだろうかと考えた。とりあえずまずは店に行ってみてそこで色々と見てみることにした。そして昨日の面会の帰りにそのまま駅前のデパート…

  • 閉じ込められた部屋(50)

    6 佐藤美和は、建物の正面玄関から中に入ると、待合室を真っ直ぐに抜けて警備室に向かった。 平日午前中の待合室では、順番待ちをしている高齢者が数人、座席に座っていた。その座席の前では大型のモニターが設置されていて、それぞれの受付での順番待ちの状況が表示されている。彼らは、その表示を黙って見つめていた。 美和は彼らの間をすり抜けるようにして歩いていく。 待合室を抜けて少し行くとT字路にぶつかった。その角に「警備室」という右側への矢印付きの案内板が張り出されている。その案内板を見ることもなく美和は右側に曲がる。この場所に来るのは三度目になるので、すでに道順は覚えていた。 東京都B区にある、N大学附属…

  • 閉じ込められた部屋(49)

    水は徐々に、そして確実に真尋の体を沈めていく。 そして水が真尋の首のところまできた時に、真尋の中で一つの魔物が顔を覗かせ始めた。それは必死になって真尋自身が押さえつけていたものだった。その正体を見るのが怖くて怖くてたまらなくて、だから必死になって目を逸らそうとしてきたものだった。その魔物の名前は“死”といった。 水は首を徐々に上がっていく。 首が濡れる感覚で、それが一つの冷徹な現実として真尋は感じざるを得なかった。 そして“死”というものが、本当にリアルな現実として、とうとう真尋の前に姿を現したのだ。その現実を認識した途端、狂いそうになるくらいの恐怖を感じた。 口先でいくら、 「私も父親を殺し…

  • 閉じ込められた部屋(48)

    真尋は木片を持った右手を開き、その木片を手放した。 もう真尋の中に、その木片を持ち上げる力は残っていなかった。 それは、その“バルブ”を回すことを諦めた瞬間だった。 木片は水の上に浮き上がり、水流に押し出されるように真尋から離れていく。その様子を立ち尽くしたまま見送る。“放水口”から放出される水の勢いは全く弱まることはなく、真尋の顔に飛沫を飛ばしながら流れ落ちてくる。 真尋は最後の力を振り絞るようにして水の中で重たい体を懸命に動かし、その“放水口”から離れて先ほどまでいたドアの前に戻る。そして背中をドアにつけるようにして立った。 少しでもその“放水口”から離れたかった。水の中とはいえ、何かにも…

  • 閉じ込められた部屋(47)

    手に持ったキャンパスをドアノブに叩きつけているうちに、そのキャンパスの四辺を囲うように取り付けられていた木枠が外れかかってきた。それらは釘で固定されているわけではなく、接着剤のようなもので絵に固定されていた。 真尋はドアノブに絵を叩きつけるのをやめて、その浮き上がった木枠に指をかける。そして思い切り絵から剥がした。木片は思ったよりも簡単にはがれた。右手で木片を持ってみる。それは五十センチくらいの長さをもった木片だった。 木片を取り外した絵はその場で投げ捨てた。そして再び“放水口”の下にすり足で歩み寄る。足首が完全に埋まるくらいまで水位が高くなっており、ひどく歩きづらい。 ”放水口”の下にたどり…

  • 閉じ込められた部屋(46)

    何とかして、この水を止める方法は無いのか。 真尋は水の中で足を擦るようにして、一歩、一歩、その“放水口”に近づく。 そして改めて上を見上げて天井のパネルの奥を見つめた。そこに何か水を止める手段が隠されていないか、そこに望みをかける。 開いたパネルの奥の空間に設けられた金属製の“放水口”。そこから迸るように流れ落ちる水の飛沫に隠れるように、その“放水口”の横に小さな円形のものが見えた気がした。 もしかしたら、あれはバルブなのではないのか。 それを回すことによって水を止めることができるのではないのか。 だけど、それは天井の更に奥の空間に設置されていて、どう頑張ってみても真尋の手が届く位置にはなかっ…

  • 閉じ込められた部屋(45)

    真尋はドアノブを握り、自分の体を引っ張り上げるようにして何とか立ち上がる。 服が水を含んでいて鉛のように重かった。その間も、天井から流れ落ちる水からは目を離すことはできなかった。その“放水口”から流れ落ちる水の勢いは、弱まることを知らなかった。 真尋は、必死になって今の状況を頭の中で整理しようとする。 天井のパネルの一つが突然開き、その奥に隠されていた“放水口”から突然水が放水されている。現象としては単純だった。だけどその現象の裏に隠されている意味を理解することができなかった。なぜこのような状況の中に自分がいるのか。その答えの引っ掛かりすら見つけ出すことができなかった。真尋はただ黙って、その水…

  • 閉じ込められた部屋(44)

    ぽた・・・。 「え?」 真尋は、自分の頬に何かが落ちてきたような感触を感じて、小さな声を挙げた。慌てて右手でその頬を触る。そして右手を目の前に持っていき、よく見ると、何かで濡れているかのように、部屋の電灯の光を反射して鈍く光っていた。水だろうか。 ぽた・・・。 まただ。 真尋は上を見上げる。 天井の開いたパネルの奥では、薄暗い闇の中で金属製の筒状の何かがゆらゆらと浮かんでいるように見えていた。そこから落ちてきたのだろうか。真尋はその筒の真下で、右手の手のひらを上にして広げる。 ぽた・・・、ぽた・・・。 手のひらが濡れていく。 明らかにその筒の中から水がこぼれ落ちてきているようだった。 ぽた・・…

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