松ヶ岡八幡宮(まつがおかはちまんぐう)
館山市竜岡の「松ヶ岡八幡宮」は、品陀和気命を祀る旧安房国松岡村の村社です。
松ヶ岡八幡宮概要
※参考:館山市史
【祭神】品陀和気命(ほんだわけのみこと)
【旧社格】松丘村の村社
【祭礼】8月上旬(安房神社例大祭に出祭)
【御朱印】なし
【由緒・沿革】書籍等に記載なし。
創建は不詳。資生堂創始者「福原有信」ゆかりの神社。
境内案内
当神社は館山市犬石と神余を結ぶ街道の途中に鎮座し、街道からは神社は見えません。
木製の案内板に「松ヶ岡八幡宮/金毘羅大権現」とあるので参拝に行ってみました。
案内板から境内までは約140m。道のりは狭いのですが、車で行くこともできます。(神社横の集会所に駐車可)
途中に2ヶ所分岐があり下の写真の通りに進んでください。
ようやく鳥居が見えてきました。
一の鳥居
境内入口の鳥居。形状は靖国鳥居。建立は明治四十四年(1911年)九月です。
新築記念碑
階段右前の新築記念碑。裏側にここ松岡地区出身の「福原有信」についての略歴が刻まれています。
長いので要約します。
江戸時代の嘉永元年(1848年)4月8日、安房松岡村に生まれる。祖父は漢方医の有斎、父は漢学者の有琳。
17歳で幕府医学所に入所し、西洋薬学を学ぶ。大学東校(現東京大学医学部)職員となり、1871年に海軍病院薬局長となる。
翌年23歳で官を辞し、日本初の民間洋風調剤薬局「資生堂」を創業し医薬品を広く普及させる。
明治二十年(1887年)帝国生命保険会社(現朝日生命保険)設立の発起人に加わり第三第社長となり、31年間生命保険事業の育成と発展に貢献。
大正十年(1921年)に緑綬褒章、大正十三年(1924年)に従五位勲四等瑞宝章を受ける。
大正十三年(1924年)3月30日享年75歳永眠。墓所はここから600m離れた館山市大神宮の遍智院(小塚大師)にあります。
1995年9月吉日
株式会社 資生堂
取締役社長 福原 義春
手水石
年代は読み取れません。
拝殿
大きな拝殿ではありませんが整備が行き届いています。
境内の記念碑からすると平成七年(1995年)に新築(再建)されたようです。
石宮
本殿裏の石宮。全部で6基あります。
本殿裏
本殿裏山の斜面に石段と二の鳥居があります。
常夜灯は平成七年(1995年)奉納。鳥居の形状は明神鳥居。
この山の上に金毘羅大権現があるはずなのですが、令和元年の記録的台風で裏山が崩れ現在は行くことができません。
神社の入口付近に戻ってみると商店の跡地に公衆電話と本棚がありました。公衆電話に十円を入れてみましたが使えないようです。
窓にはキャットフードの袋が看板代わりに貼ってあります。
本とベンチも置いてあります。
松ヶ丘八幡宮から250mほど犬石寄りに「卍松岡観音」の案内板を見つけたので立ち寄ってみました。