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「産めないけれど育てたい。」池田麻里奈さんインタビュー 特別養子縁組を選択した、私の幸せ 

文:渡部麻衣子、写真:家老芳美

朝起きたら、隣に子どもがいる

――玄関に置いてあるかわいらしい靴。部屋の片隅に、きれいに畳んで積まれている小さな服。池田さんのご自宅には、小さなお子さんがいる温かな気配がそこかしこに漂っています。

 もう、日々幸せが積み重なっていきますね。生後5日で養子に迎えて、いま1歳8カ月。44歳にして初めての育児なので大変なこともありますが、今までたまっていた一生分の幸せが連続して押し寄せてきていると感じるくらいの、ずっと夢見ていた生活が毎日続いています。すごい、子どもがいる人はこんな生活を送っていたのか。本当に私はこういう生活がしたかったんだな、としみじみ思っています。

――どんな瞬間に、一番幸せを感じますか?

 朝起きたら、隣にいる。そっとお布団をかけ直してあげる。そういった、一緒の空間にいる日常のすべてが幸せです。結婚したら、“普通”に子どもを産んで育てる。そう思っていましたが、私は2度の流産と死産を経験し、その後病気で子宮も失いました。結婚前や結婚当初に思い描いていた“普通”とは違う選択肢を選んだんですけど、それでもこんなに幸せに生きていけるなんて思ってもみませんでした。

 幸せの感じ方も少し変わりました。夫と二人で暮らしているときは、旅行とか何かイベントがあると楽しかった。でも今は、子どもがいるだけで人生が楽しい、幸せだと感じるようになりました。

――なぜ今回、この本を書こうと思ったのでしょうか。

 2度目の流産を経験した35歳頃から養子を考えるようになったのですが、調べようにも情報がなかったんです。制度に関しては調べればすぐにわかるけれど、実際にどんな生活をしているのかが全く見えてこない。当時は、名前を伏せている方がブログに少し載せているくらいでした。

 不妊に関するカウンセリングのお仕事をしていると、選択肢の一つとして養子を考えているご夫婦は結構いらっしゃるんです。そういった方に、一つの家族像として参考にしてもらえたらと思って書きました。養子をタブー視するような、ネガティブなイメージを変えたいという思いもあります。

特別養子縁組を決意するまで

――本の中の、「たまねぎの皮をむくように、自分が人生で一番したいことを突き詰めていったら、それは『お母さん』でした」という一文が印象的でした。

 不妊治療をしている間、ボランティアで困難な状況にある子どもたちと関わっていくうちに、親じゃなくても社会的擁護の観点から子どもに対して果たせる役割があることはわかってきました。それでも、やっぱり戻ってくるところは「親になりたい」だったんです。

 私たちボランティアが関わるのは、問題や悩みを抱えている子がほとんどで、何もない状態の子と接する機会はほぼありません。そこでの声かけは重要ですし、やりがいもありますが、それだとスポット的にしかその子の人生に関われない。そうじゃなくて、もっと日常生活を一緒に過ごして、永続的な関係を築いていきたいと思いました。

――特別養子縁組とは、どんな制度ですか?

 特別養子縁組は実の親と暮らせない子どもに新しい家族を与えるというのが前提なので、試験養育期間を経て審判で認められると、戸籍上も実子となります。

 養子を迎えるにあたり、私が登録したのは民間のあっせん団体。行政だと、養子縁組を担当しているのは児童相談所です。いずれにしても養子縁組は子どもの福祉のための制度なので、子どもの幸せを第一に考えてあげられるかがとても重要になってきます。

――養子を迎えたいという気持ちを、夫の紀行さんにはどのように伝えたのでしょうか。

 流産をした頃からそれとなく伝えていたのですが、「まぁ、40歳までは不妊治療をがんばろうよ」と、やんわり流されてきました。はっきり伝えたのは42歳のときです。子宮全摘の手術のあと、病院のベッドの上で自分の気持ちを手紙に込めて手渡しました。

 死産で失ってしまった子への後悔。二人の生活も楽しいけれど、親になる夢も諦めきれない。残りの人生は、子どもを育てる時間に使いたい。そういったことですね、書いたのは。

――読んだ上で、断られる可能性もあったわけですよね。

 自分の本当にしたいことを否定されるのがすごく怖かったから、心の底を打ち明けられずにいたんですけど、あの時は返事がノーでもいいと思いました。この先もずっと自分の傍らにいる人には、本心を知っていてほしかったんです。全摘したからもう子どもはいいんだな、なんて思われたくなかった。むしろ、全摘して子どもを産めないことが確定したからこそ、育てたいという気持ちが明確に残っていることに気づきました。

 どんなに笑っていても楽しそうに見えても、これからも私の中にはずっと子どもを育てたい気持ちがある。それをわかってほしかったんです。

――そして、池田さんは夫婦そろって養子を迎えるために動き出します。

 すぐに地域の児童相談所に問い合わせて、面談や里親研修を受けました。同じ年に民間の養子縁組あっせん団体にも登録して、研修と審査を受けています。ご縁あって、翌年にはあっせん団体から赤ちゃんを迎えることができました。

 「ご紹介したいお子さんがいます」という電話を受けてからわずか6日後に、生後5日の男の子がやってきました。団体に登録しても何年も待つことになるのはよくあることだと聞いていたので、あまり期待しないようにしていたのですが……。

 慌ててベビーグッズを買いに走ったり、仕事を全部キャンセルしたり。大変でしたが、生後5日で迎えることができたぶん、愛着形成はスムーズでした。特に夫には、「実子じゃなくても愛せるか」という不安が少なからずあったようなのですが、気がついたら自然と家族になっていました。

養子は魔法のような存在ではない

――養子縁組は子どもの福祉のための制度なので、養親側から年齢や性別の指定はできません。池田さんはたまたま生後すぐの赤ちゃんを迎えることになりましたが、6歳(2020年4月からは法改正で原則15歳までに変更)の子の受け入れの打診がくることもあり得ました。

 あっせん団体とは何度も面談を重ねるので、その中で「子育てしたことがないのに、いきなり6歳の子がきたら何を話せばいいんだろう」と話したことはあります。でも、6歳はだめって言ったらその子はどうなるのって思うし、実際は何歳の子がきても、それはそれでがんばっただろうと思います。断る理由がないですから。

――養子を検討するときに、気をつけなければいけないことはありますか?

 カウンセラーとして不妊の相談にのっていると、「子どもさえいれば新婚の頃のような関係に戻れるんです」と話す人は本当に多いんです。夫婦間の問題を解決してくれるような魔法の力は、どんな子どもにもありません。こういった考えの人は、夫婦の会話が足りていない場合が多いので、まずはどうして子どもが欲しいのか掘り下げることを薦めています。

 結果的に私たちは養子を迎えて幸せですが、私たちが幸せになるための子どもではなくて、子どもが幸せだから、私たちも幸せなんです。

 周囲から「子どもはいないの?」と聞かれるたびに窮屈な思いをしてきたので、気持ちは分かるんですけどね。「いない」って答えると、「なんで作らないの?」「早くしないとだめだよ」とか、いろいろ言われるんですよ、無遠慮に。 結婚したら、次は子どもを産むのが“普通”。そういう圧力は、子どもさえいれば受けなくて済みます。だけど、そのために養子をもらうと、どんどんずれていってしまいます。

――ずれていってしまう?

 極端な例ですが、普通の家族を装うために子どもを得たとします。そうすると、自分の“普通”を守るために養子を迎えているので、養子だということを内緒にしてしまいます。でも、DNA鑑定なんてすぐにできる世の中です。思いがけないタイミングで知られてしまうこともあるはずです。

 親との信頼関係が途中で切れてしまうのは、子どもにとって一番のクライシス。養子縁組は子どもが幸せになるための制度なのに、親が自分のために制度を使うとおかしなことになってしまいます。

 そもそも、出自を知ることは子どもの権利です。真実告知の判断、タイミングは各家庭に任されるので、私たちもあっせん団体の研修を受けたり、先輩ファミリーから話を聞いたりして、今も学びを続けています。

――養子を迎える上で大事なことは。

 生みの親を理解することは、とても大切です。育てられないのに産む側と、育てたいのに授からない側。不妊治療をしている側からすると真逆の立場の人なので、すぐに理解するのは難しいかもしれない。

 ですが、生みの親は子どもとは切り離せません。生みの親も、子どもの幸せを願っているからこそあっせん団体にSOSを出した。ですから、私たち養親も、団体も、生みの親も、本来その子の幸せを願う一つのチームだと考えるべきです。

 36歳のときに妊娠7カ月で死産して思ったのは、命は人間の力でどうすることもできない、ということ。どんなに努力しても強く望んでも生まれない命がある一方で、準備ができていないのに生まれる命もあるんですよね。

夫には気持ちが伝わっていなかった

――実はこの本を読む前に、夫の紀行さんが養子について書いた文章を読んでいたので、てっきり紀行さんも初日から育児に対してやる気満々で、夫婦で力を合わせて子育てをスタートしたものと思っていたのですが……。

 それ、あのnoteを読んだ人はみんな言います(笑)。

――びっくりしました。本を読んだら、平日は完全にワンオペ。週末だけ二人で育児をするスタイルだったんですね。生後3カ月くらいの頃に初めて夫に子どもを任せて仕事に行ったら、帰るなり「何もできないっ! 俺、ご飯食べてないから代わって!」と言われたとか……。

 「何もできないっ!」って言うけど、気の毒なのはお風呂にも入れてもらえてない赤ちゃんの方だよ……という感じでした。育児であたふたする私を見て、「オレならマルチタスクができる」と豪語したくせに、たった半日任せただけでそんな有様です。

 ただ、この経験をきっかけに夫が育児に協力してくれるようになったので、 平日も二人育児ができるようになりました。子どもの成長とともに、お世話もだんだん楽になっていきましたし。

――結婚してから今日まで、紀行さんとの関係に変化はありましたか?

 結婚当初はこの人の幸せが私の幸せ、というお花畑みたいな気持ちでしたが、不妊治療中は何度も「この人なんなんだろう」と思いました。流産の手術を受けるときも、一緒にきてほしいって頼んだのに、「仕事があるからタクシーで帰ってきなよ」とか言われて。「お金は出すから、不妊治療はあなたはあなたでがんばって」みたいな感じがありました。

 本にも書いた通り、3度目の妊娠のときや、その後の死産のときに献身的に支えてくれたのでなんとか持ち堪えて離婚はしませんでしたが、私ももっと自分の気持ちは言葉にしておけばよかったと、今なら思えます。

 子どもができない苦しみは夫婦共通だとしても、不妊治療で何かを諦めたり、仕事に制限がかかるのは女性の方。そういった苦しみは、言わないとやっぱり伝わらないんですよね。横にいるんだからわかるだろう、というのは私も良くなかったと思います。

 養子を迎えたことで、夫の新たな一面も見つけました。子どもをあやすのがとても上手なんですよ。思えば、彼をパパにしてあげたいというのも、私が長く苦しい不妊治療を続けた理由の一つでした。

 私と、夫と、子どもと。今は3人で、うまく家族として機能しています。いずれご縁があったらもう一人迎えたいと、夫とは話しているんですよ。並走する二人の人生に一人加わっただけでもこれだけ楽しいのなら、もう一人増えたらもっと別の景色が見られますよね。きっと。