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「ことばのくすり」書評 「からだ」「あたま」と一体で効く

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2023年05月27日
ことばのくすり 感性を磨き、不安を和らげる33篇 著者:稲葉 俊郎 出版社:大和書房 ジャンル:エッセイ

ISBN: 9784479012290
発売⽇: 2023/04/22
サイズ: 17cm/206p

「ことばのくすり」 [著]稲葉俊郎

 著者は医師である。僕は病院に行って医師の言葉を聞くのが好きである。体調が悪くて病院に行くのに、医師と話をしているうちに気がついたら病気が治っているという経験が何度もある。医師の言葉は僕にとっては魔法である。著者が言うように「ことば」は「くすり」である。「ことば」の力が発揮される時は、「あたま」と「からだ」、そして「こころ」が三位一体になる時に「ことばのくすり」は内臓へ運ばれ、「ことば」を食事のように全身に運んでくれると言う。
 一方、著者は礼節について想(おも)いを深めている。言葉には不思議な力が宿り、礼節は言霊を宿す。といって礼節は道徳でも倫理でもない。著者は芸術にも造詣(ぞうけい)が深い。といって芸術が道徳的、倫理的である必要はない。むしろ芸術は反道徳的で無礼であるべきだ。ある意味で芸術はラテン的で、その理念はいいかげんで「だいたい」「てきとう」で結構! つまり芸術は自由を愛する。
 著者は「ことば」が感性を磨き、不安を和らげる「くすり」であると言う。本書は「死」から始まって「子ども」の話で終わる。僕にとっては死と幼児性は一体である。幼児は死を誕生以前に経験しており、無意識にその何たるかを魂が記憶している。
 僕は絵を描く時、脳から言葉を排除して、肉体を言語化する。脳の発する言葉は肉体言語に劣る。なぜなら肉体は正直である。従って魂に最も近い存在である。脳は喜怒哀楽に左右されウソも平気。肉体はウソをつくことができない。
 そこで脳の発する言葉ではなく、肉体が発する感性としての言葉に従う方が納得できる。芸術家はそのことをよく理解している。
 「ことばはくすり」である。が、薬は必ず副作用がある。言葉と行為によってカルマ(業)が発する時、「ことば」と「からだ」はどう対応するのでしょうか。ぜひ聞いてみたいところである。
    ◇
いなば・としろう 1979年生まれ。東京大学医学部付属病院を経て軽井沢病院長。2022年、山形ビエンナーレ芸術監督。