[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/

Bezzy[ベジー]|アーティストをもっと好きになるエンタメメディア

アーティストをもっと好きになるエンタメメディア

NEWS

『Doggystyle』が成長したようなサウンドと形容

The D.O.C.がスヌープ・ドッグとドクター・ドレーの新アルバム『Missionary』について語る

2023.08.31 17:15

https://www.instagram.com/snoopdogg/

2023.08.31 17:15

全ての画像・動画を見る(全3点)

1992年にドクター・ドレーの「Deep Cover」や、ドクター・ドレーのソロ・デビューアルバム『The Chronic』に全面的にフィーチャーされ、最注目の新人ラッパーとしてデビューしたスヌープ・ドッグ。ドクター・ドレーがプロデュースした『Doggystyle (1993年)』は初週に80万枚のセールスを記録する大ヒットとなり、世界で1,000万枚以上のセールスを記録した。

これまでに数々の名曲を共にリリースしてきたアイコニックな二人だが、スヌープ・ドッグは今年の2月に『Doggystyle』の“精神的続編”となる『Missionary』というアルバムをドクター・ドレーと制作していると発表していた。当初は2023年の夏にリリースされる予定だったアルバムだが、〈デス・ロウ・レコーズ〉時代以前からドクター・ドレーと制作をしているリリシスト/ラッパーのThe D.O.C.が、『Missionary』について語った。

「スヌープとドレーがアルバムを完成させる手助けをするために、来週1週間ほどLAに行くつもりだ。長い間みんなで一緒に制作していないし、全員が素晴らしいものを作りたいと思っている空間だから、楽しい1週間になると思うよ。そのような空間だと、2~3曲は完成させられると思う。

俺らは兄弟だし、お互いを愛してるよ。彼らには成功してほしいし、彼らは俺に対してもそう思っている。お互いの成功のために仕事をするんだ。全員が同じ方向性を向くのが一番のチャレンジだけどね。でも今は全員が新しいものを作る準備ができている。“Missionary”はまさに“Doggystyle”が成長したようなサウンドで、今のスヌープ・ドッグが当時のデス・ロウ・レコーズからアルバムをリリースしたようなサウンドだ」

『Missionary』はスヌープ・ドッグの最高傑作とも言われている『Doggystyle』が成長したようなサウンドだと明かしたThe D.O.C.。また、彼は毎回ドクター・ドレーとスヌープ・ドッグと集まる度に家族と再会したような気持ちになるともコメントした。

The D.O.C.は1989年にドクター・ドレーがプロデュースを務めた『No One Can Do It Better』をリリースした5ヶ月後に、交通事故で声を失って以来、自身の音楽活動を続けつつドクター・ドレー作品などでリリシストとしても活躍した。

全ての画像・動画を見る(全3点)

ドクター・ドレー

アーティスト情報

本名アンドレ・ヤング。カリフォルニア州コンプトン生まれ。

10代でDJを始め、ワールド・クラス・レッキン・クルーというグループでミュージック・ビジネスのキャリアをスタートする。アイス・キューブらとともにN.W.A.を結成。1987年のデビュー・アルバム『ストレイト・アウタ・コンプトン』をはじめミリオン・セラーを連発、いわゆるギャングスタ・ラップを確立した。この頃からプロデューサーとしても頭角を表わし、92年N.W.A.を脱退、渦中の人シュグ・ナイトとともにデス・ロウを設立。ソロ・アルバム『ザ・クロニック』を発表、大ヒットを記録。キーボードを多用しメロディックでゆるいグルーヴの彼のサウンドは”G-ファンク”と呼ばれ多くのフォロワーを生んだ。その後プロデューサーとしてスヌープ・ドギー・ドッグ(現スヌープ・ドッグ)を世に送り出した「事件」により彼の地位は確固たるモノとなる。数々のサントラ、故2パックの代表曲「カリフォルニア・ラヴ」、ナスをはじめミリオン・ヒットを続出の中、デス・ロウ=シュグ・ナイトとの確執後、離脱。96年彼自身のレーベル「アフターマス」を立ち上げ、お披露目的コンピレーション・アルバム『ジ・アフターマス』をリリース。99年2月エミネムの衝撃的なデビュー・アルバム『スリム・シェイディ』を制作。強力かつ緻密に計算されたドレーのコンセプトとともに見事ビルボード誌アルバム・チャート初登場2位を飾る。そしてトリプル・プラチナムに輝いた『クロニック』から7年もの歳月を経て、完成させたアルバム『2001』をリリース。当時ドレーは、「傲慢に言っているつもりじゃないが、ラップ・ミュージックの1ファンとしてヒップホップを聴いていて、世界を動かす様なものはなかったな、というのが本音だよ。だからこそ、俺が創ってやろうと思ったのさ」とコメントしている。事実このアルバム『2001』はヒップホップの「深さ」と「可能性」が無限大にあることを証明、”ヒップホップの曼荼羅”としてひとつの頂点を具体化してしまったともいわれたホド。そのサラリと傑作を作って見せた『2001』と平行し不本意ながらも距離を置いていたスヌープ・ドッグとも『ドギースタイル』(93)第2章的アルバム『ラスト・ミール』(00)で感動の完全復縁を果たした。そして00年5月矢継ぎ早にリリースされ、”エミネム現象”を巻き起こしたエミネムのセカンド『ザ・マーシャル・マザーズLP』でもプロデューサーとして彼を大々的にバック・アップ、続く7月からはスヌープ、アイス・キューブ、エミネム、ネイト・ドッグ、ウォーレンG、クラプトらとともに全米を廻ったヒップホップ一大絵巻『アップ・イン・スモーク・ツアー』を大成功させる。その後もイグジビットのアルバムをはじめイヴ、メアリー・J.ブライジ、D12、ビラル、ノー・ダウトらの制作、他にもサントラへの曲の提供と休む間もなくワーカホリックぶりをみせるなか、スヌープと自身主演という快演が目に浮かぶコメディー青春映画『ザ・ウォッシュ』のサントラを完成させた(ちなみにデンゼル・ワシントン主演全米興行1位を記録した映画『トレイニング・デイ』にもこのドレー&スヌープが揃って出演している)。今回も形としてはあくまでもサントラという表情を持ってはいるものの、『2001』同様、ドレーの人脈が挙って参加したドレーの”ニュー・アルバム”といって何の問題もないアルバム。ドレーがかつて言った言葉は今作にもやはり生きている。「俺は西海岸出身だが、全世界の人たちの心に訴えるような音楽を作るようにしている。昔からずっと、世界中へ向けた音楽を作りたかったんだ。」

(引用)https://www.universal-music.co.jp/dr-dre/biography/

スヌープ・ドッグ

アーティスト情報

1972年LAはロング・ビーチ生まれ。ギャングの一員として荒涼とした幼少期を過ごしてきたスヌープ・ドッグ(当時スヌープ・ドギー・ドッグ)が、ラッ プに専念しようと91年にネイト・ドッグ、ウォーレン・Gと共にクリーク213を結成。西海岸の首領(ドン)=ドクター・ドレーに見出され92年「ディープ・カヴァー」でレコード・デビューを果たす。その後、ドクター・ドレーの歴史的ソロ・アルバム『クロニック』に大々的にフィーチャーされ、大きな注目を 集める。全編ドクター・ドレーの制作のもと、彼のインタースコープ傘下のレーベル=デス・ロウから満を持してリリースされたデビュー・アルバム『ドギー・ スタイル』(’93)は西海岸のギャングの生き様をリアルに描き、強烈な世界観を提示、驚異的な大ヒットを記録。瞬く間にアメリカを代表するラッパーとな る。その後、名前をスヌープ・ドギー・ドッグからスヌープ・ドッグに変更するもレーベル内の紛争に巻き込まれEMI傘下のノー・リミット・レーベルに移籍、多数のプロデューサー/ラッパーたちとの交流を深めながらコンスタントにアルバムをリリースし、常にシーンのトップ街道を突き進む。特にファレル・ ウィリアムスとのコラボレーション・アルバム『Paid tha Cost to Be da Bo$$』発表後の突き抜け具合は、目を見張るモノがある。再びインタースコープ傘下のゲフィン・レーベルに移籍後も、『R&G(リズム&ギャングス タ):ザ・マスターピース』と06年末の『ダ・ブルー・カーペット・トリートメント』と壮大なスケールのアルバムを立て続けに発表。唯一無二のヴォイスと フロウのラップ・スタイルはすでに孤高の粋にすら入っている。また音楽活動での後進の育成はもちろん、自身のバスケット・ボール・チームを通じた地域社会 の活性化、ハリウッド界への進出なども精力的に行い、その発言、行動には大きな注目が常に集まっている。

(引用)https://www.universal-music.co.jp/snoop-dogg/biography/

RANKINGランキング

RELATED TOPICS関連記事

OFFICIAL SNS

  • Twitter
  • instagram

COLUMN & SPECIAL連載&特集

ALL SERIES

RANKINGランキング

OFFICIAL SNS

  • Twitter
  • instagram