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2ちゃんねる創設のひとりというのだろうか、ひろゆき氏の発言が話題になっていた。▼「福島の放射線の強い地域に残ってる人は、覚悟を決めてるのか、楽観的なのか、何も考えてないのか3つのうちのどれかだと思うのですが、「仕事がある」とか言ってる人って、目の前の日銭と自分や家族の人生を天秤にかけて、日銭を取ってるってことですよね。不思議。」▼現実的にはその三択ではないだろう。出口のないような状況に追い込まれているのが大半だろう。楽観的でもなく、そして考えてみてもどうにもならない。それを覚悟というなら、そういうこともあるだろう。「仕事がある」というのはそのなかでとりあえず生きるということでもある。▼「ぬちどぅたから(命こそ宝)」と沖縄ではいう。内地の「命あっての物種」とも似ているが、沖縄のそれは鉄の暴風のなかで言われた。生きるか死ぬかとなれば、生きることを選ぶべきだと私は思う。だが、生きる日常というもの
放射線量の高い福島に人を集めてフェスをやることがいいのかどうか、悩まない訳がない。実際ものすごく悩んでいる。一人で悩んでいるだけでなく、いろいろな人に相談しつつ悩んでいる。 公表されてる数字で市内中心部が1.5マイクロシーベルト(μSv)前後、小学校の校庭では3μSvを超えてるところもある。会場予定地の市内西側に位置する四季の里周辺は0.3μSvではあるが、芝生の上ではそれ以上の数字を示す可能性が高いし、線量の高いホットスポットもあるかもしれない。この数字をどう解釈すべきかは、実際に計った数字をもとにプロジェクトFUKSUHIMA!の公式な見解をなるべく早めに出そうと思っているので、これから書く事は、あくまでも現時点での個人的な見解だと思って読んでほしい。 まず、情況が今より悪くならないという前提で、現時点でのわたしの見解は、 「福島でフェスを8月15日に開く。ただし来る人は、放射線量を確
ラジオパーソナリティ、ピラティスインストラクター、編集者、レースクィーン。福島生まれの福島育ち、福島が大好き。自然と故郷をこよなく愛する宍戸慈の毎日の編集記録です。 数日前のブログ、 読んでくれた方 心配のメールを下さった方 コメントを残してくれた方 本当にありがとうございました。 参考になるご意見や見解 何か…とっても落ち着きました! 何より、 こんなに読んでくださっている方がいたことに 驚きつつ元気を貰いました 気にし過ぎ?ストレス?風邪? もしかしたらもしかしたら、放射線の影響? 結局答えなんて出ないんですが 「広い意味で原発事故の影響ということは間違いないと思います」 tseinoさんのコメントに妙に納得しました。 きっと福島にいる人はみーんな 少なからずそうなんですよね。 こんなの何か変だけど 原発と放射線との上手な お付き合いの仕方をかんがえたいとおもいます 付き合わなくていい
4月14日〜18日、車に寝泊まりしながら福島と宮城を巡ってきた。きっかけはTwitterで震災後の自粛ブームについて語らっていたとき、宮城県白石市在住のしっとマスクさんに「船岡城址公園の花見に来てください」と誘われたことだ。現地の人がそう言うのなら自粛することはないだろう。あわせて福島の放射能汚染を自分なりに調べることにしたのだった。 個人取材のつもりではあるが、ボランティアとして働くわけでもなく、他人から見れば野次馬にすぎない。気安く被災地に行くべきでないのは百も承知だ。 しかし表現者のはしくれとして、今回の被災地はぜひこの目で見ておきたかった。阪神淡路大震災のときは、日帰りできる距離なのに、現地に入ったのは三年後だった。それでよかったのかもしれないが、ずっと後悔している。被災地を早期に見ていれば、その後の復興にもっと積極的になれたかもしれない。 本震から一か月以上がすぎて、内陸部のイン
前回のエントリ(福島には原発が必要だった)について、たくさんのコメントをいただきましたが個別に返事するのが難しいので、補足させていただきます。 まず初めに、ここは公的機関でも何でもないただの個人のブログなので、あれは「私の」意見です。福島県民の意見を代表するつもりは全くありません。「県は」という時、一般的に県の機関決定を指すものだと思っていたので、それを「福島県民みんな」のことと受け取られてしまったことに戸惑っています。私の書き方が悪かったかもしれません。 無知だ、幼稚だ、何も分かってない。 Exactly(そのとおりでございます)。 私は無知を恥じるつもりはありません。堂々と知らない!って言います。 本当に恥ずかしいことは、知ろうとしない、学ぼうとしないことだと思うからです。 何もない家で生まれて、さっさと出て行けと言われながら育ったので、私は福島について人よりちょっと知らないことが多い
3月31日の今日。 穏やかでぬくぬくとした小春日和です。 小さな庭の月桂樹から、沢山の新芽が芽吹いています。 僕たちも震災の日には、少しだけその渦中に居ました。 製作の野田は、この日常磐線沿いの道を歩いて帰って来ました。 渡邉は崩落してきた本とCDに埋もれて、タダタダその揺れに恐怖していました。 しかしその時は…、その後のことを予想だにしていませんでした。 僕たちは、管理会社からの連絡も無いまま、ガスが出なくなった事で困り果てていました。 しかし…。 大震災は、言語に尽くせない被害を残し、いや更に被害を広げていました。 東日本大震災。 大地震と大津波。 それに加えて、福島第1原発の事故。 僕たちが「廃都」で描こうとしているのは、生きる術を失った人間と、生きる術を得られない若者の交流。 残酷な運命をも含めて描いていると思っています。 でも僕らの物語は、この現実の前ではチリのように吹き飛んでし
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