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YMOの検索結果121 - 160 件 / 255件

  • あなたが好きなYMOの名曲はどれ? 【人気投票実施中】 | 音楽 ねとらぼリサーチ

    細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんという、3人のトップミュージシャンによって結成された“YMO”こと「イエロー・マジック・オーケストラ」。1978年に結成されて以降、「テクノ」と呼ばれる電子楽器を使った斬新で未来的な楽曲を続々と発表し多くのファンから絶大な支持を得たほか、日本はもちろん世界各国で数々のミュージシャンにも影響を与えました。 そこで、ねとらぼ調査隊では「あなたが好きなYMOの名曲は?」というアンケートを実施します。当時レコードを買っていた人も、後から聞いて好きになった人も、ぜひ投票にご参加ください! それではまず、YMOの楽曲の中から、代表的な3曲をピックアップして解説付きで紹介します。

      あなたが好きなYMOの名曲はどれ? 【人気投票実施中】 | 音楽 ねとらぼリサーチ
    • 高橋幸宏は東京のカルチャーの象徴だった YMO、METAFIVE……自由奔放にポップミュージックを体現した音楽人生

      高橋幸宏は東京のカルチャーの象徴だった YMO、METAFIVE……自由奔放にポップミュージックを体現した音楽人生 高橋幸宏さんが亡くなった。 2020年の夏に脳腫瘍の摘出手術を受けたことが公表された後、少しずつ回復に向かっていることを信じていただけに、ファンの方は大きな悲しみ、喪失感に包まれていると思う。筆者もその一人だ。 個人的な書き方で申し訳ないが、80年代が青春だった人間にとって、高橋幸宏は特別な存在だった。 本格的なキャリアのスタートはサディスティック・ミカ・バンドだが、筆者が最初に“ユキヒロ”を知ったのは、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーとしてだった。代表曲「ライディーン」の作曲者であることはもちろん、ドラムを演奏しているスタイリッシュな佇まい、そして、研ぎ澄まされたビートに魅了された。正確無比であり、手数を抑えたドラミングから生まれる端正なグルーヴは本当に

        高橋幸宏は東京のカルチャーの象徴だった YMO、METAFIVE……自由奔放にポップミュージックを体現した音楽人生
      • NHK「細野晴臣イエローマジックショー」再放送。7日深夜

          NHK「細野晴臣イエローマジックショー」再放送。7日深夜
        • 細野晴臣を褒めたりない。

          音楽家の細野晴臣さんは、 ’80年代の音楽のおおもとをつくってきました。 それなのに、なぜか、いつもスポットライトから 外れたところへ行ってしまうのです。 糸井重里は気づきました。 「細野さんを、俺たちは褒めたりていない!」 そこで、こうしちゃおれないと しりあがり寿さん主催のイベント 「さるハゲロックフェスティバル’23」のステージに 細野さんをお招きし、3人で’80年代を振り返りました。 しりあがり いつも新年に開催している「さるフェス」のテーマを 「うろおぼえ80年代」に決めたときに、 ぜひ糸井さんに来てほしいと思ったんです。 僕にとって「’80年代をつくった」人は、 自分が広告を見て憧れた糸井さんだったから。 そして、その糸井さんが、 「ぜひともこの人に話を聞きたい」とお招きしたのが 細野さんだったんです。 細野 それで呼んだのね。 しりあがり 糸井さん、ぜひ、そこらへんのお話から

            細野晴臣を褒めたりない。
          • 坂本龍一追悼コンピ『Micro Ambient Music』が3カ月限定公開。大友良英、蓮沼執太、Yui Onoderaら41名が参加 - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア

            坂本龍一と2000年から晩年にかけて関係の近かった国内外のアーティスト41名が参加した追悼コンピレーション『Micro Ambient Music』がBandcampで3カ月限定で公開された。坂本も過去にリリースしたことがある、ニューヨーク「12K」のレーベルメイトが中心となって作成。未発表39曲を含む楽曲が5枚組のアルバム(3時間56分)に配列されている。 『Micro Ambient Music』はBandcampにて全試聴可能で、ダウンロードにて販売(5枚セット5,500円/各1,800円)。なお、収益金の一部はTrees for Sakamoto(https://trees4skmt.org/)に寄付される。 公開期間:2023年7月13日(木)〜 2023年10月31日(火) 参加アーティスト(アルファベット順) Alva Noto、AOKI takamasa、ASUNA、 Bi

              坂本龍一追悼コンピ『Micro Ambient Music』が3カ月限定公開。大友良英、蓮沼執太、Yui Onoderaら41名が参加 - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア
            • 細野晴臣が語った高橋幸宏の才能と審美眼 追悼特集の6曲にも表れた両者の音楽的な交わり

              高橋幸宏が逝去した後、国内外のアーティストーー高野寛、星野源、Sparks、Duran Duranなどーーが哀悼の意を示し、彼が残した音楽の素晴らしさ、ミュージシャンとしての魅力、生前の交流などについて発信している。 桑田佳祐は1月21日放送のラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』(TOKYO FM)で、以前、高橋と家族ぐるみの付き合いがあったとコメント。ビールを飲みながら、The Beatlesの楽曲を歌っていたと語った。また「ドラマーとしての偉大さはもちろんですけど、歌が好きでね」と高橋の1stソロアルバムの表題曲「SARAVAH!」をオンエアした。 また山下達郎も22日放送の『山下達郎の楽天カード サンデー・ソングブック』(TOKYO FM)の冒頭で、「我々の世代の代表的なドラマー。とても素晴らしいテクニックを持ったドラマーです」と評価。高橋のほか、細野晴臣(Ba)、佐藤博(Key)

                細野晴臣が語った高橋幸宏の才能と審美眼 追悼特集の6曲にも表れた両者の音楽的な交わり
              • 細野晴臣と坂本龍一は「まあ、いっか」と照れくさそうに言い、そして細野は呟いた…YMOの3人が最後に顔を合わせた『イエローマジックショー2』舞台裏 | 文春オンライン

                細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人が最後に顔を揃え『ライディーン』を披露した19年1月の『細野晴臣イエローマジックショー2』(NHK)。そこに至るまでの日々、そして撮影現場で“最後のYMO”を目撃した取材者が語る舞台裏とは――。『細野晴臣と彼らの時代』の著者が今明かす、テレビでは見られなかった3人の物語。(全3回の3回目/#1、#2を読む) ◆◆◆ 大瀧詠一が振り返る細野晴臣と坂本龍一が出会った瞬間 大瀧詠一や山下達郎と出会う以前に、坂本龍一をミュージシャンの世界に引き入れるきっかけを作ったのは友部正人だった。演劇関係の仲間たちと新宿のバーで安酒を飲んでいたとき、隣に坐った友部と意気投合し、坂本は友部のアルバム『誰もぼくの絵を描けないだろう』のレコーディングに参加する。そして彼のコンサートに同行して全国を回った。

                  細野晴臣と坂本龍一は「まあ、いっか」と照れくさそうに言い、そして細野は呟いた…YMOの3人が最後に顔を合わせた『イエローマジックショー2』舞台裏 | 文春オンライン
                • 「関ジャム 完全燃SHOW」坂本龍一特集のために回答したアンケートを公開! Ryuichi Sakamoto | 12

                  2023年2月12日に放送された「関ジャム 完全燃SHOW」坂本龍一特集のために本人が回答したアンケートを未公開分もふくめ公開します。 Q:「関ジャム 完全燃SHOW」はご覧になった事はありますか?また、番組の印象はいかがでしょうか? ありません。 ずっとアメリカに住んでいますし。 だけど、評判は聞いたことがあります。 今回も番組で扱っていただけるということで関係者が番組のことを熱く語ってくれました。 それから関ジャニ∞は知っています。 この何年か、治療で入退院を繰り返していてすっかり世間にうとくなってしまって・・・あまり世間で起こっていることはフォローしていないのです。 ごめんなさい。 ▼作品作りをする上で最新の機材、技術に関する質問 Q:普段見えない電磁波を音や光にしたり、曲の1音1音をNFTにしたり昔も今も新しい技術を積極的に取り入れられていると思うのですが、いま気になる技術(演奏機

                    「関ジャム 完全燃SHOW」坂本龍一特集のために回答したアンケートを公開! Ryuichi Sakamoto | 12
                  • 「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

                    ミュージシャン、そしてファッションデザイナーとしても活躍した高橋幸宏が誤嚥性肺炎のため1月11日に亡くなった。享年70。「ライディーン」など数々の名曲を世に送り出した彼の足跡を、公私ともに親交の深いライターが振り返った。 【画像】高橋幸宏が遺した数々の作品を見る ◆◆◆ 「高校の頃、家に帰ると母と同級生が麻雀していてなぜかユーミンもいて…」 1952年6月6日、東京に生まれた高橋幸宏の父は会社経営者で、軽井沢に別荘を持ち、長じると一家は夏には軽井沢という生活を送っていた。後に音楽プロデューサーとなる兄の高橋信之は高校生のときにバンドを組み、高橋幸宏も小学生の頃からドラムを始めた。ドラムを選んだ理由は<ドラムを練習できる家に住んでいる子どもがそうはいなかった>のも理由のひとつだと後年のインタビュー(ユリイカ2013年10月臨時増刊号/インタビュアー:青野賢一)で話している。 中学生になると自

                      「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
                    • 高橋幸宏、気高く飄々と極めたポップカルチャーの“粋” 最後の趣味人たる音楽家だった理由

                      高橋幸宏の死去のニュースから1カ月近くが経過した(ここでは敬称略とさせていただく)。まだ実感がわかないという人も、じわじわと喪失感を覚えるようになったという人もいることだろう。いまだにこうして関連記事や追悼記事が発表されているし、国内はもちろんのこと、海外においても音楽専門メディアからThe New York Timesなど一般媒体までがその功績を讃えている。つい先日行われた『第65回グラミー賞』授賞式では、ボニー・レイット(最優秀楽曲賞受賞)によるクリスティン・マクヴィー(Fleetwood Mac)追悼パフォーマンスの最中に、バックスクリーンに高橋幸宏の写真も大きく映し出されていた。功績を讃える記事やパフォーマンス、明かされる証言やかつての発言などに触れ、その影響力のほどに改めて驚かされているリスナーも少なくないに違いない。 そのように展開されるとりわけ海外の追悼記事、パフォーマンスの

                        高橋幸宏、気高く飄々と極めたポップカルチャーの“粋” 最後の趣味人たる音楽家だった理由
                      • Yellow Magic Orchestraの海外進出の功績と、現代のアメリカ西海岸・カナダのインディーシーンからの再評価|s.tsujimoto

                        Yellow Magic Orchestraの海外進出の功績と、現代のアメリカ西海岸・カナダのインディーシーンからの再評価 はじめに 以下は私、辻本秀太郎が2018年3月に卒業論文として提出した論文を、内容そのままにnote用に少し修正・編集したものになります。約3年前に書いた論文ですが、久しぶりに覗いてみたところ面白く読めたのでPCで眠らせておくのも勿体ないと思い公開してみることにしました。テーマはYMOや細野晴臣の海外からの評価についての検証で、メインは2章と3章になっています(お急ぎの方は、序論のあと1章を飛ばして2章からどうぞ)。YMOがニューウェーブや電子音楽、ヒップホップに与えた影響はこれまで少なからず語られてきたかと思いますが、この論文では主に彼らがMac DeMarcoをはじめとする現代のアメリカ西海岸やカナダのインディーロックのシーンに与えた影響について、ミューザックやv

                          Yellow Magic Orchestraの海外進出の功績と、現代のアメリカ西海岸・カナダのインディーシーンからの再評価|s.tsujimoto
                        • 【高橋幸宏さんを偲ぶ】ピーター・バラカンがジャパン・タイムズの追悼記事に驚いた理由 | デイリー新潮

                          「週刊新潮」の発売前日に速報が届く! メールマガジン登録 デイリー新潮とは? 広告掲載について お問い合わせ 著作権・リンクについて ご購入について 免責事項 プライバシーポリシー データポリシー 運営:株式会社新潮社 Copyright © SHINCHOSHA All Rights Reserved. すべての画像・データについて無断転用・無断転載を禁じます。

                            【高橋幸宏さんを偲ぶ】ピーター・バラカンがジャパン・タイムズの追悼記事に驚いた理由 | デイリー新潮
                          • 2020年のMETAFIVE評。その足跡と『環境と心理』で迎えた新局面 | CINRA

                            高橋幸宏、TOWA TEI、砂原良徳、小山田圭吾、ゴンドウトモヒコ、LEO今井によるスーパーグループ・METAFIVEが、本来『東京五輪』が開催されているはずだった2020年の夏に再始動した。新型コロナウイルスに惑う世界において、このことはどのような意味を持つだろうか。 黄昏の空に東京スカイツリーのシルエット、グラデーションする薄紫の空をくり抜くように「META」の4文字――METAFIVEの約4年ぶりの再始動に際して届けられた新曲『環境と心理』では、滲み感のある電子音と小山田圭吾、LEO今井、高橋幸宏と歌い継がれるメロウなメロディによって、景色(≒環境)の変化と「なんとなく」移り変わる心模様が重ね合わされて表現されている。この楽曲がいつ作られたかは知るところではないが、コロナ禍によってSFの斜め上をいってしまった2020年を生きる私たちのリアルを射抜いているような気がする。 この比類なき

                              2020年のMETAFIVE評。その足跡と『環境と心理』で迎えた新局面 | CINRA
                            • 『にほんごであそぼ』コンサートのはじまり ~坂本龍一さんと作った福島コンサート~ #471

                              計画 久保なおみ 『にほんごであそぼ』は、Eテレで放送中の子ども向け言語バラエティー番組です。2003年に放送を開始して、今年で21年目になりました。 『にほんごであそぼ』では放送開始から10年目を迎えた2012年に初めて公開収録を行い、それ以来毎年、全国各地でコンサートを開催しています。 このコンサートを始めるきっかけとなったのが、先日亡くなられた坂本龍一さんにご出演いただいた特番でした。私は番組の立ち上げから19年間、 制作を担当していましたので、坂本龍一さんに感謝を込めて、この最初のコンサートについてご紹介します。 『にほんごであそぼ』は、日本語の豊かな表現に慣れ親しむことによって、子どもたちの心に日本語の宝石の原石を埋めたいと願って始めた番組でした。日本に古くから伝わる名文・名句を多く取り上げ、テレビ番組として初めてグッドデザイン大賞を受賞するなど、話題になったりもしたので、大人に

                                『にほんごであそぼ』コンサートのはじまり ~坂本龍一さんと作った福島コンサート~ #471
                              • ryuichi sakamoto on Twitter: "https://t.co/mYLMEN6HrZ"

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                                • 坂本龍一 追悼連載vol.13:YMO以前の分岐点。坂本龍一を「教授」たらしめた現代音楽家としての足跡 | CINRA

                                  坂本龍一が発表した数々の音楽作品を紐解く連載「追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)。 第13回の書き手は、『commmons: schola vol.18 ピアノへの旅』にも参加した音楽ライターの小室敬幸。若き坂本龍一が強く意識していた作曲家の三善晃の存在を入り口に、『千のナイフ』とYMO以前の「分岐点」とも言うべき「現代音楽のエリート路線」と決別、その先で切り拓かれたキャリアについて。 坂本龍一を「教授」たらしめたクラシック〜現代音楽家としての足跡と楽曲群、そして1982年に高橋悠治に書き下ろされた“Just for Me(ぼく自身のために)”を読み解き、たどる。 批判的なビラを配ったという有名なエピソード等もあって、坂本龍一と現代音楽の関係を語る際に武満徹(1930年–1996年)の名があがりがちだ(*1)。 だが東京藝術大学の作曲科在籍中に書かれた作

                                    坂本龍一 追悼連載vol.13:YMO以前の分岐点。坂本龍一を「教授」たらしめた現代音楽家としての足跡 | CINRA
                                  • 第5回 「教授」以前の彼(その4)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま

                                    比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂本龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの好評連載、第5回の公開です! 1 「THOUSAND KNIVES」と「ISLAND OF WOODS」 それではいよいよ『千のナイフ』を聴いてみよう。 1曲目はアルバム・タイトル曲「THOUSAND KNIVES」。曲名はベルギーの画家・詩人アンリ・ミショーの詩集『みじめな奇蹟』の冒頭の一節より。曲の始まりは毛沢東の詩を収録したレコードの(今で言う)サンプリングで、「水調歌頭 重上井岡山(水調歌頭・ふたたび井岡山に登る)」という詩の朗読をヴォコーダーに通したもの。1927年10月、毛沢東は自ら率いる蜂起軍(ゲリラ)とともに井岡山に辿り着き、農村革命の根拠地を立ち上げた(このことから井岡山は「武装闘争発祥の地」と呼ばれる)。

                                      第5回 「教授」以前の彼(その4)|「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代 |佐々木 敦|webちくま
                                    • 貴重な音源で振り返る『オールナイトニッポンPremium ~高橋幸宏さんを偲んで』

                                      ニッポン放送で、去る1月11日に亡くなられた、元YMOの高橋幸宏さんを偲ぶ特別番組が放送される。リスナーから提供された貴重な音源で振り返る。 1月に亡くなられた高橋幸宏さんをリスナーからご提供いただいた貴重な音源で振り返る『オールナイトニッポンPremium~高橋幸宏さんを偲んで』2月15日(水)20時~21時50分 高橋幸宏さんは今から40年前の1983年4月からの9か月間、「高橋ユキヒロのオールナイトニッポン」として火曜日25時からの1部を担当した。ニッポン放送に残っていなかった当時の放送音源は、SNSを通じて呼びかけたところ、すぐに多くのリスナー、ファンの協力を得ることが出来、個人的に録音したものが数多く集まった。 番組ではこうした貴重な音源とともに、楽曲も当時の本人の曲紹介を活かした形でオンエされるなど、40年前のオールナイトニッポンの番組内容、雰囲気を伝えつつ高橋幸宏さんを偲んで

                                        貴重な音源で振り返る『オールナイトニッポンPremium ~高橋幸宏さんを偲んで』
                                      • 追憶 坂本龍一氏:出会い。原発。デモ。科学技術。社会保障。そして哲学と音楽。

                                        坂本龍一(さかもと・りゅういち) 音楽家。1952年生まれ。78年「千のナイフ」でソロ・デビュー、同年YMO結成に参加。88年映画「ラスト・エンペラー」でアカデミー賞作曲賞を受賞。常に革新的なサウンドを追求する姿勢は世界的評価を得ている。2006年には新たな音楽コミュニティー「commmons」をエイベックスとともに設立。また、2007年一般社団法人「more trees」を設立し森林保全と植林活動を行なうなど90年代後半より環境問題などへ積極的に関わる。東日本大震災後、「こどもの音楽再生基金」などさまざまな被災者支援プロジェクトに関わるとともに、脱原発を訴える活動をおこなっている。主な作品に「B-2 UNIT」「音楽図鑑」「BEAUTY」「LIFE」「out of noise」、著書に『音楽は自由にする』、共著に『縄文聖地巡礼』、『いまだから読みたい本――3.11後の日本』、『NO NU

                                          追憶 坂本龍一氏:出会い。原発。デモ。科学技術。社会保障。そして哲学と音楽。
                                        • 「10代の頃、あいつは」坂本龍一さんの旧友、元官房長官がしのぶ:朝日新聞デジタル

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                                            「10代の頃、あいつは」坂本龍一さんの旧友、元官房長官がしのぶ:朝日新聞デジタル
                                          • 坂本龍一さん死去「つらい。もう、逝かせてくれ」家族、医師に漏らす…凄絶がん闘病 音楽家のまま力尽く(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

                                            「坂本龍一ピアノコンサート」配信でソロコンサートを行った坂本龍一(「Ryuichi Sakamoto:Playing the Piano 2022」(c)2022 KAB Inc.) 「世界のサカモト」と評された音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日、都内の病院で死去した。71歳。東京都出身。葬儀は家族葬で執り行った。1980年代に3人組バンド「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)で世界的ヒット曲を生み出し、88年には米映画「ラストエンペラー」で米アカデミー賞作曲賞を日本人として初めて受賞した。晩年はがんとの闘いが続いたが、最後まで音楽作りに情熱を注いだ。 【イラスト】矢野顕子と2度目の結婚…坂本龍一さんファミリー図 YMOで共に活躍したドラマーの高橋幸宏さん(享年70)が1月に死去してから3カ月。坂本さんが静かに旅立った。 葬儀は家族葬で営まれ、娘で歌手の坂本美

                                              坂本龍一さん死去「つらい。もう、逝かせてくれ」家族、医師に漏らす…凄絶がん闘病 音楽家のまま力尽く(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
                                            • 坂本龍一はなぜ京都を愛したのか“盟友”明かす素顔

                                              今年3月に亡くなった音楽家・坂本龍一さんが、一時移住を考えたほど京都を愛したのはなぜか。通り一遍の観光を嫌ったという「教授」の実像を“盟友”たちが語った。 シンポ「坂本龍一の京都」 「坂本龍一の京都」と題した追悼シンポジウムが6月18日午後、京都芸術大学の京都芸術劇場春秋座で開かれた。定員400人で事前に予約を受け付けると、すぐにいっぱいになり、関心の高さをうかがわせた。 訃報から約3カ月。「いろいろなメディアで坂本さんについて紹介されているが、まだ統一像を結ぶに至っていない」 坂本さんとの交流が40年近くに及んだという京都芸術大学の浅田彰教授はシンポでの冒頭、企画した意図を説明した。 坂本さんが細野晴臣さんと高橋幸宏さんと結成した音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)は1983年に「散開(解散)」した。その年、京都大学人文科学研究所の助手だった浅田教授は著書『構造と力

                                                坂本龍一はなぜ京都を愛したのか“盟友”明かす素顔
                                              • 坂本龍一の追悼コンピが3カ月限定販売、大友良英や蓮沼執太ら41名参加のアンビエントミュージック集

                                                「Micro Ambient Music」には坂本と親交の深かった大友良英、蓮沼執太、Sachiko M、小野寺唯ら41名のアーティストが参加。彼らが提供する非楽器音を用いた未発表のアンビエントミュージック約4時間分がディスク5枚にわたり収録される。販売期間は本日から10月31日まで。収益の一部は植樹のためのドネーションプラットフォーム「TREES FOR SAKAMOTO」に寄付される。 参加アーティストAlva Noto / AOKI takamasa / ASUNA / Bill Seaman / Chihei Hatakeyama / Christophe Charles / Christopher Willits / David Toop / Federico Durand / hakobune / Hideki Umezawa / Ian Hawgood / ILLUHA /

                                                  坂本龍一の追悼コンピが3カ月限定販売、大友良英や蓮沼執太ら41名参加のアンビエントミュージック集
                                                • 坂本龍一 お気に入りのレストランの音楽があまりにも酷いため選曲を引き受ける - amass

                                                  坂本龍一がお気に入りのレストランのためにプレイリストを制作。ニューヨーク・タイムズ紙によれば、このレストランで流れる音楽があまりにも酷いため、坂本龍一がレストラン側に選曲を引き受けると提案して実現したそうです。 このレストランは、坂本龍一の自宅近くにあるというニューヨークのマレーヒルにある「Kajitsu」。坂本龍一はニューヨーク・タイムズ紙のインタビューの中で、シェフに「あなたの料理は大好きだし、あなたを尊敬しているし、このレストランも大好きだけど、音楽は嫌いだ」と提案したといい、「彼らのBGMがあまりにも酷い、酷い...ブラジルのひどいポップミュージックと古いアメリカン・フォーク・ミュージック、マイルス・デイヴィスのようないくつかジャズが混在している」と語っています。 坂本龍一は、同レストランのシェフ、Hiroki OdoにEメールで「誰がこれを選んでいるの?このひどい寄せ集めのミック

                                                    坂本龍一 お気に入りのレストランの音楽があまりにも酷いため選曲を引き受ける - amass
                                                  • 大貫妙子が語る坂本龍一や高橋幸宏との思い出、ライブに臨む心境の変化とフジロック | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

                                                    日本のシンガー・ソングライターの草分けで、近年は海外の音楽ファンからも高く評価されている大貫妙子。山下達郎が在籍した伝説的なバンド、シュガー・ベイブのメンバーとしてキャリアをスタートした大貫は、76年にソロ・デビューして以降、独自のソングライティングと美意識に磨きをかけてきた。新しい世代のリスナーからはシティ・ポップという側面に注目が集まっているが、大貫の歌の世界が様々な共演者の手を借りて美しく仕立てられたドレスだとしたら、シティ・ポップはえりの部分に過ぎない。その全体像を俯瞰するのにもってこいなのが新作『Taeko Onuki Concert 2023』だ。 本作は2023年11月18日に東京・昭和女子大学人見記念講堂で開催されたコンサートを完全収録したもの。バンド・メンバーとして、小倉博和(Gt)、鈴木正人 (Ba)、沼澤尚(Dr)、林立夫(Dr)、フェビアン・レザ・パネ(P)、森俊之

                                                      大貫妙子が語る坂本龍一や高橋幸宏との思い出、ライブに臨む心境の変化とフジロック | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
                                                    • ユーミン、細野晴臣、大滝詠一らが一堂に会した伝説のライブハウス「荻窪ロフト」のオープニングセレモニーの舞台裏「“日本のロックの夜明け”が見えてきた」 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け

                                                      #2 1974年にオープンした本格的なロックのライブハウス ロフト3軒目の荻窪ロフトは、1974年11月に中央線・荻窪にオープンした、当時はまだ珍しかったロック系ライブハウスだ。広さは35坪で、隣近所に遠慮なく音が出せるようにと地下へ潜ることになった。 細野晴臣、坂本龍一、はちみつぱい、シュガー・ベイブ、ハイ・ファイ・セット、イルカ、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、大貫妙子、鈴木茂、RCサクセション、サンハウス、四人囃子、桑名正博、ティン・パン・アレー、矢野顕子などのライブを行なった。 その動員力はニューミュージックというジャンルを不動のものとし、以後の第一次ライブハウス・ブームの火付け役となった。1980年に閉店。 西荻窪ロフトをオープンしてからまだ半年足らずだった頃、私は自由に爆音を出せる「ロックの空間創作」を夢想した。それが荻窪ロフトとして結実したのだ。 そうした本格的なライブハウ

                                                        ユーミン、細野晴臣、大滝詠一らが一堂に会した伝説のライブハウス「荻窪ロフト」のオープニングセレモニーの舞台裏「“日本のロックの夜明け”が見えてきた」 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
                                                      • 『坂本 龍一  逝く』

                                                        なんだ  この衝撃は 特別  親しくしてたアーティストではないのに凄く大事な人を失ってしまった 衝撃たるや 今もって  コトバにならない  と云うか こうして文にもならないことを羅列してるだけだ なんとか  頭ゆらして文にしてみるか 70年代後半の音楽界にカルチャーショックを与えた『Y・M・O』の登場は、日本の音楽が、いよいよ世界水準をめざした瞬間だった 正確には、海外から先に火がついて、逆輸入で日本に来たのだが、つまり最初は 自国では知る人ぞ知る存在だったのだ 1978年に世界各国で レコードがリリースされ、海外でのコンサートツアーも大成功した後、日本でも大ブームとなる それまでの日本の音楽家は、世界に出向くとき、いわゆる日本式を取り入れ、海外に"媚びた"表現 が付き物だった 坂本龍一・細野晴臣・高橋幸宏の3人による『YMO』の時代から、日本人が海外でショーをやるときに「サムライ・芸者・

                                                        • 槇原敬之さんが語る坂本龍一さん 「音楽家としてあるべき姿を見せてくれた」:朝日新聞デジタル

                                                          ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                            槇原敬之さんが語る坂本龍一さん 「音楽家としてあるべき姿を見せてくれた」:朝日新聞デジタル
                                                          • 1月23日 Daisy Holiday! 細野さんの幸宏さんへの言葉|yhd56:坂本龍一&YMO NEWS

                                                            幸宏が宇宙にかえっていっちゃいました。宇宙の根源というのが、ある種の何って言ったらいいんだろう、量子の海の中で、ゆりかごのような場所だと思うんですね。今うしろで流れているのは子守唄なんですけど。1月11日に亡くなって、翌日その訃報を聞いたんです。遅ればせながら、追悼がやっとできる時間になりまして、それまでずっと言葉にならなくて、何て言うんだろう、考えが全然まとまんない時期がずっと続いてたんですけど、沈黙しているわけにもいかないんで、今日はそういう特集をしたいと思います。思えばですね、幸宏が16歳の時から54年の付き合いでした。軽井沢で初めて会って、先日は軽井沢のお宅でお別れをしてきたというわけです。ああ、軽井沢なんですね。とにかくあの幸宏の発表したアルバム、楽曲の多いこと。ですから今日は自分に多少関係ある楽曲をかけていきたいと思います。時々思い出を交えながらですね。まず最初は、スケッチショ

                                                              1月23日 Daisy Holiday! 細野さんの幸宏さんへの言葉|yhd56:坂本龍一&YMO NEWS
                                                            • RIP Yukihiro Takahashi

                                                              追悼:高橋幸宏 内外の素晴らしいミュージシャンたちの訃報が相次いで。寂しい限りです。 高橋幸宏さん。享年70。長い闘病でした。誰もが奇跡を願っていました。祈っていました。でも、かないませんでした。 昨夜、ノージくんもnoteのほうに書いていたことだけれど、ユキヒロさんのことを思い出すと楽しいシーンしか浮かんできません。クールで、おしゃれで、でもすごくこまやかな気遣いの人で、とてもやさしくて。「スイミングスクールの美人教師」が大好きなんです、自分のバンドでもカヴァーしてました…というぼくのひとことをきっかけに、ベンチャーズについて熱く語り合った夜のこととか、忘れられません。 去年の9月、FMヨコハマでぼくがDJを担当している『otonanoラジオ』に高野寛くんを招いてユキヒロさんの特集をしたとき、番組ホームページ用にぼくがセレクトしたプレイリストがふたつ残っています。ひとつはソングライターと

                                                                RIP Yukihiro Takahashi
                                                              • 坂本龍一はなぜ社会への発信を続けたのか。映画『坂本龍一 WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち』が伝える教授の言葉とは | AERA dot. (アエラドット)

                                                                映画『坂本龍一 WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち』より (c)TBS この記事の写真をすべて見る なぜ、社会への発信を強めていったのか――。この20年余りの坂本龍一の活動をまとめたドキュメンタリー映画が公開される。 【写真】坂本龍一さんの別カットはこちら * * * 音楽家・坂本龍一がこの世を去り、あっという間に1年が過ぎた。 Yellow Magic Orchestra(YMO)での世界的ブレイク、ソロアーティストとしての活動やプロデュースワーク、映画「ラストエンペラー」の劇伴で日本人初のアカデミー賞・作曲賞を受賞するなど、その功績は今更言うまでもない。“教授”の音楽はこれからも世界中のリスナーを魅了し、数多くのアーティストに影響を与え続けることになるだろう。 坂本は精力的な音楽活動を継続する一方、社会的な問題にもコミットし続けた。2012年の原発反対派の集会に参加した際

                                                                  坂本龍一はなぜ社会への発信を続けたのか。映画『坂本龍一 WAR AND PEACE 教授が遺した言葉たち』が伝える教授の言葉とは | AERA dot. (アエラドット)
                                                                • 追悼坂本龍一と言葉 | TURN

                                                                  かねてより癌との闘いが伝えられていた坂本龍一が死去した。3月28日に息を引き取ったことを4月2日にマネジメントが公表。71歳だった。 彼についての文章を公の場に寄稿したことは数えるほどしかない私でも、こうみえて実はかなり熱心なリスナーなので、今ここで坂本の作品について、これまでに観てきたライヴ・パフォーマンスについて、振り返りながら綴ることはもちろんできる。でも、それはまた何かの機会とさせていただき、ここでは文章書きの端くれとしてどうしても書いておきたいことをまず残しておこうと思う。 それは彼の言葉について。厳密に言うと、発言、いや、話ぶりと言ってもいいだろうか。私は坂本龍一の音楽作品と同じくらい話し言葉が好きだ。特に対談やインタビュー本などはおそらくほとんどを所有していて、生きることが窮屈になったり、日々の暮らし自体に息苦しさを感じたら、それらの本を開くようにしてきた。世界的栄誉を受けて

                                                                  • 坂本龍一さんが語った 音楽、がん、人生 (1月放送のインタビューから) - クローズアップ現代

                                                                    先月28日に亡くなった音楽家の坂本龍一さん。1月放送の特別番組「坂本龍一 Playing the Piano in NHK」を4月4日夜11時45分から再放送。

                                                                      坂本龍一さんが語った 音楽、がん、人生 (1月放送のインタビューから) - クローズアップ現代
                                                                    • 革靴でドラム、あんなカッコいいおじさんはめったにいない…追悼・高橋幸宏さん

                                                                      【読売新聞】音楽家・高野寛 幸宏さん。 大学生の頃、「個性的な声だから歌ってみたら?」と背中を押してくださった。1986年、幸宏さんの所属レーベルのオーディション合格後のこと。それまではギタリスト志望で、自分の歌に自信はなかった。2

                                                                        革靴でドラム、あんなカッコいいおじさんはめったにいない…追悼・高橋幸宏さん
                                                                      • 吉田羊と鈴木梨央がポカリCMで「君に、胸キュン。」カバー、アレンジは高橋幸宏(動画あり / コメントあり)

                                                                        新CMは「今年の暑い夏、求めているものは“カラダへのいたわり”と“胸がキュンとなるほど楽しい時間”」をテーマに掲げ、阿波踊りや海水浴の準備を楽しむ吉田と鈴木の姿を捉えている。2人がカバーする「君に、胸キュン。」のアレンジとプロデュースはYMOのメンバーである高橋幸宏が担当。YouTubeではCMのほか、吉田と鈴木へのインタビュー映像、「君に、胸キュン。」のフルバージョンを聴くことができる動画も公開中だ。 高橋はCMの制作スタッフから「『君に、胸キュン。』で日本の踊り、特に阿波踊りを踊れませんか」という相談を受けたことを明かし、今回のアレンジについて「沖縄の音楽や、アフリカのリズム、ビートを取り入れてみて」「それ全部ミックスしたらどうなるだろう、って考えたら、よっぽどバカバカしいくらいの楽しさになるんじゃないかなって思って」とコメント。吉田と鈴木の歌唱については「2人ともとても上手ですね。実

                                                                          吉田羊と鈴木梨央がポカリCMで「君に、胸キュン。」カバー、アレンジは高橋幸宏(動画あり / コメントあり)
                                                                        • 坂本図書

                                                                          『坂本図書』は、ある人の心を動かした「本」という文化資本を共有するための事業です。 2017年より、坂本龍一が進めていた構想を引き継ぐ形で、2023年より、一般社団法人坂本図書が運営しています。 『長電話』 『長電話』は、1984年に坂本龍一主宰の出版社《本本堂》から最初に出版された、作曲家・ピアニストの高橋悠治と坂本龍一の対話を収録した一冊です。 長電話で語られる内容は音楽や芸術の枠を超え、多岐に渡り、ふたりの軽妙な会話から飛び出す言葉の数々は大きな示唆に富むものでした。事実、この本は"長電話"という手法も含め、多くのアーティストに影響を与えることとなり、絶版である今では幻の名著と呼ばれるに至っています。 今年8月末に、書籍『坂本図書』に続き、ブックレーベル『坂本図書』の第二弾として、『長電話』を復刊します。 バリューブックス内『坂本図書』ページまたは全国の書店にてご予約いただけます。

                                                                            坂本図書
                                                                          • 「奇跡の世代」と音楽やってきた先に 高橋幸宏(前編) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

                                                                            世界が認めた伝説のバンドのメンバーとして活躍し、国内外のアーティストに大きな影響を与えた高橋幸宏さん。アメリカ文化の洗礼、ビートルズの衝撃、同世代アーティストたちとの出会い、そしてYMO結成――。1960年代から80年代にかけ、日本の音楽シーンに旋風を巻き起こしながら駆け抜けたあのころを振り返る。(文 中津海麻子) ◇ 音楽をする兄たちが憧れだった ――音楽に出会い、魅せられた体験をお聞かせください。 僕は5人兄弟の末っ子で、音楽に関してはすぐ上の兄の影響を強く受けました。1960年代半ばのエレキブームのころ、兄貴は慶応大学でフィンガーズというバンドを組んでいて。メンバーはブリヂストンの創業者の孫とか、歌人・齋藤茂吉さんの孫とか、いわゆる慶応のぼんぼんバンド。実力はあって、グループサウンズのバンドとしてプロデビューも果たしました。楽しそうに音楽をする兄貴たちの姿は、少年だった僕には憧れでし

                                                                              「奇跡の世代」と音楽やってきた先に 高橋幸宏(前編) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
                                                                            • 細野晴臣さん「残したい、伝えていきたい音楽」 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

                                                                              2019年、音楽活動50周年を迎えた細野晴臣さん。その年は、日本とアメリカでライブを行い、また、幼少期からをたどるドキュメンタリー映画が公開されたり、作品世界をひもとく展覧会が開かれたりするなど、さまざまなプロジェクトが繰り広げられた。今年2月、活動の全貌がわかるブルーレイ&DVDボックスと、USツアーライブ盤を同時にリリース。作品のことや、USツアーを成功させたLAでの思い出などを語ってもらった。 初めてのLAでの経験が、50年横たわっている ――一昨年ソロのアメリカツアーで訪れたLAは、思い出の街だとか? 人生初の海外渡航がLAでした。はっぴいえんどの最後のアルバム『HAPPY END』のレコーディングをしました。1972年のことです。僕の音楽のルーツはアメリカの音楽で、少年時代はビーチボーイズなど西海岸サウンドに影響を受けて音楽を始めたので、まさに「憧れのロスアンゼルス航路」でした(

                                                                                細野晴臣さん「残したい、伝えていきたい音楽」 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
                                                                              • YMO 時代を超えた革命児たち - アナザーストーリーズ 運命の分岐点

                                                                                https://www.nhk.jp/p/anotherstories/ts/VWRZ1WWNYP/episode/te/WJGY96W11J/ 今年、高橋幸宏、坂本龍一のふたりが相次いで亡くなったYMO、イエロー・マジック・オーケストラ。細野晴臣の呼びかけで3人の天才が最新テクノロジーを使い、世界に向けて新たな音楽を発信しようと結成された。ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれた時代、先に世界でヒットし日本に逆輸入、テクノブームという社会現象を巻き起こした。3人の出会いが生んだ伝説のバンドの秘密を“4人目のYMO”ほか関係者が解き明かす。

                                                                                  YMO 時代を超えた革命児たち - アナザーストーリーズ 運命の分岐点
                                                                                • 「高橋幸宏」という本はずっとそこにある 細野晴臣さん、友を追悼:朝日新聞デジタル

                                                                                  ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                                    「高橋幸宏」という本はずっとそこにある 細野晴臣さん、友を追悼:朝日新聞デジタル

                                                                                  新着記事