依頼した荷物を指定された住所まで素早く届けてくれる宅配便。食品など冷蔵、冷凍の物でも、保冷機能のついた車で低温のまま運んでもらえます。とても便利で、今の時代には欠かせない存在です。 遠方からでも早ければ翌日に荷物を届けてくれる宅配便ですが、近所であれば自分で持って行った方が当然早い。ならば、どのぐらいの距離までなら自分で届けた方が早いのか? とりあえず、100kmぐらいの距離で試してみました。昔の飛脚のように自分の足で走って、冷凍状態を保ちながらマグロを運びます。 1972年生まれ。元機械設計屋の工業製造業系ライター。普段は工業、製造業関係、テクノロジー全般の記事を多く書いています。元プロボクサーでウルトラマラソンを走ります。日本酒利き酒師の資格があり、ライター以外に日本酒と発酵食品をメインにした飲み屋も経営しているので、体力実践系、各種料理、日本酒関係の記事も多く書いています。(動画イン
1.「科学」の幻想 2.「科学」は面倒な議論を単純化できる。 3.自分を合理的な人間だと思いたい人達 4.「配慮」と「共感」の現代 4.崩壊する民主主義 【参考文献】 1.「科学」の幻想 「科学」という言葉は、かなり安易に使われている。 「科学的」であるということはそれだけで偉いことのように言われ、「科学的ではない」という言葉はかなり批判的に使われている。(「文学」や「哲学」ではこうはいかない。「文学的」「哲学的」という言葉は「しゃれてる」「なんか小難しい」くらいの意味で使われがちだ) 問題は「科学」を正しさを証明してくれるものとして盲信する態度が人々の内にあることだ。 実際、「科学」が何なのかを説明できずとも、とにかく「科学的」であることは重要であるということを言う人も多い。しかしそれは詭弁ではないかという話を前回記事では説明した。 「科学」とは何かについては過去説明した通りだが、やはり
0.「科学的」とは何か 1.恋愛工学概要 2.Google検索される「科学」 3.科学と「科学」 3.恋愛工学という宗教 4.「科学」の宗教性、宗教の「科学」性 0.「科学的」とは何か 近代以降、科学によって多くのことが証明されてきた。 科学によって説明が可能になったものは数多くある。生活に役立つ多くの技術も科学の進歩があってこそである。 そうした現実と歴史を前に、人びとはことあるごとに科学の進歩や成果を歓迎し、「科学的根拠のないもの」「科学的でないもの」には厳しい態度で接するようになった。それと同時並行する形で「科学は使える」「科学は実践的だ」という謳い文句と「文系廃止論」とが叫ばれるようになった。 しかし、こうした「使える科学」と「使えない文系学問」の対比は何かを見失っていないだろうか。「科学は使える」と言いながら「科学」を信奉する態度は本当に科学的態度と言えるのだろうか。今回の記事で
他人を利用しないと人間は生きていけないけど、そのためには交渉や相談をする、脅す、ゴネる、暴力を振るうとか色んな方法がある。 一番まともなのはきっと、相手にとってのメリットや現実的な条件を提示したり譲歩したりしながら、お互いの利害がバランスする落としどころを探って、両者で納得できるポイントまで持っていくよう相手と交渉したり相談するようなやり方だと思う。それが「まとも」「フェア」だと感じられるのは、相手も自分と対等な人間だという前提の上でこの方法が成り立っているからだ。 買い物でも、相手に物と金額を提示して納得して買ってもらうプロセスなら(価格交渉が伴っていなくても)こうした相談の一種になる。 一方で「ゴネる」は、相手の利益を無視して、ひたすら自分の要求、自分にのみ都合のいい条件を突きつけ続ける手段だ。それでは相手が受け入れるはずがないので、「相手にとってより不利益な条件」をわざわざ作り出して
世間で「フェミニスト」を名乗る皆さんの主張が多様すぎて訳わかんなくなっているひとをけっこう見かけるので、表現規制問題を軸にざっくりと整理する記事を書いてみようと思った。話題を追いかけている人には今更な内容が多いし、ざっくりといっても8000字弱あるけど…… ## フェミニストと性表現検閲と真のフェミニスト フェミニズムは、「女性解放」「女権拡張」「男女平等」など、多様に訳される。フェミニストもアンチ・フェミニストも「真のフェミニスト」を定義したがるが、表現規制問題を軸にする場合、これを定義するのはかなり難しい。 フェミニストのフェミニストによる反検閲・表現の自由論として著名な「ポルノグラフィ防衛論(原題:Defending Pornography: Free Speech, Sex and the Fight for Women's Rights、ナディーン・ストロッセン著)」の序文には、
紹介(評者・田楽心 Den Gakushin) 原題 著者について はじめに オバマの希望からハランベの死まで 第一章 リーダー不在のデジタル反革命 第二章 逸脱のオンライン・ポリティクス 第三章 オルタナ右翼のグラムシ主義者たち 第四章 ブキャナンからヤノプルスまでの保守文化戦争 第五章 「Tumblr」からキャンパス・ウォーズへ:美徳のオンライン経済における希少性の作り方 第六章 「男性圏」を覗いてみると 第七章 よくいる女、リア充、マスゴミ 結論 「ネタだよ」と言われてももう笑えない 評価(評者・田楽心) お知らせ ★その1 サイト運営者の一人、青野浩の翻訳書が出ます。 ★その2 友人が最近本を出したので、よろしくお願いします。 紹介(評者・田楽心 Den Gakushin) 2016年のトランプ当選を受けて、アメリカ人の多くが、2008年のオバマ当選時との「不可解なギャップ」に首を
タイトルを見て思わず手に取った。面白そうだと思ったのではない。憤慨したのだ。 はっきり言って私はモテない。メディアに出れば、ネットの掲示板には「ブス」という心無い言葉が流れる。だから、モテないことには一家言もっている。 だが、このタイトルには全く同調できなかった。 男はたとえ生まれ持った容姿に恵まれなくとも、筋肉をつけ、身なりに気を使い、学歴や財力、権力、そして小粋なトークでもできれば、間違いなくモテるようになれるだろう。これら全ては後天的な努力で手にすることができるものばかりだ。努力が足りないだけなのに「弱さ」とは一体何事かと憤りながらページをめくった私は、後頭部を殴られるような衝撃を受けた。 「ふと、自殺した友人や知人たちの顔を、今でも思い出すことがある。」という書き出しから始まる冒頭には、社会の期待するマッチョな男性像に絡め取られ、声を上げることもできないまま死を選んでしまう男性たち
MBS製作『かまいたちの知らんけど』の9月12日放送の特別編「37年間通ったスーパー イズミヤへ濱家最後の挨拶」が実に素晴らしい内容だった。関西圏外にはあまり馴染みのない番組かもしれないが、今はTVerという素晴らしいメディアがありますのでぜひチェックして欲しい。 かまいたちの濱家の生まれ育った大阪市東淀川区にある上新庄という町で、彼が生まれる前から営業している大型総合スーパーイズミヤ。濱家にとって、幼少時代から家族や友人との思い出の詰まった大切な場所だ。そのイズミヤ上新庄店がこの8月末をもって47年間の歴史に幕を閉じるという。濱家はイズミヤに感謝と別れを伝えるべくロケを敢行する。 ショックすぎる…。 フードコートのチョコマーブルアイス、世界一美味いポテト。 おもちゃ売り場、ジャンケンのゲーム機、初めてCD買ったお店、横の本屋さん。 たまに開催されるガラガラ福引き。 服も靴も全部イズミヤで
またテレビを見てない自慢か、とか言われそうだけど、俺もめっきりテレビを見ない生活を送っている。で、俺がテレビを見なくなったきっかけは、テレビを大きいインチのものに買い換えたからだと思っている。 21インチのブラウン管を使っていた頃はテレビっ子を自認するほどよくテレビを見ていたんだけど、地デジ化のタイミングで液晶の32型に買い換えてから、なんとなくテレビを見る時間が減ったような気がしていた。そして3年前、そのテレビが壊れたのをきっかけに55型に買い換えたんだけど、そこでもう明らかにテレビを見る時間が激減した。 だって疲れるんだもん。画面いっぱいに明るく光るテレビは、朝起きた後や疲れて帰ってきた後に見るには刺激が強すぎる。大画面化と性能の向上がテレビをこれまでより疲れるものにしてしまった結果、テレビを見ない人が増えてきたんじゃないかと結構本気で思っている。「ながら見」が増えたっていうのも、無意
施設ご飯 @kitaro428 ユーカリにもともと毒はない→コアラが食べまくる→ユーカリ、毒を獲得→コアラ、盲腸を2mに延長し無毒化に成功→ユーカリ、近年になって別の毒を出すがコアラも徐々に無毒化機構を獲得しつつある(Nature 435, 488 (2005)より)の流れ好き 2015-05-17 13:14:31 にげたん#00164553614X @2gettan コアラVSユーカリが流れてきたんで ユーカリにも種類があって、コアラは親(の糞)から獲得した消化酵素で対応できる 特定の種類のユーカリしか食えない。 そのため、動物園は日本各地の契約農家にいろんな種類のユーカリを育ててもらってる これが相当な額で頭抱えてるそうな 2015-05-17 22:59:55 けろめ @GOn9rNo1ts こういう流れってユーカリがコアラに強くなるために毒を作ってるわけじゃなくて、たまたま毒を持
はじめに 1.「当事者」として語ることの困難 2.ホリガイ(堀貝)と対比的な二人の人物 2.1ホリガイとカバキ(河北) 2.2ホリガイ(堀貝)とイノギ(猪乃木) 3.「君は永遠にそいつらより若い」 3.1【補足】 4.【関連図書】 はじめに 今回は、どうしようもないコミュニケーションの困難について書かれているある小説について紹介したい。 今回紹介したいのは芥川賞作家津村記久子の『君は永遠にそいつらより若い』である。最近読んだ本の中でかなり印象に残った本で、映画化もするようなのでこの記事を書くに至った(映画版とは解釈が異なると思うが.......)。 君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫) 作者:津村 記久子 発売日: 2009/05/11 メディア: 文庫 1.「当事者」として語ることの困難 『君は永遠にそいつらより若い』は、自分が受けた暴力の体験を語ることの難しさや苦悩と、その傷と共
1.モラルハラスメントとモラハラ擁護論 前回の記事では、恋愛関係のトラブルにおいては「同意の有無」「合意形成の過程」より「悪気があったのか」「どのような意図だったのか」という点ばかりに焦点が当てられてしまうことを警戒すべきだと書いた。 tatsumi-kyotaro.hatenablog.com そしてまさに、そうした思考の誘導によって寧ろ加害者側が同情されてしまう例、被害者側の被害が矮小化されてしまう身近な例としてモラルハラスメントを取り上げたい。 凶悪な事件ではなく、モラルハラスメントという卑近な例を「優しい支配」という観点から問題を見ていく。 そうすることで、モラルハラスメントが「比較的軽微な加害だから」という理由で擁護されてしまうのはなぜかという問題について書くこともできるだろう。 そして、最後には同意のない「優しい支配」の関係に陥らない為に必要な信頼と信頼関係について語ることにし
anond.hatelabo.jp 『魔法少女まどか☆マギカ』の巴マミさんにかこつけて、初期仏教の素晴らしさを説く記事を見かけました。 なるほど、初期仏教が良いことに異存はありません。 しかし、大乗仏教を信奉し、マミさんの魅力もまた大乗仏教的だと感じる私としては、「いや、マミさんがしっくり来るのは初期仏教じゃなくて大乗仏教なんじゃないか?」と思ったので、制限時間40分で思うところを書いてみます。 マミさんには解脱や涅槃なんて無理ですよ まず、マミさんには阿羅漢だの解脱だのといった、仏教でいうところの自力本願が難しいと考えざるを得ません。 もともと、魔法少女とは、執着の強い存在です。 何かを願って奇跡を起こす存在としての魔法少女。強く何かを願えること、強い奇跡を起こせること自体、その背景として、強いエネルギーを、執着を必要とせずにはいられません。暁美ほむらにしても、彼女が諦めることなく時間を
2019年8月、「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が右派からの抗議を受け、中止に追い込まれるなか、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のキャラクターデザインなどで知られるクリエーターの貞本義行が発したツイートが物議をかもし、炎上するという一幕があった。 「キッタネー少女像。/天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー。/かの国のプロパガンダ風習/まるパク!」などというその発言には、リベラル派からの激しい批判を中心に、千件を超えるリプライが付けられる一方で、右派からは続々と賛意が寄せられ、2万件近くもの「いいね」が付けられた。そうしたなか、貞本は釈明のツイートを投じていったが、するとそれに受けて5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)には関連するスレッドが立てられ、その援護が試みられた。 「不自由展」の検証委員会によれば今回の騒動は、「電凸」などによる抗議が「祭り」に転
日本学術会議会員任命拒否問題に関しては、学術会議側も外された六人の任命を求めるなど、アカデミック・コミュニティとしても抗議の姿勢を強めていくようである。それは大変大事なことだと思う。ただ、現在の与党幹部と話が通じるという前提でかかるのであれば、不安もある。話が通じるかということは、「学問の自由」というのが、民主国家を支える大前提の一部、それも極めて重要な一部であるという価値観を共有できるか、ということにかかっている。そして、それは(例えば副首相が「大人になってから因数分解や三角関数なんて使わないから、義務教育は小学校まででいい」と言ってしまう状況であることを考えれば)ちょっと望み薄なのではないかと思っている。 すると、妥結はある種の「力のあるもの同士の取引」になるのかもしれない。アカデミック・コミュニティとして、それで満足すべきなのか、という問題である。 排他的なポピュリズムというものが世
0.前置き 1.恋愛ができないことの辛さとは何か。 2.「お金で買えないかけがえのない価値」とは何か。 3.解決手段としての恋愛 4.生きづらさのありか。 5.今回の内容に関連する参考書籍 0.前置き ※今回は書いていて色々と思うところがあったためです・ます調で書いてます。 1.恋愛ができないことの辛さとは何か。 恋愛についての悩みは古今東西問わずある程度の人に共通する悩みと言えるでしょう。 想いの人と結ばれない悲恋の物語は古典から存在します。 しかし、恋愛ができないことや「非モテ」であることが問題であるように語られるのはある程度時代が進んでからでしょう。 中には恋愛ができないことで人生のほとんどの意味を失っているよう語る人もいるのではないでしょうか。今この文章を読んでいる人の中にも恋愛ができないことに悩んだりする人もいるでしょうし、たとえ自分がそうでなくても身の回りで恋愛ができないことで
ジャック・ダルクジャンヌ・ダルクの父。ジャンヌが生まれ育ったドンレミ村の名士であった。1420年頃、旧領主ブールレモン家の邸宅を村の倉庫兼避難所として使えるよう賃借契約を結んだ記録や、23年に、野武士ロベール・ド・サルブリュックと交渉して村を荒らさないよう取り決めを結んだ記録があり、1425~27年には村の取りまとめ役を務め、村を代表して何度もヴォークルール城主ロベール・ド・ボードリクールへの代訴人となったこともある。(コレット・ボーヌ「幻想のジャンヌ・ダルク」P57-58) 彼がジャネット(ジャンヌの故郷での呼び名)のことを非常に溺愛していたことは多くの証言からうかがわれる。ジャンヌ・ダルク処刑裁判での三月十二日のジャンヌの証言によると、「父が娘のジャンヌが兵隊達と連れだって家を出てしまう夢を見た」として、父母がジャンヌを厳しく監視するようになり、あわせて母から「儂がジャンヌのことで夢に
序論 本稿の目的は、経済システムの歴史的発展をモデル化することにある。 本稿の発想の出発点は先日私が公開した『シビライゼーションサークル』(http://jaguchi975.seesaa.net/article/civilizationcircle.html)だ。しかし、本稿を理解するためにあの記事を改めて参照する必要はない。 本稿の理論は柄谷行人『世界史の構造』と多くの点で共通している。私も、世界史の根幹をマルクス的な「生産様式」でなく「交換様式」に置く柄谷氏の視点には深く共感する。しかし本稿はあくまでも私の独自な思想だ。よって私のモデルと柄谷氏のそれは最終的に大きく異なるものとなっている。 なお、ここで述べられるモデルはあくまでも純化された理念型である。 贈与と金融の類似性 マルセル・モース以降、経済学と人類学は経済の起源を巡って論争を繰り広げてきた。古典派やマルクスなどの経済学者が
はじめに。この記事はfufufufujitaniさんの考えた「コミュニケーション・サークル」のモデルを下敷きにしています。よってコミュニケーションサークルを知らない方はまずそちらの記事をじっくりとご一読ください。 https://matome.naver.jp/odai/2155622226434432401 貨幣・言語・音楽を統合する、とても意欲的な理論です。 さて、fufufufujitaniさんはこの記事の冒頭で次のようなことを述べています。 以下の論考は、二次元に表記し、目で読み、耳で聞くことのできるものを対象に行います。コミュニケーションツールとしては絵画や踊りもありますが、読み上げることが不可能ですから扱いません。限定的な考察です。 これを読んで僕は「fufufufujitaniさんに為しえなかったことをやりたい」と思いました。不遜にも、コミュニケーションサークルをより広い範囲
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