『三国志演義』で関羽が歩んだ千里行ルート。実際の三国時代にはなかった演義独自の滑州などの地名も見られる。「正史」では具体的な経路は不明。地図制作:ミヤイン/中国歴史地図集 第二冊より 「三国志」において、劉備配下の関羽が曹操に降り、一時的に客将となった時期があった。 それは中華三分する前の西暦200年、曹操と袁紹(えんしょう)が華北の支配をめぐって争った「官渡の戦い」のころ。その前哨戦で、関羽は袁紹軍の顔良(がんりょう)を討ち、曹操に義理を果たして劉備のもとへ帰る。 「関羽はことごとくその賜りものに封印をし、手紙を捧げて訣別を告げ、袁紹軍にいる先主(劉備)のもとへ奔った」(正史『三国志』関羽伝) 史書にはこのように記されており、側近が追跡しようとするのを曹操が「追ってはならぬ」と止めたのも史実のとおり「武帝紀」「関羽伝」で読める。関羽の義将たるゆえんだ。この記述をふくらませるかたちで『三国