モトケン先生の所読んでがっくりきた。子供の喧嘩を始める方もどうかと思うし乗る方も。もっとも論旨がシフトしてしまえば仕方がないのか。でもなあ。 それが必ずしも良いことではないのかもしれないけど、世界を変えることができる言葉は圧倒的な説得力か、共感をもたらすものでしょう。皮肉や当てこすりが世界を動かすとしたら、それに対する怒り。でもそれはきっかけに過ぎません。まあバカにされた独裁者が核のボタンを押すなら皮肉が直接の原因となりうるかも。 別に自分が間違っていることを認める必要なんてないのかもしれません。相手が正しい可能性「も」少なからずあることを念頭において話せば、上手く折り合う地点が見えてくるかもしれない。 追記 なんだか全然違う文脈で某所から何度もリンクされててうんざりだ。なんかアレなんで置いとくよ。 オンもオフもねーよ - novtan別館 所属先に抗議が行くことは極めて正しい - nov