放っておいても売れるはずがない 1978年、僕の企画事務所であるシロ・プランニングはキャンティ(※1)の3階を拠点にしていた。そのとき事務所で村井邦彦と話をしていると細野晴臣がやってきた。〈イエロー・マジック・オーケストラ〉という新しいプロジェクトを構想しているという。 ※1 川添象郎氏の両親、川添浩史・梶子夫妻が東京都港区麻布台に開いたイタリアンレストラン。 ニューミュージック系のセッションミュージシャンの親分である細野がオーケストラというのだから、僕たちはてっきり大勢のミュージシャンを集めて演奏するのだろうと想像した。 村井邦彦は「細野に全部任せる!」と言って細かいことは気にしていない様子だった。 数カ月後、村井邦彦から電話が来た。電話口の村井はなにやら困ったような声音で「細野に任せた例のアルバムが完成したんだけど、ちょっと聞いてくれないかな」と言う。 さっそく村井の事務所へ赴くと、「