きゃりーぱみゅぱみゅ(1993年〈平成5年〉1月29日 - )は、日本のタレント、女性歌手、ファッションモデル。 正式名はきゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ[8]。所属芸能事務所はアソビシステム[9]。音楽出版活動に関しては芸映と業務提携をしている[10]。血液型はB型[11]。身長は158cm。略称はKPP、旧称及び愛称はきゃりー[注釈 1]。公式ファンクラブは「KPP CLUB」。夫は俳優の葉山奨之。 東京出身。2009年(平成21年)に原宿で撮影したストリートスナップで『KERA』に初登場し、読者モデルとしての活動を開始する。 2010年(平成22年)に歌手活動を開始し、2011年(平成23年)7月16日にYouTube上で公開したメジャー・デビュー・シングル収録曲「PONPONPON」のMVが世界的な注目を集めた。以降「つけまつける」「ファッションモンスター」「にんじ
高校の同級生であった木幡と稲見で2002年結成。大学のサークルで木幡が長谷川と出会い、現在のスリーピースの体制となる[2]。 スリーピースという概念とは大きくかけ離れた、大量のエフェクターやシンセサイザーを駆使した電子音のサウンドが特徴的である。 旧バンド名はAtom Heart Mother[注 1][3]。バンド名はAt The Drive-inのようにハイフンを入れたかった木幡がR.E.M.のアルバム「New Adventures In Hi-Fi」をもじって名付けた[4]。 2008年にはASIAN KUNG-FU GENERATIONのツアー「Tour 酔杯2008 〜THE FINAL〜」のZepp Sendai, Zepp Sapporo, Zepp Fukuokaの3公演にてオープニング・アクトとして出演。2009年にはthe HIATUSやNothing's Carved
hiro(ギター) 悪性リンパ腫に罹患のため、2009年6月よりバンド活動を離れていたが、8月(実質9月)に活動再開した。 té結成以前にkonoのバンドと対バンした際、konoとhiroのギターケースが同じであったためkonoがhiroのギターを間違えて持って行き、それに気づき返しに来たのがkonoとの出会いだった。 2021年11月30日に脳梗塞で死去。[1] masa(ベース) 2010年12月一杯を以って脱退。 脱退するまでは全ての楽曲やアルバムなどのタイトルを考えていた。同レーベルに所属しているバンド・miimiにてバリトン・ギターを担当。 yoko(ドラム) te'の初代ドラマー。tachibanaの活動休止後、サポートドラムを担当していた。脱退後はoakやBOOM BOOM SATELLITESのサポートドラマーとして活動。 2004年1月にkonoを中心として東京にて結成。
wowaka(ヲワカ、1987年〈昭和62年〉11月4日 - 2019年〈平成31年〉4月5日[3][4])は、日本の作詞家、作曲家、編曲家、ボカロP。 動画投稿サイトニコニコ動画で初音ミクなどの音声合成ソフト(VOCALOID)をボーカルに用いたオリジナル曲を発表していた。2011年からはロックバンド「ヒトリエ」のボーカル・ギターとしても活動していた[5]。 鹿児島県出身。中学生の時にロックバンドに興味を持ちギターを始め、高校、大学でバンド活動を行う。東京大学在学中には、サークル「東大音感」の部長を務め[6]、バンドのオリジナル曲のために作曲をはじめる[7]。初音ミクなどのVOCALOIDを知ったのは2008年の12月ごろで、livetuneの「Last Night, Good Night」を聴き、曲の良さと、それを一人で作っているということに衝撃を受け、それまでのバンド活動とは別に20
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