第52景 赤坂桐畑 辰四 安政3年(1856)4月 改印 あかさか きりばたけ 溜池山王という駅名や交差点名で、赤坂近辺に、溜池と呼ばれる地域があるのはご存知の通りである。しかしながら、かつてあそこに、正真正銘の「溜め池」、しかもかなり広大な池があったことを知る人は意外に少ないだろう。赤坂の溜池は、江戸時代初期の慶長11年(1606年)、土木技術に通じた矢島長雲 が、もともとこの近辺に湧きでていた水を堰き止めて築いた半人工的な池である。 この池が整備される以前、ここは、谷底に湿地帯が広がるような窪地で、雨が降るとよく水が溜まる厄介な地であった。室町時代後期の長禄元年(1457年)、太田道灌が、品川にあった砦(御殿山城)(←関連記事参照)を、のちに家康が入ることになる場所(今の皇居東御苑付近)へ押し出すことを決めた理由のひとつが、千葉氏との対立を控え、この一帯を背後の守りとして活用できると考
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