亡き母が好きだったもの。
季節になると食卓にあがったものでした。
ドリママが子どもの頃は
ほろ苦い味と
独特の菊の香りが
今ひとつ受けられなくて
好きではなかったのですが
大人になってからは
ほろ苦い大人の味がわかるようになりスーパーでみかけると、つい買いたい衝動に駆られます。
けれど、食卓にあがることは
ほとんどありませんでした。
ドリパパと結婚したばかりの頃。
ドリパパ両親に食事を作ることがありました。
菊の季節だったんだと思いますが、菊のお浸しを出しました。
その時、ドリパパの母から
『こんな田舎者の料理は食べない』
と衝撃の一言が
他者が自分のために作った食事を本人の前で否定するのも衝撃でしたし
食用菊を作る人、食べる人
全てを否定する物言いが失礼ではないかと衝撃でしたし
実家の母が大好きなものを
『田舎者の食べ物』と一蹴する物言いも衝撃的でした。
母を否定されたように感じたのが1番嫌でした。
他にも
実家の父母が夏のお昼ご飯に食べていた冷や汁も『田舎者の食べ物』だそうです。
ドリママの作る冷や汁は今やドリパパの大好物ですけどね
また、普段
何かいただく時は
まず『ありがとうございます』と言うようにと言われていたのに
その後も
夏、冬、誕生日、母の日、帰省時の贈り物を欠かさず贈りましたが
『人に物を贈る時は1番いいもの(価値のあるもの)を贈りなさい』
などの苦言が必ず付いて来ました。
離れて暮らしていましたが
ドリパパ母はかなりインパクトが強い人で女ジャイアンかジャイ子みたいな人でしたよ。
自分でも『スケバン』だったって言ってましたしね
付き合い方か難しく、あるとしの元旦にドリママの心がプツンとキレて、数年間距離を置いていた時期がありました。
その時も実家の母を侮辱するような事を言われて、またかと。
自分の事ならまだしも、実家の母については許せなかったんですね。
※ホームページからお借りしました
そっくりかも
いつもベレー帽を被ってたし
そんなドリパパ母も最期にはお見舞いに行くたびに手を合わせて『ありがとう』と言ってくれました。
けれど、言われたり、されて来たことは
ずっと心に残っています。
生き方、暮らし方にも影響を与え続けています。良い意味でもね
ドリママはドリパパ母を反面教師だと思っています。
先日は久しぶりに菊のお浸しをいただきました。
高貴な菊の香りと
ほろ苦い大人の味。
素朴だけど味わい深い。
季節には必ず作りたい料理です。
ほろ苦い思い出とともに。
そして
贈り物をする時は
高価な物や流行りの物が基準ではなくて
自分が貰えたら嬉しいもの、相手の方が喜んで貰えるかなと思える物を贈るのが一つの基準です。
気持ちと気持ちの交流が嬉しいものだから
ブログでは
あまり人や物事を否定したり
怒りを露わにしたり(ドリパパに激怒したことはかきましたね)
しないように心掛けて来ましたが、ちょっと辛口でした
たまには許して
新幹線はそろそろ名古屋。
研修でリフレッシュしてきます!