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学歴から資格へ - 池田信夫

池田 信夫

藤沢数希氏が私のブログ記事を引用していうように、理科系のもっとも偏差値の高い学生が医学部に行くのは、科学技術の振興が必要な日本では深刻な社会的浪費である。もちろん先端医学の研究開発は重要だが、大部分の医師は開発された技術を使って診察・治療を行なうオペレーターであり、数学や物理のむずかしい勉強は必要ない。


弁護士も同じである。民事訴訟による賠償はゼロサムの所得移転で、弁護士費用は誰の得にもならない死荷重である。もちろん、これは弁護士が不要だという意味ではなく、法的な紛争解決を円滑に進めて法務コストを減らす制度設計は重要だ。そのためには弁護士免許を廃止して資格認定にし、ADR(法廷外紛争処理機関)によって「司法の民営化」を進めることが望ましい。

医師や弁護士の所得(および社会的地位)が高いのは、フリードマンが指摘したように、彼らのギルドの歴史が古く、その既得権が強固に守られているためだ。免許で供給が制限されているため所得が高く、国家試験がむずかしくなって高学歴の人物しか合格できない。医師や弁護士の所得は、その労働生産性ではなく、むずかしい試験を通ったというシグナリングによって高まっているのだ。

同じことは「大学教授」という職業にもいえる。これは免許に守られているわけではないが、修士・博士課程という(意味の疑わしい)徒弟修行に守られているため、参入障壁は高い。東大教授の社会的地位が高いのは、東大に入るのがむずかしいからであって、彼らの人的資本の価値とは無関係である。少なくとも東大経済学部の授業は、教科書を読めば1週間でわかることを半年かかってだらだら教える非生産的な儀式にすぎない。理科系ではもっと実質的な訓練が行なわれているようだが、それも偏差値の高い一部の大学に限られる。

その結果、学歴というシグナルの価値が人的資本の価値と大きく乖離し、海老原嗣生氏の指摘する「学歴のインフレ」が起きている。ポズナーが紹介しているように、教育学の実証研究によれば、一卵性双生児が大学に入った場合と高卒で就職した場合の労働生産性はほとんど変わらない。労働者として必要な知識のほとんどは中学までに身につけ、高校教育でさえ大多数の労働者には余分である。つまり学歴による所得も、職業免許と同様のレントにすぎないのである。

このように供給制限によって労働生産性と乖離した高いレントが発生している分野は多いが、そういうゆがみを生み出す元凶がシグナリング機関としての大学である。しかし幸か不幸か、私立大学の経営が危機に瀕し、学生も大学を卒業して専門学校に行くなど、学歴から資格への流れが強まっている。これはゆがんだシグナルによる人的資源の配分を改め、サービス産業の生産性を引き上げるチャンスである。

しかし採用する企業が、まだ形ばかりの「大卒」を応募要件にしているケースが多い。こういう慣習をやめ、多くの科目についてTOEICのような実務資格試験をつくってはどうだろうか。同様の機関としては大検があるが、これは既存の大学を前提にするもので、職業訓練の成果を計測するものではない。高校を卒業したら職につき、働きながら職業資格の点数を上げてゆくしシステムができれば、4年間レジャーランドで時間を浪費することもなくなり、転職も容易になるだろう。

コメント

  1. tonbitonbi より:

     「TOEICのような実務資格試験」とありますが、TOEICが実務の能力の参考になるとは思えないのですが。

     自分自身900点以上取ったことありますが、英語はほとんど話せません。マークシート方式で対策も立てやすいですし、リーディングとリスニングしかない(ライティングとスピーキングも追加されたけどあまり使われてない)ので、英語の試験の中でも質は低いほうではないでしょうか。まあ、大勢が何度も受けられるようにするには仕方ないのでしょうが。

     TOEICは、話にもならない人を落とす脚きりと、まじめに勉強したことがあるかどうかをためすシグナリングとして使われているだけでしょう。
     というか、業務独占の資格でない限り、どんな試験も、脚きりとシグナリングとしてしか使えないように思えます。実際にものを言うのは経験だけですね。

  2. haha8ha より:

     後半の内容から離れて、医療の特殊性云々になりそうな雰囲気ですね。ドクターが炎上しないよう、言葉を選んで書き込みます。

     個人的には、医師に高学歴は必要だと思っています。(池田さんのいう偏差値の高い学生が医学部の「十分条件」です)。患者を納得させなければいけないのですから。
    医師を養成するのに、費用(人・時間・カネ)がかかることを考えると、覚悟なくテキトーに入学されるのもイヤです。
    エリート→ドクターを回避するのであれば、医学部は高校からの専門教育にするのがいいのでは?それなら早めに人生のやり直し効きます。
    (相撲みたいな閉鎖社会になるかもしれませんが・・・)

  3. kakusei39 より:

    お説の通りだと思います。

    どうも、日本も中国の科挙の制度の影響があって、知識が仕事の成否を決めると思っている人が多いように思います。

    しかし、実社会での経験で言えば、知識ではなくて、「習慣」が支配的だと思います。アメリカの実証研究でも、会社員の仕事のパフォーマンスの支配要因は、出身学校と社会生活で始めてついた上司だそうです。出身学校というと知識と思いがちですが、必ずしもそうではなく問題解決にどう立ち向かうかなどの哲学と姿勢を学ぶことが多いわけですし、始めての上司も、仕事に対する姿勢をそこでインプリンティングされる訳で、それが会社生活に対する支配的な影響を与えると言うのは良く分かる話です。

    頭の良さ=知識の多さ=偏差値の高さ、と言う信仰を早く捨てる事が大事ですね。博識だけれど、口ばかりで行動しない人が多すぎるのではないでしょうか。

  4. Piichan より:

    今の日本は大学にかならずしもいく必要のない職業まで大卒を要求するようになってきたような気がします。

    医師に高学歴が必要なのは、災害時のトリアージや末期癌患者への対応といった他人の人生を左右する判断をせまられることがおおく、きちんとした哲学をもっていないとやっていけないというのもあるような気がします。

  5. jogmec63 より:

    同感です。

    現在は、大部分の大企業で
    大学もしくは大学院の卒業年度「のみ」しかエントリーシートを受け付けてくれません。
    ここを、18歳以上であれば誰でも応募できるようにするように変えれば、大学在学中からレジャーランドを抜けて就職できるようになるのではないでしょうか。
    また、就職氷河期に大学を出た人も救えるように思います。
    1つの企業が抜け駆けでやれば、優秀な人を獲得できると思いますが。

    大学には人的資本を形成する力はないので(あったとしても企業で働いたほうがつく)、早めに社会に出ることは、社会全体の利益になると思います。

  6. ingolstadt0320 より:

    アメリカでは工学系の資格制度としてPE(Professional Engineers)がある。エンジニアとして働く能力を客観的に保証しようという考えから生まれたもので、たとえば公的業務に従事するのにPE資格を必要とするなどの要件を課している。
    こうした制度は日本版PEであれ技術士であれ建築系を除きほとんど広まっていない。
    その理由は資格を基に自由に転職可能な米国に対し、個人の能力を会社に最適化する必要がある日本との違いだろう。

    日本の大学の理系は専門的な教育はするが、学際化と称して学生に教育をつまみ食いさせて体系的な知識形成を阻害したり、やたら専門化して教授準教授の論文作成の手伝いをさせ易い教育に特化して社会に必要なスキル形成を一顧だにしない場合も多い。
    一方日本の企業もレジャーランド化した大学に文句を言うことは多いが社会人に必要なスキルセットを具体的に示したりすることは少ないね。そういう点では弁護士や医師・獣医師の方が資格試験がある分ギルドのニーズを反映させやすい。

  7. eco_and_sport より:

    独学のほうが向いている人を活かす学習や労働の環境は必要だと思います。
    教育問題の第一は「学習」の生産性だと思います。
    学習への動機付け、学習時間の短縮、そして、柔軟な単位取得制度などへの取り組みが有効ではないでしょうか。
    ITを理解し、上手に活用し、常識となっている従来の管理の制約を超えた新しい発想で試行錯誤を始めてはと思います。
    地理的、時間的、年齢的な制約を取り除き、入りやすくして出にくくしてはどうかと思います。
    たとえば6・3・3・4・・・システムから見直し、早い段階で職業を経験し、何が必要かを理解し、それから主体的に学ぶ、そして学び続けられる、また学ぶ対象を途中で柔軟に変えられる・・・こうしたことを実現できる柔軟な労働と学習の環境を整備することが求められているのではないでしょうか。
    多くの人が薄く長く学べば大学・大学院の事業性は改善されるのではないでしょうか。
    労働力の面でも税収面でも。
    一方、仕事はテキトーに学歴や資格を重ねる社会人も結構いたりします。
    学習環境だけではなく、労働環境も、入りやすくして残りにくくしてはどうかと思います。
    国家の成長戦略の重要成功要因のひとつだと思いますが・・・

  8. agora_inoue より:

    あとで、まとめてエントリを書こうと思いますが、医学部教育って、参考書「ステップ」を読めば、2年もあれば大体終わってしまうのに、延々と6年もかけてやっているんです。
    長い時間をかける最大の理由は「医師は高級な知識を憶えた人」であるという社会的威信を作り出すためでしょう。

  9. つーかー より:

    医学部の場合、生徒のほぼ100%が医者になるという状況がまた問題であると思います。現状、大学入試の段階において医学部合格者の英語の平均点は英文学科合格者の平均点よりも高く、また、同様に医学部合格者の物理の平均点は理学部物理学科合格者の平均点よりも高い。しかし、そんな医学部合格者が医者になるだけでは、その優れた能力を十分に生かしているとは言い難いでしょう。
    医学部を「医者養成所」として固めてしまうのではなく、「医学を学ぶ場所」として柔らかく位置づけ、「医学+語学」や「医学+物理学」など、多種多様な人材を輩出し、その才能を社会に幅広く活用できるようになればと思います。

  10. ikuside5 より:

    たしかに学位獲得に徒弟関係などの人間関係を結びつけるのは害も多いというのはそのとおりかもしれませんが。しかし検定可能な、教科書等で獲得できる知識だけならば、教育者の存在は不要であるような気も、ややしてしまいます。
    これはコメント欄でも既に指摘されているところですが、教育者というのは職場などであれば、上司あるいは同僚(先輩)ということになるかとも思いますし(これは社内的な関係ですが)。また、昨今の労働市場のいろいろな力関係の下に、供給制限がなくなりつつあるある専門職の領域では、であるからこそ学ぶ側は自主的にプライベート等の時間を活用して社外環境で行われる教習等に、自己の技術を磨くために参加しているというケースが多いと聞きます。教官は当然に手数料を直接取って講習にあたっているプロの教官ですし。このように、資格等の取得を意図したものではない水準で、会社的なしがらみもなく、自身の理想とする「一人前」になるために自由に選択されるものが本来の職業教育の理想形なのではないでしょうか?
    翻って、学問分野の教育環境にも同じようなことが言えるかどうかは、ちょっとわかりませんが。

  11. trigence より:

    「科学技術の振興が必要な日本」という点を前提にすれば、独創的な試みをビジネスにつなげる事が出来る人材の育成とその社会的なステータスの醸造が真に必要なことではないでしょうか?その為に大学がなすべき役割はまだまだ大きい。
    提供するサービスにある程度の需要があり、一定の知識を必要としながらも、適度に連続性のある業務だけが資格と定義可能です。エンジニアリングにも技術士とかありますが、それで飯が食えないのは、これらの要請に見合ってないからです。
    独創的な事を考える人材に資格はなじまない。あるとすれば大学教授ぐらいですが。。。課題は独創からビジネスへの架け橋に汗を流す人材の育成なはずです。

  12. bobby2009 より:

    >学歴から資格へ
    日本においても、IT業界は以前から既に、学歴よりも業界大手が認定する「資格」が転職や昇給に対する大きなシグナリングの役割を果たしています。

    (例)SAP、Cisco、Microsoft、Oracleなど。