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呉座氏は百田・井沢氏より大胆な飛躍がお好き

八幡 和郎

在野は謙遜語で相手を貶めるために言うべからず

呉座勇一氏が私の『呉座 VS 井沢:歴史学者だけが歴史家なのか?』に反論して、『在野の歴史研究家に望むこと』という記事を書いているが、タイトルからして笑止千万である。

日文研サイト、BS朝日サイトより:編集部

「在野」などというのは、当事者が謙遜していうとか、反抗精神をポジティブにとらえて第三者が言う言葉であって、象牙の塔の住人が自分たちの仲間でない人たちを見下すように使うのは失礼だろう。

学会所属の自分たちは殿堂の中にあって、そうでない人は屋外席だとでもいいたいのかといわれそうな、誤った特権意識の表れだ。

もうひとつ呉座さんが分かってないと思うのは、自分が文献資料の分析だけのプロだということだ。だから、資料の発見とか整理や評価はプロのはずだが、解釈能力があるかどうかは別だ。解釈は森羅万象についての知識、推理能力、人生経験などがものをいうから、文献史家がプロとしての優位性をもっているとは言い切れない。

相手のいうことを歪曲したり他人に拡張するべからず

そして、この論争が始まってからの呉座氏の議論の進め方を見ると、相手の書いたものを拡張解釈して歪曲するとか、論争相手自身の見解でなく別の論者の意見を全面否定していないというだけで、論争相手の意見であるように攻撃するとかを繰り返している。

たとえば、こういうことだ。

①週刊ポストにおいて井沢元彦氏が安土宗論について自分が取り上げたことで通説が変わったと主張した。

②これに対して、呉座氏は私が呉座氏への反論文について「素晴らしい出来である」と誉めていることにいちおう恐縮しつつだが、私がアゴラで井沢氏の主張に「一理あるだろう」としたことをもって、「井沢氏の主張を鵜呑みにして学界の通説が一蹴されたと八幡氏は思い込んでいたわけだが、一蹴されていないことは私が週刊ポストで指摘した通りである。レフェリー顔してしゃしゃり出てくる前に、己の不明を恥じてはいかがだろうか」としている。

③しかし、「一理あるだろう」という表現が、「井沢氏の主張を鵜呑みにして学界の通説が一蹴されたと八幡氏は思い込んでいたわけだが」ということになぜなるのか。このときにすでに、呉座氏は反論を「週刊ポスト」ですることを予告していたのだから、呉座氏の反論すべき点として指摘した程度の話だ。

論争は、両者が相手に反論し合うことを読者がどちらがもっともかを判断する営みだ。井沢氏がいちおうもっともそうな反論をしたので再反論を期待しただけで「学界の通説が一蹴されたと八幡氏は思い込んだ」ことにされてはたまらない。裁判官でも被告人の弁明がそれなりにもっともらしければ、原告側の反論を求めるのであって、いちいち、被告の弁明が正しいか裁判官が自分で検証なんぞしないではないか。

さらに、「そもそも井沢氏(ついでに言うと八幡氏もだが)がおかしな陰謀論を唱えなければ、私がわざわざそれを批判する必要もなかったわけで、在野のトンデモ歴史研究家によって、教育普及活動を行っている歴史学者は足を引っ張られている」とか「妨害している当の本人が歴史学者に『もっと教育普及活動に力を入れろ。百田・井沢の説をきちんと具体的に批判しろ』と言うのは、泥棒が『盗難事件が多いのは警察がだらしないからだ。もっとちゃんと仕事をしろ』と文句をつけるようなもの」とか仰っているが、私がいつおかしな陰謀論を唱えたのだろうか。

私の歴史観はしばしば「推理をことごとく否定して身も蓋もなくて歴史ロマンの楽しみをなくさせる」と抗議されているので、こうした批判をされる覚えはない。井沢氏や久野氏の弁護をしたから「一味」とされたらしい。

久野氏との論争で、「(久野氏が)ネット上の匿名ユーザー、特に悪意あるユーザーの問題点」を上げたのに対して、「あたかも呉座氏に対する攻撃のように見立て、さらに曲解した上で、通常の議論には不要な『小学校』『難癖』といった表現を使った」と久野氏が呉座氏を批判していたが、自分の意見を批判する人をみんな一緒くたにしたり、逆に、自分は批判されていないのに批判されたという傾向があるように思う。

呉座氏の論理組み立ては飛躍だらけ

このことは、私や久野氏にとっては不愉快なことであるだけであるが、こういう議論の進め方をみていると、本職である歴史論議においても、同じことをしているのでないかと疑わざるを得なくなる。

呉座氏の『陰謀の中世史』は、いろんなテーマについての最新の研究動向を要領よくまとめてくれているのでちょうど、最近、かつて出した本の改訂版を出すに当たって、とても重宝していたのだが、自説に都合が良いように歪曲してないか、ちょっと心配になってきた。

と思って、応仁の乱の経緯について、細川vs山名とか、足利義視vs日野富子とかいう図式は間違いという呉座氏の断定的な説明を考え直すと、本郷和人東京大学教授も「細川vs山名の対立構図は一時的な接近だけで変わるものではなかった」と指摘しておられるように、短期的な事象にとらわれて大きな流れを見失っているような気がする。富子の妹が義視と結婚したからといって、富子が義視を引きずり下ろそうと考えない等と割り切れないのは、歴史にだっていくらでも類例を見いだせるだろう。割り切りすぎなのである。

最近の、とくに若い研究者は、たまたま、発見された文書や遺物に過度の重きを置いて断定的に歴史観をつくっている傾向があると言われることが多い。それが学会の流行だとしても、世の中で受け入れられているわけでないし、私も賛成でない。

脱線だが、陰謀論についていえば、呉座氏の上記著書をみると、呉座氏が批判してやまない陰謀論に基づくトンデモ学説のかなりは、「在野の研究者」でも「門外漢の作家」でもなく、呉座氏より権威や実績がある立派な学者が言い出したり普及させたことが分かるので、学者が陰謀論に傾かないなんていう印象を与えて欲しくない。

呉座氏が戦うべきは「在野」とやらでなく古い学会の体質だろう

呉座氏はよほど自分の待遇に不満があるらしく実務教員とかあちこちに噛みついているが、東京大学出身の博士でベストセラー作家であるにもかかわらず、40歳近くなって助教(教授・准教授・講師の下)にしかしないアカデミズムの世界での評価に不満をいうべきで、違う世界に話を広げるのは筋違いである。

また、「私が八幡氏の歴史本の内容に関して具体的な批判を行わないのは、八幡氏の主張の方が井沢氏のそれより堅実で優れていると考えているからではなく、井沢氏の著作に比べて社会的影響力が微少で無視しても大きな問題はないと判断しているからにすぎない」そうで、そうかもしれないが、呉座氏の応仁の乱の著作が現実社会に与える影響は微少どころか皆無であるから、私も呉座氏と論争などしているのは無駄なことをしているのかもしれないと申し上げておこう。

ただし、本の内容でなく、「応仁の乱」が大ベストセラーになったことが、地味で買っても完読した人はほとんどいないような本でも、宣伝次第であれだけ売れることもあることがマーケティング史上の奇跡として世の中に影響を与えたことは別である。

それから、「そもそも社会の仕組みがまるで異なる古代や中世、近世の政治を、現代政治の視点から考察することは極めて危険である」とか仰っているのを聞くと、逆に「そもそも社会の仕組みがまるで異なる古代や中世、近世の出来事を、現代社会を考察する上で有益な経験とか前例とすることは極めて危険であるので歴史など学んでも仕方ない」という論理的帰結になりそうである。義務教育から歴史、とくに古代史や中世史なんぞはずしたほうがいいということになる。

ただし、私はそういうことは思わないし、ビスマルクがいったという「賢者は歴史から、愚者は経験から学ぶ」という言葉が、(ビスマルクがどんな機会に厳密にどういったのかは少し疑問に思っているが)、かなりの真実を含む箴言と考え、中世史であろうが、他国の歴史だろうが、歴史学者の仕事に、敬意をもっていることを確認しておきたい。

いずれにせよ、あまり自分と違う立場や意見の違う人に人格攻撃を含む罵詈雑言を並べるのはお勧めしないと言うだけだ。

そういう炎上商法をすることは、呉座氏が批判してやまない人たちと似た才能をお持ちということにもなる。