文章の冒頭では、相模原の事件後、同市で開催された在宅医療を巡るシンポジウムで、「相模原事件を取り上げましょうか」とコーディネーターに言われたものの、上野氏が「ここに来る聴衆には、関心がないと思う」と答えるエピソードから始まる。以下、引用だ。
「なぜか? わたしには理由がわかる。高齢者は自分を障害者とは思っていないからだ。それどころか、障害者と自分を区別して、一緒にしないでくれ、と思っているからだ。脳血管障害の後遺症が固定して、周囲が障害者手帳を取得するよう勧めても、それに頑強に抵抗するのは高齢者自身である。
なぜか? その理由もわかっている。高齢者自身が、そうでなかったときに、障害者差別をしてきたからだ。自分が差別してきた当の存在に、自分自身がなることを認められないからだ」
だからこそ、上野氏は講演で「齢(よわい)を重ねる」とは「弱いを重ねる」ことだと強調しているという。
「超高齢化社会とは、どんな強者も強者のままでは死ねない、弱者になっていく社会であること。すなわち、誰もが身体的・精神的・知的な意味で、中途障害者になる社会だと。
脳梗塞で半身マヒの後遺障害が残れば、車椅子生活にもなるし、言語障害も残る。認知症になれば、一種の知的障害と言っていいし、レビー小体型の認知症なら幻覚・妄想などの精神障害も起きる。いくらそう伝えても、いま健康な聴衆には将来への不安を与えるのみで、それなら、と認知症予防や健康寿命の延長のための体操教室がはやるばかりだ。(中略)
いついかなるときに、自分が弱者にならないとも限らない。弱者になれば、他人のお世話を受ける必要も出てくる。そのための介護保険である。それだからこそ弱者にならないように個人的な努力をするより、弱者になっても安心して生きられる社会を、とわたしは訴えてきたのだ」
夢を持つということは、社会的要請に大きな影響を受ける意識的欲求と、感情や情動に影響を受ける自然発生的欲求が一致するように、調停処理をするということ。これは、動物にはできない、高度な思考ですね。
特に現在は情報過多で、経験不足なのに分かった気になってしまいがちなため、「思い込みで飛び込む」などの不合理なチャレンジにまい進して経験を積む、ということも困難です。だから、ほっといて見つかるものではありません。脳にとっては、針の穴を見るつけるような高度なプランニングタスクともいえるでしょう。
その難しさを教えないままに「若者は夢を持ちそれをやるべきだ」といわれても、「自分にはやりたいことはない…」と自信を失うだけです。そんな無責任なアドバイス、よくありませんね。
もちろん、20代のうちにしっかりとした夢を持っている人もいますが、その人は極めてラッキーだと思います。
”本当に感慨深い気持ちになるのは、世の中には才能がない人がこんなにたくさんいるのか、と気づかされるからではありません。情熱と能力の間にはほとんど何の関係もない、ということをまざまざと見せつけられるからです。もっとも、趣味について話しているなら、情熱を追いかけるのも悪い選択肢ではありません。
でも、生計を立てる仕事について話すなら、「汚い真実」を見てみないフリをすることはできません。つまり、いくら情熱があるからといって、あなたがそれがクソみたいに下手じゃないとは限らないということです。好きな分野で学位を取ったからといって、「夢の仕事」に就ける保証はどこにもありません。
想像上の存在が、やりがいのある仕事をしたり、現在の仕事に対する真の情熱を育むチャンスを奪っています。なぜなら、ここにもう1つの「汚い真実」があるからです。仕事の幸せは仕事そのものとはあまり関係がない、という真実です。
『Dirty Jobs』で、ある大成功した汚水タンク清掃業者が、彼は億万長者なんですが、成功の秘密を教えてくれたことがあります。
みんながどこへ向かって動いているかをよく観察したんだ。
それで、その反対側へ行くことにした。仕事は順調だったよ。会社はどんどんデカくなった。いつの間にか、他人のクソに情熱を燃やしている自分がいたよ。
彼以外にも、溶接工や配管工、大工、電気技師、冷暖房機器の専門家など、たくさんの熟練工たちから、似たような成功談を聞きました。彼らは情熱ではなく、機会を追いかけたのです。その結果、大成功しました。
”キャリア(人生も)が、あらかじめ計画したとおりや期待したとおりには決してならないという現実があります。大リーガーのイチロー選手や松井秀喜選手のように、小さいころからの夢や目標が実現する人は、ほんの一握りです。実際、クランボルツ氏の行った米国の一般社会人対象の調査によれば、18歳のときに考えていた職業に就いている人は、全体の約2%にすぎなかったのです。
そのため、クランボルツ氏は、「将来の職業(仕事・職種)を決める」ことを勧めません。正確にいえば、当面のなりたい職業を持っていてもいいのですが、それに固執すべきではないと主張しています。なぜなら、ある職業を目指すということは、いい換えるとほかの職業の選択肢を捨てていることになるからです。もし特定の職業にこだわりすぎると、その職業になかなか就けなかったり、実際にその職業に就いてみたものの、自分には向いてないことが分かったとき、途方に暮れてしまうことになります。
ですから、例えば、本当は自分がやりたいと思っていた仕事ではないけれど、上司などから「この仕事をやってみないか」といわれたら、無碍(むげ)に断るのではなく、「自分の新たな可能性を試すチャンスだ」と考えて、積極的に引き受けてみるのです。その結果、思いもよらなかった仕事が、実は自分にとって「天職」と感じられるほど大好きな仕事だと分かるかもしれないのです。
クランボルツ氏が来日時の講演で強調していたことは、前述のように、まず「行動すること」です。また同時に、「偶然の出会いや出来事」を生かすキャリアづくりの基本スタンスとして、「オープンマインド」という言葉を示しています。
オープンマインドを直訳すれば、「開かれた心」。意訳すれば「優柔不断」です。「私にはこれしかない」「これ以外はやりたくない」という硬直的・閉鎖的な考え方ではなく、何事も前向きに受け止めるということです。自分のキャリアの方向性を焦って決めなくていい。無理に目標を持たなくていい。いい意味で優柔不断な態度を取る。「本当は何をやりたいのか」といった重要な決断をあえて遅らせ、いろいろことに首を突っ込み、自分が持っている無限の可能性を信じ、あれこれやってみる。多くの人の場合、実践を通じて、自分のやりたいこと、進むべき方向性が少しずつ見えてくるものなのです。これは特に20代の時期、社会人として自分の適性や好きなことがはっきりしない時期においてに有効な考え方だといえます。
”音楽や小説に限らず、なにかの表現というものは、ぜんぶ心の暗い部分から出てくるのだと思う。だから、そういう暗い部分をたくさん持っていないと、そこから表現が出てこない。
しかしそれを仕事にしようとすれば、とうぜんそこには人付き合いとか礼儀とか、ごく当たり前のコミュニケーションが必要になる。そういうことが最低限できないと、いまのこの世の中で仕事をしていくことはとても難しいだろう。
いま個人の表現で世の中に出ている人は、ものすごく暗い部分と、ものすごく明るい部分を同時に持っているのではないかと思う。だから、みんなとても複雑な人格になる。そして、複雑な人格を持つ人というものは、だいたい魅力的である。
ほんとうに組織が嫌いなので、いつも自分ひとりで生きていく方法を探しているのだが、そんな才能もないし、そもそもそんな覚悟もない。だから私は今日も、片道1時間半かけて遠い職場まで出かけて、ほんとうに意味があるのかわからない会議に出席する。
”人間が社会で生きていく上では、皆誰かの“パシリ”をやるしかないんです。“パシリ”というとマイナスイメージが強いですが、仕事だってそうでしょう。顧客だけでなく、会社のオーナーや上司、時には部下のために“パシる”。それが仕事の本質だと思います。
子どもを医師や弁護士など、なるべく高いキャリアの仕事に就かせようとして、幼少期からせっせと塾に通わせるお母さんが未だに多いじゃないですか。本人が自発的にやっているならともかく、親が強要している状況では子どもを「親の言うことを聞く“パシリ”」として育てているだけなんですよね。それでは、「社会で通用する“パシリ”」にはなれない。
「この子はいい学校に行かせて、いい会社に行かせれば…」と育てても、大きい会社であるほど課せられる仕事が高度になります。単にいい学校行って、資格を取ればいいという道しか通ってない人間では、いずれ無理が生じてきます。そういう人は、会社を辞める時の理由を「人間関係」のせいにしますが、根本的な原因は「親子関係」にあるのではないかと思います。
問題のある家族をたくさん見てきて、ある時から「この親子関係はパシリだな」と思うようになりました。心の病になり、問題行動を起こしているのは、たしかに子どものほうですが、過去の生育歴を紐解いてみると「大変だったなぁ…親からこの学校に行け行け!って言われて」と同情することが、本当に多いんです。子どもとしては親の言う通りにしたのに、全然思い通りにいかない…そこで心のバランスを崩し、怒りの矛先が親に向かうんですよ。その結果、今度は子どもが親をパシらせるわけです。
今はスマホがあるから、部屋にひきこもった状態でメールで事細かに指図をしたり、「あれを買ってこい、これを買ってこい」と命令したりする。親を追い出して自宅篭城しているようなケースもあります。このような家庭では、親が子どもを自分たちの“パシリ”としてしか育てていない。「いい学校・いい会社に入れ!」と強要することもそうですが、「あれをしろ、これをしろ」「あれをするな、これをするな」と抑圧して育てることもそうです。子ども相手に、夫婦の不満をぶつけることもそうですね。
このような育てられ方をすれば、子どもの自尊心は育まれません。自信がなかったり、逆にプライドだけは高かったり…。社会に出たときには、周囲からの要請も多岐にわたりますから、パシリとしての役割も果たせないわけです。結局、家に戻って親を支配するしかなくなる。親をパシリにするんです。そこで経済的な破綻が訪れると、今は簡単に親子間での殺し合いが始まります。
子どもの能力や向き不向きを見極めずに、親の希望で「大きい役割をするパシリ」を育てようとすること自体が間違っていると思います。仕事にいい・悪いはないはずなのに、みんなすごい学校に行かせて、すごい企業に行かせようとする。そのレベルから本人が脱落してひきこもると、親が「もう肉体労働でも何でもいいんで仕事してくれれば」って言うんです。でも、今までそれが出来るような育て方してないわけでしょ?肉体労働者になるんだったら、肉体労働者としてのパシリの育て方がありますから。
あまりにも体裁や世間体など、外見上の「いい所」でのパシリにさせたがる親が多すぎます。それはバブル時代から変わってませんね。本来は、その子のレベルを見て「大人になってどのレベルのパシリで行けそうか」という見極めが必要です。どのレベルなのか?というのは、本人の能力はもちろん、向き不向き、本人の背丈であったり、体の強さであったり…それを鑑みた上での教育ができてないんですよね。
”日本では、役所への届出だけで婚姻が成立し、離婚も協議離婚が容易に認められるという世界でも最も簡便で自由な結婚制度が生まれた。こうして、事実婚を選択する大きな理由が日本では欠落することになったことが、極端に低い婚外子比率にむすびついている側面もあろう。そうした意味では、戦前の家制度等による伝統的結婚制度への反動が強かったため成立した世界で最も自由な結婚制度が、現代では、世界で最も遅れているかに見える極端に低い婚外子比率を生んでいることになろう。すなわち、日本は遅れているのではなく、進みすぎていて、未婚のカップルと婚外子が少なくなっているとも言えるのである。
憲法改正の自民党案では、第24条について、「合意のみ」を「合意」に変更している。家族・親族の絆、地域の絆を強める方向での婚姻、離婚の制度、つまり現行の欧米の制度に戻そうとする保守政党としてはもっともな改正案だと思われるが、改正の結果、見込まれるのは、おそらく意図とは反対の欧米レベルへの事実婚や婚外子の増加であろう。
”フランスやスウェーデンで同棲が多いのは、フランスのPACS(パクス、連帯市民協約)やスウェーデンのサムボのように同棲を法的に保護する制度があり、これを利用して同棲している者も多いためである。
フランスで正式に結婚するためには教会で挙式する必要があり、また離婚するには双方が合意していても裁判を行う必要がある。これに対して、PACSのカップルになるのは裁判所に書類を提出すればよく、PACS を解消するにも書類を提出するのみでよいなど手続きが簡略化されている。PACS を結んだカップルは、課税など一部は異なるものの、概ね結婚に準じる法的保護を受けることができる。スウェーデンのサムボも同様である。日本の結婚・離婚は、双方の合意がありさえすれば、市町村への結婚届と離婚届の提出だけでよく、実は、フランスのPACSに近いものと言える
”ダバシ教授の本によると、マルクス主義はイランやその周りのアラブ諸国では既に一世紀以上の間、広がっていたのです。しかし、それらの国内の聖職権力者は(CIAと共に)それを弾劾してきました。とりわけイランでは、ソ連の影響もあって共産党(Tudeh党)の活動がありました。しかし、彼らは宗教心の強い民衆から支持を得ることができなかった。しかも彼らは、党の方針から逸脱するような言論を許さなかった。党員であったジャラル・アレ=アマドは、ソ連の干渉(特に石油利権を狙った)を嫌っていて、1948年に脱党します。彼はその後、いくつかの政治活動を渡り歩いた後、西洋の小説の翻訳を開始しました。(例えば、ジッド、カミュ、サルトル、ドストエフスキーなど。)そこから、流行のいわゆる「実存主義的立場」を身につけ、自ら小説を書きながら、イスラム教原典に向かう事になります。つまりマルクス主義的革命の理想から実存主義を通った後にイスラム教に戻ったわけです。(彼は元々信仰心熱い家に育ちました。しかし再びイスラム教に「戻った」ときには、よりラディカルな反西洋思想を求める事になります。)そして、1962年に「西洋中毒化(ガルブザデギ)」(英語訳はWestoxication)を発表し、多大な影響を与えます。彼は、そこで石油資本の進入によるアラブ圏の「西洋中毒化」を手厳しく糾弾しますが、その裏には彼自身の西洋(思想)中毒化、が隠されていたのです。彼は、イスラムの革命家となることを目指し、「イスラム・イデオロギー」なるものを推奨しますが、この言葉自体が、イスラムによって修飾された西洋思想であったのです。また、そこで彼は、西洋の技術は普遍的だから移入してよい、しかし、思想や文化はだめだ、というような事を言っています。その箇所を読んだ時、私の頭を今回のテロ事件がよぎりました。
彼は69年に心臓発作で死亡しますが、その後に来たのが、アリ・シャリアティです。ダバシ教授によれば、彼こそが最高のイスラム・イデオローグだ、という事です。シャリアティはパリで社会学を修めている間に、サルトルやファノンを知り、また、マルクス主義系運動、特に当時のトロツキストの革命運動やアルジェリア解放運動に深くコミットします。彼は1965年にイランに帰還します。彼はそこでマルクス主義革命を実行しようとしますが、当局に弾劾され、投獄される。また、そのままの思想では民衆の支持を得られそうもなかった。そこで、マルクスの革命思想をコーランの字句を元に読み替えようとします。これはやはり実存主義的立場を媒介にして行われました。革命家になる、という個人の選択の問題であり、その選択の前で個人はアラーの神の前に立つ。自らのうちにアラーが入り込み、そこで自らの生死はアラーとの神的合一となる、というわけです。
ホメイニ師の思想的、政治的なバックボーンであったモルテザ・モタハリは、この二人といくらか違ってはいました。彼は特にシャリアティに激しいライヴァル意識を持っていたのですが、出来上がった思想は同じようなものでした。彼は、西洋から輸入され特に若者に影響を与えていたマルクス主義に対して、イスラム神学を対峙させようとしたのです。しかし、彼自身は、西洋語を読まず、翻訳本に頼っていた。そもそも、マルクス自身を読んだ事はないが、パキスタンのイクバルという思想家がマルクスより優秀な唯物論を完成させたと勝手に宣言して(笑)、その人の本を読んでごまかしていた。それはともかく、革命的なマルクス主義に対抗するためには、イスラム教も革命化させねばならない、とモタハリは考えるに至ります。今までのイスラムは本当のイスラムではない、それは空想的である、イスラム法者による直接支配が、イスラムの原点にいたる現実的な道なのだ、と、エンゲルスの『空想から科学』へを思い起こさせるような議論を展開しました。実際の所、イランでは「政治的」である事は、石油資本やソ連と結びつく事であり、保守的であった。思想や運動を宗教的にを研ぎ澄ましていく事こそが、「革命的」であったのです。現実的な革命は、大衆に訴えるイスラムを通してこそ行われる。彼やホメイニ師に依って示された禁欲主義は、西洋文化(消費主義)のまさに正反対にあるものとして進められたのでした。
アレ=アマド、シャリアティの残したパンフレット、レクチャーの筆記は、ペルシャ語からアラブ語に翻訳され、イランを越えてアラブ圏全体に読者を持つこととなりました。彼らの運動は直接には、例えば、アラブ圏でのサラフィーヤという復興運動とつながります。特に有名なのはサイイッド・クータブというエジプトの思想家ですが、彼ももともと西洋のモダニズムと呼応する文学評論家でした。それが、50年代から60年代にかけて、急速に反西洋主義に走り(オクシデンタリズムといえるような「想像された悪の帝国」)そして、イスラム伝統、特に、13—4世紀のイブン・タイミーヤというモンゴルに対抗するために、アラブ国王と対決した人物を持ち上げるのです。この人物については、ビン・ラーディンも良く触れる事があります。
1950年代的思想から、60年代的な夢想する永久革命者、カストロからゲバラへの流れがここにもあったのかもしれません。つまり、テロにいたったのは、イスラム教自身の問題というよりも、西洋の反システム運動の理論的欠陥であったといってよいでしょう。
”「私たちがこの世界を生きられるのは、私たちの魂がその能力を備えているからである。逆に、私たちが『確実性』への余計な希求にとらわれるのは、魂の能力を信じられなくなるからである。私たちが自らの生きる力を信じられなくなるのは、自らの地平で自らの世界を生きることができなくなるからであり、その現象を我々は『魂の植民地化』と呼ぶ。逆に、そこから抜けだして世界を自らの地平で生きるようになることを『魂の脱植民地化』と呼ぶ」
本書は「叢書 魂の植民地化」の中の1冊ですが、同志である深尾葉子氏とともに提唱した「魂の植民地化」という言葉についても、著者はここできちんと定義しています。