サイエンスセミナー実施レポート①
世界を変える細胞観察技術、斬新な研究でノーベル賞を狙う
■学生時代に論文を量産、国際学会で発表も
実は子どものころ、医者で研究者の父親の後ろ姿を見ていて、研究者の印象は良いわけではありませんでした。平日は朝早くから夜遅くまで、土日も研究室にこもりっきり。それでも何か刷り込まれたかもしれません。
高校時代は勉強を好きにはなれませんでしたが、数学だけはおもしろく、飛び抜けて得意でもありました。高校卒業後歳までの二年間はいわゆる浪人生活で、大学に興味も示なくてほとんど遊んで過ごしました。しかし、その頃に医学部を目指す友人と出会い、私もちゃんと大学に行きたくなります。慶應義塾大学環境情報学部の受験が数学と小論文だけで両方とも得意だったので、合格することができました。そこで出会った冨田勝さんが、まずはじめに私の人生の扉を開いてくれました。
冨田さんの研究室に入った2000年頃は、ヒトゲノムプロジェクトによりヒトのD NA、約億の塩基配列がほぼ明らかにされた頃。冨田さんはシステム生物学の日本での先駆者で、2001年に40ながら先端生命科学研究所を立ち上げられたばかりでした。私も大学1年生のときからそこでコンピュータを駆使した生命現象の解析に取り組みました。
当時はとにかく新しい研究領域です。研究室にもとても自由な雰囲気があり、皆活発でした。おかげで学生の頃から論文を書いたり、国際学会で発表したりできました。冨田さんはたくんの成功体験を学生たちにくれたと思います。「何ごともプロのフリをしてやってみると、プロになれる」「本気で研究すれば、年齢など関係なく渡り合っていける」
冨田さんは慶應義塾大学の教授ながら気さくな人で、いつもこういうことを言って、学生たちに高いレベルの研究をさせるのが上手かったです。