はじめに
2022年1月6日、岸田文雄首相とスコット・モリソン首相は、オンラインで年次首脳会談を実施した。これは日豪の「特別な戦略的パートナーシップ」で制度化された要素である。今年の首脳会談の重要な点は、「画期的な」円滑化協定(Reciprocal Access Agreement: RAA)に署名したことである。これは2020年11月に菅義偉首相(当時)とモリソン首相が「大枠合意」に至ったことを受けてのものである。
RAAとは何か。なぜ重要なのか
メディアによる多くの解説や分析において、RAAは「軍事同盟[1]」、「防衛協定[2]」であるという誤った説明がなされている。RAAには防衛・軍事協力が伴うものの、そのような説明の仕方は全くもって不正確である。軍事同盟・防衛協定は、正式な条約文書に基づき、締約国相互の軍事支援を法的に義務付けるものである。これには、戦闘時や特定の状況(条約の該当事由)における武力行使も含まれる。しかし、RAAにはそのような内容が規定されていないため、専門家による解釈では、決して「同盟」が実現したということにはならない。
むしろ、本協定は、相手国の基地や港湾に対する相互のアクセスを円滑化するため、法律、兵站、安全保障の枠組みを実質的に整備するものである。従って、日豪の軍人とシビリアン(文民)と軍事アセット(装備品等)を相手国の領土内に駐留させる際における実際の手続きについて規定している。(訳注・憲法解釈上、自衛隊は一般的な意味での「軍隊」ではないとされているが、本稿は豪州人の著者の意向を尊重してそのまま訳出した)誇張や装飾のない協定では以下のように規定されている(第2条)。
「この協定は、両締約国間における互恵的な防衛協力を実施するための枠組みを設け、並びに訪問部隊及び文民構成員の地位を定めることにより、当該防衛協力を円滑にすることを目的とする。[3]」
同協定は、1960年に署名され(その後改定された)日米地位協定(SOFA[4])と比較できる。実際のところ、協定の内容の大部分はいたってありふれた内容で、渡航に関する手続き、訪問要員に対する関税や租税、損害賠償責任などが定められている。
本協定において最も興味深い内容は、接受国内で駐留する間に重大な刑事犯罪に問われた構成員に対する刑罰に関するものである。オーストラリア側は日本において極刑に相当する犯罪に対し死刑を行うことについて懸念していた(オーストラリアは1985年に死刑を廃止している)が、それを乗り越えるために計8年もの間、骨の折れる交渉が行われた。外交当局は、日本に駐留するオーストラリアの軍人と文民が、理論上そのような法律の対象となるのではないかと懸念していた。例えば、2015年、インドネシアにおいて、極刑に相当する犯罪で起訴されたオーストラリア人2人が処刑されたこと(「バリ・ナイン」)が、国内で政治外交的に深刻な影響を及ぼした。この障害を乗り越えることには成功したようであり、RAAの条文には「当該訪問部隊の構成員又は文民構成員は、接受国の法令に従い、残虐な刑罰を科されない」(附属書(第21条関係)7(b)[5])よう、幅広い措置が盛り込まれている。RAAの附属書には死刑の問題についてさらに詳述されており、筆者は法律の専門家ではないが、オーストラリアの国会議員が納得できる内容であると推測している。
法令上の細目はさておき、肝心なことは、RAAがオーストラリア国防軍(ADF)と日本の自衛隊(JSDF)との間の実務的な軍事協力の障壁を一段と削減し、2010年の日・豪物品役務相互提供協定(ACSA)(2017年に改定)、2012年の日豪情報保護協定(ISA)などのこれまでの協定を土台にしたものであるということだ[6]。両協定と併せて、極めて重要なRAAが発効すれば、ADFとJSDFとの間で、軍事訓練や演習、共同人道支援/災害救援(HA/DR)活動などの「共同活動」を巡り、より緊密かつシームレスな協力を行うことが可能になる。特に、2015年に成立した日本の平和安全法制はオーストラリアで歓迎されており、防衛分野における実務協力を一層拡大する道筋が開かれた[7]。
二国間首脳会談はRAAにとどまらない
重要な首脳会談において、政治指導者は国内的な理由からRAAのような何らかの大掛かりなイニシアチブや新たな政策を表明することが慣例である。しかし、岸田・モリソン会談は、共同声明に反映されているように、他にも多くの重要な課題について扱っている[8]。今でこそ慣例となっているが、両首相はパートナーシップの価値を確認し、これまでの実績と活動を評価し、既存の懸念や新たな懸念について強調し、二国間関係の将来について新たな道筋を描いた。公表された詳細について単に羅列することは避けるが、直接的かつ今日的意義のある三つの分野については指摘する価値がある。
第一に、RAAに直接関連するものとして、共同声明ではオーストラリアの国境警備隊(ABF)と日本の海上保安庁(JCG)との間における海洋状況把握(MDA)の推進について強調されている[9]。この分野は非常に重要な協力分野である。というのも、インド太平洋が主として海洋環境であり、膨大な量の貿易と、死活的に重要なエネルギー供給の経路となっているシーレーン(SLOCs)の安全が、軍事的な瀬戸際政策(訳注・圧力による脅し)や領有権を巡る紛争による影響を受けるからである。従って、オーストラリア海上国境司令部(王立オーストラリア海軍〔RAN〕と国境警備隊の共同管轄)とJCGとの間での海上法執行分野の協力拡大は、この領域における破壊的な挑戦に対応する上で喫緊の課題と見なされている。そのような挑戦は、「ハイブリッド」や「グレーゾーン」の活動形態をとることが多く、その場合、民間漁船と沿岸警備隊を展開して領有権を主張する海域に侵入する。これに対する日豪の協力は、オーストラリア海軍(RAN)と海上自衛隊(MSDF)間の相互運用性を高めることを目的とする「日豪トライデント」などの二国間の海軍軍事演習のこれまでの実績を踏まえたものとなるだろう。このような活動は、海洋分野の軍事的冒険主義に対する共通の抑止枠組みの構築に資する。
第二に、別の領域では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によりサプライチェーンが混乱に陥ったことや、中国からの経済的威圧を受けたことを念頭に、2022年の共同声明では、「経済安全保障」が主要な共通の関心事項として指摘されている。声明では、両国は、(重要鉱物を含む)より強靱なサプライチェーンの構築、重要インフラ防護の強化、多国間協議における国際標準の支持を誓約した。さらに声明は、量子コンピューター技術や人工知能(AI)などの先端技術の開発協力の促進、サイバーセキュリティーに関する協力にも言及している。軍事用途のある技術(新たな防衛技術)も含め、先端技術を巡る競争が加速する中、(日豪経済連携協定を通じた)二国間協力や米国との協調は今や最重要課題である。
共同声明において特筆すべき第三の点は、台湾が共通の利害として記載されたことである。すなわち、「両首脳はまた、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調し、両岸問題の平和的解決を促した」という文言である[10]。非常に抑制的な表現ではあるものの、この文言は両国が他国よりもこの問題を切実に考えているという政策的背景を反映している。日豪の政治家は、苦境に立たされた台湾の民主主義の安全について、繰り返し関心がある旨を表明し、中国政府の反発を招いてきた。数例を挙げると、2021年11月、ピーター・ダットン国防相は、キャンベラのナショナル・プレス・クラブにおいて、台湾防衛においてオーストラリアが米国を支援しないことは「考えられない」と言及し、日本の施政下にある島々が危機にさらされる可能性があると警鐘を鳴らした。ダットン国防相は、「台湾が奪われれば、次は当然尖閣諸島だ」と主張した[11]。(その前の2021年7月の麻生太郎副総理(当時)による物議を醸した発言を後押しする形で)安倍晋三元首相も同調し、台湾有事は日米同盟の有事であると主張した[12]。日本の令和3年版防衛白書において、台湾が国家安全保障上の関心事項であることが初めて明記されたことを踏まえれば、中国が圧力を強める中、台湾の安全保障に日豪が共同でコミットし、この点において同盟国である米国を共に支持することを両国が示唆しているのは明白である[13]。
これら3点の新たな展開の他に、日豪両国は、(自由で開かれた公正な貿易慣行を含む)インド太平洋におけるルールに基づく秩序の支持、国際法や威圧的ではない行動の重要性、今ではAUKUS(米英豪安全保障協力)のようなミニラテラル協力などを含む地域安全保障アーキテクチャ(他の例ではASEANの中心性)を再確認した[14]。不拡散、能力構築支援、地域的な包括的経済連携(RCEP)協定や環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)などの経済的枠組みへの継続的関与も課題として記載された。共同声明に記載される項目が増え続けていることは、パートナーシップそのものの多面性、積極性がますます増大している証左である。
RAAと特別な戦略的パートナーシップが地域に及ぼす影響
RAAは、インド太平洋における安全保障環境の悪化に対する、日豪による広範な共同対応の小さな一要素にすぎないが、両国が国防予算を増額し、軍事力を向上させ、共通の同盟国である米国との同盟を強化する中で実現した。日豪両政府は、南シナ海(SCS)での紛争、東シナ海(ECS)で増加する日本の領海・領空への軍事的な侵犯、中国・台湾の「中間線」を越えた侵入(いずれも2022年の共同声明に記載されている)など、中国による威圧的な行動への懸念を深めている。両国は外交問題に対する報復として中国から経済的威圧を受けたことがあり、また(COVID-19を原因とするものだけにとどまらず)サプライチェーンの安全を巡る懸念と相まって、こうした懸念が投影されたものだ。
近年、米中間の戦略的競争が激化する中、戦略的パートナーである日豪両国は全ての関連セクターにおける二国間関係の拡大・深化を常に図ってきた。そのような協力は、共通の同盟国である米国を支持するものとも、ミドルパワーが自国の安全保障上の命運に対してより多くの責任を負う例として(一定程度の)独立した行動としても捉えられている。両国は、2007年以降、特別な戦略的パートナーシップを支えてきた「基礎となる」安全保障協力に関する日豪共同宣言(JDSC)の改定/更新の意志をみせてきたが、二国間関係は今や非常に重要となったため、可能な限り早期に行う必要がある。、このように、今後、日豪が共同で地域の課題に対応し、自国の安全保障の基礎となっているルールに基づく秩序を支持する中で、両国のパートナーシップはさらに大きく発展することが期待できる。
(2022/02/21)
*こちらの論考は英語版でもお読みいただけます。
Enhancing the “Special Strategic Partnership”: Australia and Japan Sign Reciprocal Access Agreement
脚注
- 1 Liu Xin and Zhang Changyue, ‘Japan-Australia defense, security treaty will inflame regional tensions’, Global Times, January 5, 2022.
- 2 Andrew Tillett, ‘Australia, Japan to sign ‘landmark’ defence pact’, Australian Financial Review, January 5, 2022.
- 3 外務省「日豪円滑化協定の署名」(令和4年1月6日)。
- 4 外務省「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(昭和35年1月19日、ワシントンDC)。
- 5 脚注3参照。
- 6 ‘Elevating the Australia-Japan Strategic Partnership to “a new level”: challenges and responses’, JIIA Policy Brief, April 13, 2021, Japan Institute for International Affairs.
- 7 外務省「平和安全法制」(平成28年4月6日)
- 8 Prime Minster of Australia, Prime Minster of Japan, Australia-Japan Leaders’ Meeting Joint Statement, January 6, 2022.
- 9 同上。
- 10 同上。
- 11 Anthony Galloway, ‘Dutton warns of ‘next step’ if China invaded Taiwan’ Australian Financial Review, November 26, 2021.
- 12 ‘Abe hints at Japan's possible military role in Taiwan contingency’, The Japan Times, 14 December 2021.
- 13 防衛省「令和3年版防衛白書」(2021年)。
- 14 トーマス・ウィルキンズ「AUKUS(米英豪安全保障協力)とオーストラリアにとっての意義」笹川平和財団『国際情報ネットワーク分析IINA』(2022年1月24日)。