「無敗の男」は何を仕掛けるのか
いま永田町で、静かに注目を集める男がいる。
中村喜四郎。
かつて自民党で若くして建設大臣も務めたが、ゼネコン汚職事件で失職。それでも選挙にはめっぽう強く「無敗の男」とも呼ばれている。
その中村が、立憲民主党に合流したのだ。彼の狙いとは何か。
(並木幸一)
「大人の野党」民主的な運営ができるようなった
「だんだん、大人の野党になってきているのではないか」
中村が合流新党の立憲民主党に加わってから1か月。いまの心境や党内の様子を聞くと、こう語った。
「党執行部の顔ぶれは変わってないという批判もあるけれども、実際にやっていることは変わってきている。かつての野党第1党より、はるかに民主的な運営ができるようになったと感じている。批判は全く心配していません」
「無敗の男」その横顔
中村喜四郎は、1976年に衆議院旧茨城3区から無所属で立候補して初当選し、自民党入りした。
順調に当選を重ね、戦後生まれでは初めての閣僚として科学技術庁長官や建設大臣を歴任し、所属していた旧竹下派の「プリンス」とも称された。
1994年、ゼネコン汚職事件で逮捕・起訴され、自民党を離党。一貫して無罪を主張したが、その後、実刑判決が確定して失職、服役した。
周囲から「政治生命は終わった」と言われたが、刑期満了後に無所属で立候補して当選。有罪という負のイメージにもかかわらず勝ち続けた。重ねた当選回数は14回にのぼる。
事件前、事件後も通じて、負けは1度もなく、その選挙への強さから、「無敗の男」という異名をとるようになった。
そんな中村に、私が初めて会ったのは去年8月。野党の担当となり、当時のキャップの指示で、中村を担当することになったのだ。
「元建設大臣」、「汚職事件で逮捕」。そんなキーワードを頭に浮かべながら、国会内で歩く姿を改めて見てみると、なんだか寡黙で、近づき難そうな雰囲気に包まれて見えた。
初めて議員会館の事務所を訪れた際は、少し気が重かった。相当、緊張してインターホンを押したのを覚えている。しかし、いざ話してみると印象は一変した。
非常に気さくで、過去の事件から政局まで、自分にとって話しづらいであろうこともざっくばらんに語ってくれる。以後、折に触れて、取材に足を運ぶようになった――
「保革伯仲」数の力の強権に、数の力で対抗を
26年ぶりに政党に所属することになった中村。しかも選んだのは野党だ。一体なぜなのか。
率直に聞くと、真っ先に挙げた理由は、古巣の自民党のことだった。
「昔の自民党は、自由闊達(かったつ)で懐が深かった。また、『数があるときこそ、小さな声を聞くんだ』という雰囲気があった。しかし全く変わってしまった。特に安倍政権の7年8か月は、数があれば憲法解釈だって一夜にして変えても構わないという姿勢だ。反対意見を聞くことは、一番優先しなければいけない民主主義の基本なのに、逆に排除している。このままでは、ものが言えない国になってしまう」
自民党が危機的な状況にあるという主張は分かった。それでなぜ、野党への参加となるのか。
「そのためには、数の力だと。数をなんとか取り戻していかないといけない。野党の議員数を増やしていかなければいけないという、単純な話で動いた。『保革伯仲』し、数が拮抗(きっこう)していれば、強権政治なんてできないだろう。いまは、マスコミもいくら書いたって変わらないと思ってあきらめるんじゃないか。それが『保革伯仲』すれば、いまの日本学術会議の問題だって、ひっくり返るよ。そうすると政治が面白くなる」
「保革伯仲」ということばに、とりわけ力が込められていた。
「党より人」他力本願だから勝てなかった
与野党が拮抗し、緊張感を取り戻すことが必要だと指摘する中村。そのために自身の経験がいきると考えている。
新しい立憲民主党の選挙への向き合い方に課題は多いと見ているからだ。
「今の野党は、人気のあるリーダーが出てきて、支持率がばーっと上がって風が吹いてきて、次の選挙だけでも当選すればいいんだと。とりあえず次が良ければいいみたいな、他力本願的な見方で、政治、選挙を見ている人が多いと感じている。そんな気構えでは勝てない」
そして同じことばを、何度も繰り返した。
「1人1人なぜ負けているのか見ていくと、『党より人』という運動ができてないんだよ。『人より党』の党頼みの選挙になっている。そんな選挙をやっているから、自民党にかなわない。『党より人』、つまり党頼みではなく、自力で足腰を鍛えることに重点を置く。それは、ひいては『党より国民』ということにもなる。選挙に勝つには、本当に国民の方を向いた政治をやらなければいけない」
「本当の世論」支持率では読み取れない
「党より人」。具体的には、どんな選挙手法なのか。
中村は大企業や団体などを頼ることはなく、資金集めのパーティーも開かない。選挙区の町内会単位で、細かく後援会組織を張り巡らし、住民1人1人とチャンネルを構築してきた。
世論調査の支持率からは読み取れない有権者の生の声を、1つ1つ拾うことを、何より重視してきたからだ。
上京中も、自身に代わって地元を1軒1軒回った秘書の報告を、日々3時間ほどかけて丁寧に聞き、ニーズや課題、批判などを把握するという。
中村は、ここが事件を経ても落選しなかった強さの根源だと語る。
「世論調査の支持率は、あくまで機械的に作り出された数字に過ぎない。政治家がみずから国民のもとに飛び込んでいって、1人1人、肌でぬくもりを感じながら話を聴かなければ、本当の世論はわからない。職業や年齢、それに家族構成などによって考えていることやニーズは違うわけなんだから」
「それぞれの顔を常に頭に浮かべて本当の世論を把握する感性を磨いている人が、有権者の心をつかみ選挙に勝つんだ。いまの野党は、単に世論調査の支持率をあげようとアピールしているだけで、その薄っぺらさが見抜かれている。アピールすることと、人の心をつかむことは違う」
「投票率10%アップ運動」片っ端から選挙区を歩け
党内の若手議員に、自身の選挙術を浸透させていきたいという中村。強く促しているのが、「投票率10%アップ運動」だ。
議員1人1人が、街頭で自らや党への支持を呼びかけるわけではなく、投票率10%向上への賛同の署名を呼びかけるものだ。かといって署名は、どこかに提出するものではない。署名してもらう際、同意してくれた人には、その後もコンタクトをとり続けてもらう。できるだけ多くの有権者と直接、対話する機会を設けてもらうのがねらいなのだ。
単に支持を呼びかけるより、普遍性の高い投票率という課題を入り口にすることで、より対話が進みやすいと中村は言う。さらに過去の国政選挙のデータから、これだけ投票率が上がれば、目指す「保革伯仲」は実現できるとも踏んでいる。
「運動を通じて片っ端から選挙区を歩いていけば、これ以上の正確な世論調査はない。有権者は、無関心で投票に行かないんじゃない。関心があっても選挙に行きたくないと思わせてしまっている政治状況がある。本当は、政治に何を求めているか聞いてもらいたがっている。誰も相手にしてくれないかなと思ってやっていると、意外と反応はいい。だから、今後の選挙は、結構おもしろいんじゃないかと思っているよ」
この活動、立憲民主党に合流する前の7月から始まり、今はおよそ140人の野党議員が取り組んでいる。3年前の衆院選で、比例・北関東ブロックで初当選した山川百合子もその1人だ。
「私は県議会議員をやっていたので、それまで活動していた地域ではある程度、顔を覚えてもらっていますが、隣町に行くと『あなた誰ですか?』という状況です。特に政治に関心のない人には話すら聞いてもらえない。でも投票率の話をすると、『投票率が低いのは問題だね』とか『自分は必ず選挙に行っているよ』とか、何かしらの反応はしてもらえますよね」
この日も地元の駅前で、街頭演説とともにチラシを配りながら、投票率向上運動への署名を呼びかけた。これまでに集めた署名は、約4300人にのぼる。
「投票率が上がったからと言って必ずしも野党に有利になるわけではないんですが、こういう地道な活動が、結果として地盤づくりにもつながると信じています。自分の政策や考え方を知ってもらう、入り口の入り口として、この運動は、良いきっかけになっています」
「政権交代」それよりまず保革伯仲を
中村を語る上で、外せない人物がいる。小沢一郎だ。
いずれも自民党旧竹下派にいた2人。派閥内の主導権争いをめぐって激しく対立し、袂を分かった人が、四半世紀あまりを経て、同じ政党に所属することになったのだ。
ともに選挙に強いと言われる2人。しかし2人のスタンスは異なる。
野党を強くして「保革伯仲」を目指すとする中村。対する小沢は、「『伯仲』でいいと言っていては、いつまでも与党に勝てない。次の選挙で「政権交代」を目指すと言うべきだ」と強調する。
小沢の発言をどう思うのか聞いてみると、中村は淡々とした表情で答えた。
「政権交代というのは、定番としては分かるが、それが国民に届くかどうか。関係者には、自己満足のセリフとして成り立つのかもしれないが、より現実的な野党の存在感とは何なのかと言ったら、まず『保革伯仲』させて、そこでどのくらいの実力があるのか見せろよと。力があれば、あんたたちにチャンスをやるからと。そのほうが国民の声にフィットする」
その上でこう付け加えた。
「選挙で勝つべしという大義においては、私と小沢さんは同じだ。一方、私は昔から下から物事を見ていくやり方で、小沢さんはトップダウンの人だ。だから、野党に全く違う人がいるというのは、党内の民主主義が保てていいことなのではないか」
「野党連携」譲り合って溝を埋める
立憲民主党の枝野代表、共産党の志位委員長、国民民主党の玉木代表、社民党の福島党首の野党4党首が、都内のホテルで食事をともにしていた。呼びかけ人は中村だ。
本当の意味での野党連携には、昼に真正面から政策について意見を交わすだけでなく、夜に、ざっくばらんに本音の語り合いを続けていくことが必要だと考えているからだ。
「最初のうちは、皆、ぎくしゃくしていた。それでも4回、5回となれば、胸襟を開いて話せるようになる。志位委員長が、『次の選挙で野党連合政権を』ということを言って、それに私は遠慮なく、『次というのは違う。まずは保革伯仲で』という。昔はそういう話があったら、ケンカになって収拾がつかなかったかもしれない。ところが、回数を重ねると、そういうことを自然体で言い合えるようになってきた。以前とは、雰囲気は全然違うね」
立憲民主党と共産党の間にも、憲法や外交・安全保障政策などで隔たりがある。そんな状況で政権を目指して連携できるのか。保守政治家でもあった中村は、共産党との連携をどう考えているのか尋ねてみた。
「譲り合うしかない。共産党と話をして溝を埋めるための話がまとまらなければ、野党は政権を取るべきではない。何でもいいから政権を取ればいいというのは無責任で、そうやって形だけ整えたから、過去の政権交代はだめだった。だから私は、いきなり政権交代ではなく、まずは『保革伯仲』でいいと訴えている。そこで時間ができるわけだから、ワンクッションを入れて、憲法や外交・防衛、天皇制をどうするのか。そういうものをきちんと整理し、準備していけばいい」
野党間の溝を埋める作業にも汗をかきたいという意欲を示す。
「共産党も含めた野党間で外交・防衛分野で勉強会を作りたい。日米安保が大切だという意味は理解しているが、日本の与党の政治家は、それだけしか言わない。もし、アメリカがいきなり日本との関係を見直すといった時、一体、どうするのか。そのときに何も用意していませんでは済まない。野党には、そういった政策が求められている」
「究極の総括」私にしかできない仕事をする
無所属時代は国会で質問に立たず、メディアの取材にも応じない寡黙な中村の姿は、「沈黙の男」とも言われた。野党第1党に加わり、沈黙を破った中村。しかし、あくまでも黒子に徹する姿勢は変えない。
「目立たないところで、『あの人がいないとうまくいかない』と言われる政治家が一番難しい。本当の仕事というのは、表の活動は2、3割。7、8割は、裏舞台だ。『あの人がいるから、あまりけんかをするわけにはいかないな』と思ってもらい、まとまっていく。自民党には、そういう伝統があったが、野党にはない。だから自分にそういう役割ができればと考えている」
最後に中村は、過去のみずからの事件に触れ、こう語った。
「事件のことは、もう結果は出ていて、何を言っても意味はない。ただ、事件を通じて、公平、公正な社会正義を貫ける国にすることが大きな仕事だと思ってやってきた。そして、いま野党に入り、私にしかできない仕事ができるかどうか。『いぶし銀の持ち味があって、野党に必要だ』と言ってもらえたら、私にとっては、最高にうれしいことだし、あの事件の究極の総括ができたと言えることになる」
「究極の総括」そのことばを口にした時、これまで政界で多くの出来事を乗り越えてきた中村の表情は、少し穏やかになったようにも見えた。
裏方として野党を鍛え上げ、目指す与野党の勢力が拮抗した緊張感のある政治を取り戻せるのか。中村喜四郎の動向を、今後も追いかける。
(文中敬称略)
- 政治部記者
- 並木 幸一
- 2011年入局。山口局を経て政治部。現在は野党クラブで国会対策を中心に取材。