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100人が語り、100人が聞いた、沖縄の人生


たくさんの小さな声を織り上げた、膨大な聞き書き集。

 

『沖縄タイムス』紙掲載の85人の語りに、新たに15人の語りを加え、待望の書籍化。

沖縄の生活史~語り、聞く復帰50年 プロジェクトについて

2022年5月15日に、沖縄は日本復帰50年を迎えました。これを節目として、沖縄の歴史とともに生きてきた人々の来し方を聞き取り、文章として残すことを目指したのが本プロジェクトです。

沖縄タイムス社が100人の「聞き手」を紙面で募集しました。それぞれの聞き手が思い思いに選んだ「語り手」から、その生活史を聞き取りました。100人の聞き手の方々には、1972年5月15日の「復帰の日」に何をしていましたか、という共通の質問をお願いしました。聞き取りをもとに作成した原稿は、2022年5月から12月末までのあいだ、沖縄タイムス紙面に170回にわたり連載されました。

連載の反響は大きく、2023年には第27回新聞労連ジャーナリズム大賞・優秀賞を受賞しました。「手法も新しく、オーラルヒストリー、郷土史としての価値がある」と評価されました。

30代から90代までと幅広い年齢層の語り手たちは、その出自もまた幅広いものでした。沖縄本島や離島をはじめ、中国や台湾、南米、サイパン、テニアンなど海外に暮らした方や、若いうちに内地へと移り住んだ方もいます。沖縄という土地との関係性が各々違う市井の人びとがどのように生きてきたか、その息遣いが感じとれる語りが集まりました。

 

新着情報

2023.07.21 『週刊読書人』に書評が掲載されました
2023.07.16 琉球新報に書評が掲載されました
2023.07.09 北海道新聞に書評が掲載されました
2023.07.08 読売新聞夕刊で紹介されました
2023.07.05 監修の岸政彦さんと都内の書店を訪問。「届ける人びと」写真を更新しました
2023.07.04 【満員御礼】トークイベントを開催しました(@代官山蔦屋書店・岸政彦×牟田都子)
2023.07.01 沖縄タイムスに書評が掲載されました
2023.06.07 朝日新聞夕刊で紹介されました
2023.06.03 沖縄タイムスで紹介されました
2023.06.02 朝日新聞デジタルで紹介されました
2023.05.30 RBC琉球放送 NEWS Linkで紹介されました
2023.05.29 週刊東洋経済6/3号 Book Reviewで紹介されました
2023.05.25 QAB琉球朝日放送 NEWS CATCHYで紹介されました
2023.05.23 発売1週間で重版決定しました!(6/9出来です)
2023.05.20 NHK 沖縄NEWS WEBで紹介されました
2023.05.20 沖縄タイムス社にて出版記念シンポジウムが開催されました(「沖縄タイムス+プラス」記事)
2023.05.19 朝日新聞に広告を掲載しました
2023.04.28 『沖縄タイムス』社会面に記事が掲載されました
2023.04.26 写真〈『沖縄の生活史』を届ける人びと〉を更新しました
2023.04.26 見本が出来上がりました!
2023.04.12 刊行日変更のお知らせ
2023.03.13 『沖縄の生活史』特設サイトを開設しました
2023.03.13 「沖縄タイムス+プラス」(沖縄タイムス社)「沖縄の生活史」関連記事はこちら

目次

まえがき 岸政彦

あの時の東京はね、お店の正面に「沖縄者お断り」って書いてあったんだよ。野蛮人と言ってから
聞き手=安里優子(五七) 語り手=母・池原春子(八四)

「おい、比嘉君ね、これからが僕らの時代だよ」って言うんだよ
聞き手=安里百合香(六一) 語り手=安里繁雄(九一)

おじー必ず、運転したいって言ってさ、どうしても運転したいって
聞き手=東春奈(三六) 語り手=父(七二)

爆弾の破片とか、買いに来る業者がいたわけ。家にね。そこの業者さんに売ったりしてた。小遣い稼ぎ。一キロ売ったらいくらだよということで
聞き手=安谷屋佑磨(二九) 語り手=父(六二)

耕運機買うのも、吉本家が初めて。開墾するのも、吉本が初め。みんなやらないわけよ、こんなの
聞き手=荒井聡(三九) 語り手=吉本良子(九七)

なんでないのって聞いたら一番上の兄が(給料を)そっくり持っていってあるわけよ
聞き手=新川真奈美(三二) 語り手=祖母(七四)

努力しなくて、なんとかなるさじゃないわけよ。努力しての結果が「なんくるないさ」、それ全然違うね
聞き手=泡☆盛子(五〇) 語り手=幼馴染の母・添盛文子(七一)

裏返して、僕の住所を書いたわけ。その時にまぁ、ポロポロポロポロ泣いたよ
聞き手=伊是名夏子(四〇) 語り手=父・伊是名進(七八)

ブランクなくドラムたたいてきたから、俺みたいにいろんなジャンルのドラムを経験してきたのは珍しいんじゃないかね
聞き手=井筒形(五九) 語り手=津嘉山善栄(七四)

ある奥さんはさ、必ず「あんた連れて行って、子どもが大きくなるまで一緒に育ててくれないか」と言いよったけど
聞き手=上江洲清哉(二四) 語り手=上江洲ツネ(九〇)

でも、見てくれてたんだぁー、分かってくれてたんだぁーってのがあって。すごいあの言葉は忘れられなかった
聞き手=上原健太郎(三七) 語り手=糸満市出身の女性(六〇代)

沖縄の歴史から呼ばれて、自ら沖縄の歴史を呼び込んでいく、その在り方みたいなもの
聞き手=上原沙也加 語り手=仲里効

だからほんとにしたいと思ったこともそのときなかったし。諦めてたから
聞き手=上間陽子

俺の妹と父ちゃんは、ちゃんと国から感謝状もらってるけど警察署から。俺はちゃんと逮捕状もらってるよ(笑)
聞き手=打越正行(四三) 語り手=剛(五〇代)

夜寝られない。起こされて、もう亡くなる人が、亡くなった人が来てよ、もう死んだまま。もう大変だった。墓が開く時は、誰がって分かりよったわけよ
聞き手=大城沙織(二五) 語り手=男性(八一)

仕事も全部、覚えてきている時だから、二六ぐらいだと思うけど。その頃に偽札が横行したのよ。二〇ドル札の偽札が
聞き手=大城譲司(五四) 語り手=母(八七)

「いーいーなぁ、うやんくゎんやん、この戦争ややん、ぬーがないら分からんくとぅやん、やらはんどー」んち。おばあがウリさるばー
聞き手=大城ひかり(二八) 語り手=祖母・大城千代(九八)

だから当時のコザはやっぱり怖かったですよ。行くと。白人はクルカジャーシーって黒人の匂いが嫌いだし。黒人はまた白人の匂いが嫌い、キモチワリーみたいな
聞き手=大田泰正(三一) 語り手=父・大田至(六一)

わじわじーですよ。怒り狂って、あぎじゃびよー、たっけーらせーと
聞き手=大塚和徳(四五) 語り手=高江洲義八(七三)

生物の時間だったのかな?「えっ、メダカ? メダカ見たことない」って言ったら、みんなが笑うわけ
聞き手=岡本彰子(五四) 語り手=従姉・金城千代己(七五)

それから数日後に母が「やはり、ハワイ行った方がいいよ」と言って。妹はまだ小さかったからね、私一人で沖縄を出たんです
聞き手=荻堂志野(二九) 語り手=東恩納良吉(八六)

門中の子どもたちを守って子孫を繁盛させてくださいと、それだけをお願いするだけだよ
聞き手=語り手の甥(六二) 語り手=門中の神人(八九)

ずーっと耳で、なんか日本語分かると思ってたんだけど、あれ日本語じゃなかったね。ほぼ半分以上はもう、うちなーぐち
聞き手=加藤勲(四〇) 語り手=安富祖美智江

「おい福峯、お前、沖縄復帰させてもらって良かったなぁー」って言った一言で、俺、胸ぐら捕まえて大げんかしたよ
聞き手=加藤里織(四七) 語り手=福峯衆宝(六九)

マジに信じてたのは復帰するってのは、本土に沖縄の島がくっつくことだと思ってたわけね。そのまんま九州の鹿児島にくっつく、これが復帰だと思ってたわけ
聞き手=兼島拓也(三三) 語り手=父(六〇代)

復帰したら、アメリカーが店に来なくなるから。うちも夫も、心の中では復帰には反対だったから。もうけなくなるさあね
聞き手=嘉納英明(五九) 語り手=石川静子(八七)

別に復帰がどうこうして、覚えてることはないよ。何にも私には、関係のないことだから
聞き手=叶祐介(二四) 語り手=祖母・仲間久子(八七)

飛行士が見えるのよ。見えるんだよ。パイロットが。ぷわーっとやってね、ぷわーっと逃げたのよ。全員無事だったけど、屋根が燃えてよ
聞き手=神村メイ(六九) 語り手=夫の叔父・新垣昌也(八四)

本土に来てから、青森や鹿児島とか難しそうな方言を使ってるのに、何で沖縄だけ禁止になったわけってすごく腹が立ったね
聞き手=川野香織(五〇) 語り手=母・畑山シズ(七四)

人間はね、どんな苦労でも、金で使われていると、金に使われていると思ったらどんな苦労でも耐えきれるという話、聞かされたから。ああ人間は、そうだねえと言って
聞き手=岸政彦

他の職業では復帰前の資格が復帰後も認められているケースもあるわけで、なぜ私たちだけ「沖縄弁護士」を名乗らなければいけないのか、差別ではないか、という意識はありますよ
聞き手=喜屋武馨(八二) 語り手=松田朝徳(八七)

戦前は、はだしで歩いたので足裏が硬くなっていた。寒い時につまずいてつま先を打って血が出ても痛さを感じないぐらいだった
聞き手=喜屋武すま子(七三) 語り手=義母・喜屋武初子(九九)

首ちりどぅし、これ一言で、僕の頭の中ではね。沖縄で首ちりどぅしという言葉は、なかなか言わないけど、そのぐらい親しいんだね
聞き手=喜屋武悠生(三五) 語り手=父親の親友(七四)

私たち夫婦は(一九六四年の)東京オリンピックから、今度のオリンピックまで華やかな人生だった。ちょうど一緒、珍しいことに
聞き手=金城愛音(二七) 語り手=祖母・我那覇英子(八二)

うちなーぐちを使えるようになったのは沖縄に帰ってきてから。生活のために覚えたさ
聞き手=金城さつき(四〇) 語り手=玉城秀子(八四)

ニュースペーパーボーイ、ユーノウ?
聞き手=具志堅大樹(二九) 語り手=両親の友人(六〇代)

九八ドルだったら生活やっていけたけど、三万六〇〇〇円では生活やっていけなかったね
聞き手=久保祥子(三〇) 語り手=伯父・知念正樹(七四)

うん、モテて大変だった。モテモテ(笑)。内地に連れて帰ろうかなぁ、って、まあ、おべっか言う人もいたよ
聞き手=久保山亜希子(三四) 語り手=母(七〇)

結婚するよりか、技術を習わんとね。もう、親もいないからという感じですよ
聞き手=幸地一(五九) 語り手=幸地廣明(八四)

人生ってやり返しきくって言うけど、はーとんでもない。一度ひっくり返ったらなかなか簡単じゃないよ
聞き手=古我知智子(六〇) 語り手=義母(九四)

いい絵を描けばアメリカーでも認めてくれるんじゃないのっていうのもあるわけ。それで、美術を一生懸命やり始めたわけ
聞き手=酒井織恵(五二) 語り手=父・稲嶺成祚(八九)

この大雨はうちなーんちゅの涙だ、このことは絶対に忘れない、と思ったのは、はっきり覚えています。その後は気が遠くなって、倒れていました
聞き手=佐藤学(六四) 語り手=宜野座映子(七五)

よく買ってくれる人はもうけあるけど、また買ってくれない人もいるわけよ。なんかヤミみたいだから。ゲートで調べる人が来たら没収もするから、戦々恐々よ、もう
聞き手=さゆき(三三) 語り手=祖母(九四)

中の町来て、この辺でも燃えていて、胡屋十字路来たらまた空港通りも、ここも燃えていたんだ
聞き手=織(二四) 語り手=祖父(七七)

たまに、自分なんかのおうちにターユーっていう魚が入ってくるわけさ
聞き手=島袋秋人(二三) 語り手=祖母・比嘉あさみ(六七)

燃やした記憶はないけどよ、どうせ俺はもう沖縄に帰らんってからさ。捨てたような気がする。もう要らないって、帰るつもりはないって
聞き手=島袋幸司(三八) 語り手=沖縄本島中部の男性(七〇代)

自分が味わってきた沖縄だけの閉鎖的な空間よりは、どんどん出てってほしい。だから、あまり実家には近寄りたくなかった
聞き手=島袋弘暉(二二) 語り手=母(五〇代)

この差があるわけ、ここは下。外人は上。事故しても外人が事故しても、何にも関係ないのに
聞き手=島袋真由美(三七) 語り手=大叔父(八四)

復帰記念メダルもらった。メダル、学校からみんなに。お祭り騒ぎだったかな。よく覚えていないな
聞き手=島袋みゆき(五二) 語り手=配偶者(六〇)

自分は中学三年で受験勉強してたもんだから。もっと勉強したいから行きたくないっていうことで、毎日けんか
聞き手=下地隆弘(二二) 語り手=祖母(八〇代)

五年生くらいの時に方言を使わなかった子で、表彰されたわけ。下地君は学校で方言を使いませんでした、とか言ってさ
聞き手=下地レオ(三二) 語り手=父(五八)

だから学校も行っていないから食べ歩いて聞いて。食堂に帰ってそのように作って、味して「あ、この味だ」って思ったら、これで店の味にする
聞き手=城間碩也(二四) 語り手=祖母(七七)

どんな人かねと。色が白くて髪が長くて、髪が長いというだけでジュリ(遊女)じゃないか、みたいな。みんな、見に来るわけ
聞き手=城間美咲(三八) 語り手=富田初江(八四)

復帰しないで自分たちがそのまま、琉球政府としていきたいみたいな討論会があったよ、高校生が
聞き手=城間優子(四六) 語り手=父の従妹(六〇代)

戦後はもうだんだんヤマトに世替わりだからね。向こうしか向いてないから。逆に僕は「こっち向けよ」と思って、方言ニュースを
聞き手=新垣啓子(六三) 語り手=母の従弟・又吉健次郎(九〇)

先祖まつりの長男だから、帰らないかん宿命にあるんですけど、少し働いて、働いていう間に六〇年間、最初は二ヵ月のつもりで来たんですよ
聞き手=末松史(四三) 語り手=金城豊秀(八三)

沖縄の歴史かな。四年生から学べるわけさ。これオレ楽しみにしてたわけよ。そしたら四年なったらなくなっていた
聞き手=末吉利旭(三六) 語り手=父(六〇)

僕は手をやられていますから、抵抗できるのは口しかないんですよ。だから、僕も馬の顎にかみついた
聞き手=鈴木陽子(六一) 語り手=平得壯市(八五)

それがもう「ショウショウショウショウショーウ! ショーウ!」って言うから(笑)
聞き手=平良伊都実(二五) 語り手=母(五五)

親戚のおじさん、おばさんが勝手に付けたの。呼びやすいように。よう子、よう子って。お母さんの姉さんも名前二つあるさね。栄子なのに、しげーって呼ばれてた
聞き手=高浪千裕(五〇) 語り手=入嵩西時子(七五)

そうサミットが始まる前だったからね。「G7って付けた方がいいんじゃないか」って言ったらさ、そのあとにG7が始まったさ
聞き手=知念渉 語り手=赤嶺千穂子、夫=芳弘

なんか、あっちから通るバス見たら、ああ、あのバスどこ行くんだろうな、乗ってみたいなぁって思ってた
聞き手=知念真由美(五七) 語り手=母(八三)

手続きしたら、これ何人て書くんですかーってなったわけさ、だから琉球人って書きなさいって言われたよって言ってるわけ
聞き手=知念ゆかり(二四) 語り手=父の姉(七八)

おやじと電話でよくけんかしたよ。おやじは復帰したら何もかもよくなるって言うわけさぁ。これでは駄目だようと思ったわけさぁ
聞き手=寺田光枝(七四) 語り手=玉城薫(七四)

五〇〇円と言われて、五〇〇円くらいなら何とかならなかったかな、って今考えたら思うけど、あれも悔しかったよ、りま
聞き手=徳森りま(三四) 語り手=父・徳森栄春(六二)

超ショック。何か分かんない。もうソーセージ食べられなくなった
聞き手=富山勝代(四九) 語り手=友人・えーみー(四八)

同世代の子が「やー」とか「えー」とか言っていると、何のことか分からなくて、超戸惑った覚えがありますね。怒ってるー、なんだこりゃーって
聞き手=鳥井由美子(三八) 語り手=上地愛乃(三一)

いつもさ「もう少しだよ、もう少しだよ」って。いつもその言葉にさ、ばあちゃんはさ、その言葉につられてずっと一緒にじいちゃんと仕事していた
聞き手=仲地二葉(三〇) 語り手=祖母・照屋キヨ子(八一)

でも僕も若くて、「日本語上手ですね」って言われて「あなたより上手かもしれませんね」なんて言って(笑)
聞き手=仲程玲(四〇) 語り手=伯父・江川義久(七七)

軍歌、嫌なぐらい分かるわけ。兄たちがいつも軍歌歌うから聞き覚えて。教育って大変よ。軍歌まだ覚えているもん、小学生の女の子だったのに
聞き手=仲間尚子(六一) 語り手=母・玉城千代(八七)

「あい、おとう、これ三番いなぐんぐゎーがもうけている給料どー」と言って。おばあはかんなじおとうに手合わせよった。これいつなっても忘れない
聞き手=仲松沙也香(二二) 語り手=大叔母・トキ子(八三)

何にもいいことはない。おばさんだちは何もない時期の子どもだからね。意味ないよ
聞き手=仲嶺真(三三) 語り手=伯母(八〇代)

「育てもしないくせに」って。泣きよったよ。口から出しよったよ。「育てもしないくせに」って。その時は恨みよった
聞き手=鉢嶺京子(四一) 語り手=祖堅秀子(八三)

着いて、第一声が教授に呼ばれて、「日本語話せるね?」って
聞き手=比嘉あんの(一六) 語り手=祖母・高良敏子(八四)

そう。アイドルですよ。ホントに(笑)。交通指導が終わるまで待っている人がいたの。それくらい、「見せる警察官」
聞き手=比嘉鈴代(四五) 語り手=母・比嘉洋子(六九)

隣近所の子どもたち、集まって隠れとってから、映画始まったら、戸閉めるから、その時に入るさ
聞き手=比嘉チハル(四三) 語り手=比嘉幸保(六六)

あの時思ったんは、沖縄と貧乏は別もんやなってすごく感じて。私はそれをいっしょくたにして、沖縄を嫌ってたなあと思って
聞き手=比嘉直子(五五) 語り手=沖縄二世K・N(六〇代)

友達とねー、れんげ畑ね、帰り。原田屋のおうちの下は、みーんな稲さ。稲取った後はれんげがもういっぱい咲くのね
聞き手=比嘉和香(四九) 語り手=母・賀数孝子(八一)

あっちの嫁になせって言われるからよ、ゲーしてさ、反抗になって、反抗してよ
聞き手=ヒヤジョウマキ(二七) 語り手=祖母・眞栄田トシ(八九)

だから、出たらひかれていたかもしれない。通るのにじゃまになっている私の車を側溝に落として通りたかったんだから
聞き手=藤宮子(三六) 語り手=義母(七二)

これはいかんと思って、「返してこうね」ってお母さんに言ったら、お母さんは「行かないで! 恭枝さん、それは私が買うから」って言いはんねん
聞き手=藤本朋子(五一) 語り手=石原恭枝(八三)

「おばさん来たよ」って言ったら、来た途端に「元気だった?」と歓迎してくれたのは、このことだったんだなって後で分かったんだけど
聞き手=古里友香(四九) 語り手=大城(旧姓・知花)フヂ子(七七)

普通でしたら、親が子どもの介護をするじゃないですか。私の場合は反対で、息子に介護されて、病院生活を過ごさせていただいたという感じですね
聞き手=平安名萌恵(二七) 語り手=レイコ(七〇代)

願っていた内容の復帰ではない。そうだったら、まあ、あまりうれしくはない人もいただろうが、しかし、あの、僕自身はね、まずは復帰するんだという思いが強かった
聞き手=前泊美紀(四九) 語り手=前泊甫美(八二)

うん。法律が適用されるさ。アメリカの法律じゃなくて、日本の法律。それが、一番のうれしさだったな
聞き手=前原洸大(二四) 語り手=仲村渠實(八二)

私たちもだまされてなかったら、今頃、大きなビル建てていたんじゃないかねーって思うよ(笑)
聞き手=真境名育恵(四七) 語り手=母・新開麗子(七四)

新川のお墓へ行く時は、牛に車ひかせて、みんな乗せて行った。牛はゆっくりだからいいわけさ。あー、あの時、カメラがあったら写したのにねー
聞き手=松井裕子(七一) 語り手=中村トヨ(八六)

沖縄で墓を初めて見てびっくりしたよ。防空壕だと思った
聞き手=松岡幸子(七五) 語り手=上運天賢盛(九〇)

家に持ってきて食べるって言って。あんまりおいしいから。もうとにかくおいしい。カニ豆腐って言って、もうとってもおいしい料理があるんだけどね
聞き手=松田郁乃(三二) 語り手=祖母(八三)

宿題とか勉強していたらお母が怒られよった。「なんでいなぐんぐゎーに勉強させる?」って
聞き手=松田哲郎(四一) 語り手=母(六九)

屋敷の桑の木に小さなマイマイがいたからそれを集めてね、湯がいてから食べて、そうやって生きていたんだよ
聞き手=諸見里梨奈(二〇) 語り手=祖父(八六)

どんなしてお母さんと言うか。私のお母さん、育てのお母さん、このお母だのにって思ってよ……
聞き手=山内直子(五四) 語り手=母・ゑみ子(八九)

たばこをやめた日です。五月一五日に何をしていたかというと……たばこをやめる以外には何もなかったような気がするけれども
聞き手=山口祐里瑛(二四) 語り手=祖父・仲里政幸(九一)

たまに卵取って飲みよったよ、隠れて。たたいてからに、穴が空いたらチュッチュッチュして
聞き手=山田哲也(四八) 語り手=母(七四)

逆に、学校の先生たちが本土と一緒にしようと思って躍起になっていたんだ。俺ら……、子どもはね、あんまり興味なかった
聞き手=山入端由香(三二) 語り手=男性(六〇代)

役場から公報来て、大暴れして「今すぐ天皇陛下連れてきて、殺せー!」って言ったよ
聞き手=山本和(二六) 語り手=田中美江(九二)

だから全然記憶がないんじゃ。そういう子ども、記憶がない子ども
聞き手=雪田倫代(三七) 語り手=父(七八)

罰金するって言って罰金払ったよ。嫌だのに、あんなの。ストライキしても意味ない。働いた方がいいさ。やっても、やらなくても勝ち目はないですよ
聞き手=吉門夏輝(三一) 語り手=八重瀬町の祖母(七五)

そんな時に、朝ごはんに納豆が出たの。いくらなんでも、私たちのことが嫌いだからって、こんな腐ったものを出すことないのにねって(笑)
聞き手=渡邉隆(三七) 語り手=母・渡邉敬子(六七)

例えば僕はよ、箸のつかみ方。八重山でも普通にごはん食べてるさ。日本ではどんなして使うのかなぁとか思ったりよ。一緒なのかな、違うのかな、と思ったりしてよ
聞き手=綿貫円(三三) 語り手=石堂徳一(七三)

あとがき――記憶の玉手箱のような存在 石原昌家

写真・上原沙也加

反響

聞き手の方から寄せられた感想

「誰かの人生を丁寧に聞くことは、きっと誰かの励ましや勇気付けのきっかけになる」
藤本朋子さん

「全てを受け入れ、歩んできた母の人生に、私は誇りと勇気をもらった。うそ偽りのない生の声だからこそ、残す意味がある」
安里優子さん

「戦争や貧困、身近にある米軍からの暴力、どこかで命を落としていてもおかしくなかったおばあが生き延びたから、私が存在する。ありがとうと思ったら、涙が出た」
さゆきさん

「市井の人たちの語りを残すことは、〈時の権力者による歴史の改ざん〉にも立ち向かっていける貴重な記録として後世に受け継がれていく」
真境名育恵さん

「それぞれの世代や地域の人の語りを残すことは、次の世代に語り継ぐことはもちろん、同世代の人が過去を振り返って、共感し、懐かしむことのできる機会になった」
富山勝代さん

「母の生活史は、私が所有してきた時間の前にも後にも並走して伸びていた。生活史とは、幾つもの時間があざなえる救いの記録でもあった」
高浪千裕さん

「沖縄タイムス」読者の方からの感想

10月3日の新聞を開き、ある記事に目が留まった。「沖縄の生活史」のページに「カニ豆腐」の話を見つけ、私が小学生の頃の思い出がよみがえった。  

親戚のお兄さんたちと一緒に弟2人が川へ行き、カニをいっぱいもらってきた。甲羅は7~8センチ、ツメは毛で覆われ、方言で「マーガイ」と呼んでいた。その他、小さなカニも一緒に母がウスに入れ、キネでつついてグチャグチャにし、布でくるんで絞る。出てくる汁を鍋で煮詰めて、固まったらできあがり。まるでゆし豆腐のようでおいしかった。時々、主人に話しても「分からない」という。新聞を見たおかげで、私の幼少期の楽しかった思い出へとつながった。  

最近は体調が良くなく、書くこともままならず焦りを感じる。実りの秋。スーパーには野菜や果物が並び、心躍る。今夜のおかずは何にしようと総菜コーナーに足が向く。知人に会ってもマスクの上から目で会釈してサヨナラ。久方ぶりの話もあるのにコロナ禍でままならず、晴天の秋空を見る。(糸満市)


復帰50周年にちなんで本紙は「沖縄の生活史」を掲載しており、毎朝楽しみにしている。  

これまでのように学識経験者、政治家、評論家など専門家のご意見ではなく、市井の方々の生活史であることがうれしい。戦中戦後をいかにしのいできたかを、淡々と飾ることなく語られている。拝読しながら、あんやたん、かんやたんやーと、全てが納得いく体験談ばかり。国破れて山河ありというが、その山河さえも形を失った沖縄、まさに生き地獄の中から命一つを大切に、大事に生き延びてこられた語り部だからこそ、心を打つし共感ができる。美辞麗句など一つもない真実だけを述べられていることに敬意を表したい。  

小生も両親、弟を失った戦災孤児としての生活を送った。これから生きる次世代の人たちの生活の中に、戦争という2文字が入ることのない社会であってほしいと熱望する。(那覇市)


「沖縄の生活史」第2部を面白く読んでいる。昔話を発言したまま記述した企画だが、語り手が高齢の方が話に味わいがある。  

5月24日の語り手(87歳)の例を一部引用すると「夫の両親から洋服屋を勧められたが、お店するのできないよー、と断ったけど、ないさないさし。ほんとに何もできないのに。紳士服の本買って勉強して洋服屋を作った。職人3、4人採用して、裁断できるねと聞き、こんなこんなして、人のまねはしていたわけ。採用した職人に裁断できるのがいなかったので、本買って自分でやった」 。 

語り手の話題は終戦直後の頃が多い。テニアン帰りもいる。話の内容はさまざまだ。語り手の癖がストレートに出たりして戸惑うこともある。 でも話の前後を再読すると理解しやすい。僕は語り手と年齢が近いので話の情景が目に浮かぶ。そんなこともあって連載を読むのが楽しみだ。(南風原町)


*上記は、2022年12月掲載「沖縄タイムス」特集記事をもとに再構成しました。

監修者のことば

岸政彦

(京都大学教授)

100通りの「沖縄戦後史」

2021年12月から始まった「沖縄の生活史」プロジェクト。100名の聞き手が100名の語り手から生活史(生い立ちと人生の語り)を聞く、という、これまで類を見ない壮大なプロジェクトでした。聞き取りの成果は今年5月から順を追って本紙でも連載されました。  

このプロジェクトが、多くの方々のご協力のおかげで、ようやくゴールにたどり着くことができました。語り手の皆さま、聞き手の皆さま、本当にありがとうございました。

ここで集められた100人分の生活史の語りに、私が付け加えることは何もありません。ここには100通りの「沖縄戦後史」があり、そのそれぞれが皆、必死に、一生懸命に生きてきた、切実な人生の記録です。沖縄という小さな、平和な島が、日本とアメリカという大国の間で翻弄され、踏みにじられてきたその歴史の中で、人々は苦しみながらも、たくましくしたたかに生きてきました。ここに集まった語りには、このシマの人々の、喜びや悲しみが込められています。

そしてそれは同時に、沖縄の人生の、ほんのわずかな、ごく一部でしかないのです。戦後の沖縄を生きてきた膨大な人々、今の沖縄を生きる膨大な人々には、それぞれの膨大な人生があります。そのごくごく一部を集めるだけでも、これだけの分量になるのです。

そしてその、沖縄の人々には皆それぞれの人生があるのだ、という、当たり前の事実を、沖縄に基地や貧困を押し付けている私たちヤマトの人間は、忘れがちなのです。私たちがその当たり前のことを何度でも思い返すために、本書のプロジェクトが生まれたのだと思います。

どこの地域でも、誰の人生でも同じですが、人の生活史というのはなかなか「一筋縄」ではいかないものです。私たちはつい、沖縄が抱える(抱えさせられている)問題に対して、お手軽な、単純な「答え」を出しがちです。そうした単純化に抗して、何度も立ち止まって考えるためには、「人々の人生」に耳を傾けることしかないのではないか。今回の「沖縄の生活史」プロジェクトを通して、改めて強くそう思いました。

「沖縄の生活史」は連載終了後にみすず書房から1冊の本として出版されます。県内だけでなく、広く日本中、世界中で読んでほしいと思います。

最後になりましたが、改めまして、本プロジェクトにご参加いただいた語り手の皆さま、聞き手の皆さま、本当にありがとうございました。

(2022年12月27日「沖縄タイムス」特集記事から加筆修正)

石原昌家

(沖縄国際大学名誉教授)

未知の世界照らし出す

この企画は、沖縄タイムス社とともに、社会学者・岸政彦立命館大学教授の「岸方式」とも言うべき斬新な方法で紙面を飾っている。沖縄県全体で聞き手を募集して、聞き書きさせるという方式は、私には到底思いつかない、壮大な手法である。

しかも、語り手とは元々、信頼関係の深い聞き手による聞き書きなので、初めて出会う聞き手に対してはなかなか話せない内容が、次々と明るみに出ている。

聞き手の力量にもよるが、沖縄社会の闇の部分にまで、分け入っている内容も含まれている。関係者には当たり前でも、多くの人にとっては、全く未知の世界を目にした思いになる。

特定のテーマを設定しないでさまざまな人たちから聞き出すことによって、沖縄社会の隅々まで、サーチライトで照らし出している感を深める。社会の通念を超えた理不尽な生活を強いられている人の存在も知ることになったり、また沖縄の人たちの過酷な戦争・移民体験、出稼ぎ生活、カルチャーショックを乗り越えていった並々ならない努力も心打つ。

さまざまな人の生活史が、新聞に載ることによって、その人の周囲には大きな波紋が生じているはずだ。長年付き合ってきたのに、そのような経験をしていたのかと、身内はもとより、友人・知人も改めて語り手の人生を深く知って、その人となりを深く見つめ直す機会にもなっている。と同時に、その後どうなったのか、もっと知りたいという気持ちにさせられる。

この「沖縄の生活史」が読み手に大きな感動を呼び起こしているのは、他人の人生を自分の生活体験と重ね合わせながら読んで、共感したり、学んだり、自分自身の人生を振り返り、自然に内省する機会にもなっていることだ。ことほどさように自分の経験と似通った事柄も語られ、まるで自分の生活史が新聞に載っているような錯覚すら覚えている読者が多いはずだ。

この「沖縄の生活史」を読むことによって、多くの読者が肩肘張らずにそれぞれの家族の歴史や社会的活動を聞き取りして、記録していこうという思いがよぎったはずだ。ぜひ取り組んでいただきたい。

(2022年12月27日掲載「沖縄タイムス」特集記事から転載)

 

聞き取りのようす

  • https://www.youtube.com/watch?v=PZjOo908KFw

書評・紹介情報

『週刊読書人』に書評が掲載されました
「それぞれの戦後沖縄と声」(田仲康博・評)
2023年7月21日号

琉球新報に書評が掲載されました
「100年にわたる沖縄の世相」(新城和博・評)
2023年7月16日

北海道新聞に書評が掲載されました
「戦後生きた100人の物語」(奥野修司・評)
2023年7月9日

読売新聞夕刊で紹介されました
「戦争 米統治 基地 語る100人」(岸政彦氏インタビュー)
2023年7月8日

沖縄タイムスに書評が掲載されました
「100人の人生を垣間見る」(仲地博・評)
2023年7月1日

朝日新聞夕刊で紹介されました
「聞かせて あなたの沖縄」
2023年6月7日

沖縄タイムスで紹介されました(動画あり)
「石原昌家さん「沖縄の人を知る入門書」 岸政彦さん「一人一人が人間だな」 庶民に焦点当てた『沖縄の生活史』出版記念シンポ」
2023年6月3日

朝日新聞デジタルで紹介されました
「100人が語り、聞いた『沖縄の生活史』出版 戦後の暮らし細やかに」
2023年6月2日

RBC琉球放送 NEWS Linkで紹介されました(動画はこちら)
「偽札が横行したのよ、20ドル札の偽札が」沖縄の一般市民が過ごした日々は?『沖縄の生活史』が発刊
2023年5月30日

『週刊東洋経済』6/3号Book Reviewで紹介されました(会田弘継・評)
「戦争・本土復帰への率直な語り、沖縄100人の記憶」
2023年5月29日

QAB琉球朝日放送 NEWS CATCHYで紹介されました(動画あり)
#IMAGINEおきなわ vol.19 「100人が語り、100人が聞いた沖縄の人生」
2023年5月25日

NHK 沖縄NEWS WEBで紹介されました(動画あり)
「沖縄に生きる個人の戦後史に焦点 那覇市でシンポジウム開催」
2023年5月20日

第27回新聞労連ジャーナリズム大賞・優秀賞を受賞(沖縄タイムス復帰50年取材チーム)
「手法も新しく、オーラルヒストリー、郷土史としての価値がある」
2023年1月23日

沖縄の生活史

監修:石原昌家 /監修:岸政彦 /編:沖縄タイムス社

書誌情報ページはこちら 

判型 A5判
頁数 880頁
定価 4,950円 (本体:4,500円)
ISBN 978-4-622-09598-9
Cコード C0036
発行予定日 2023年5月12日
電子書籍配信開始日 2023年6月16日
ジャンル 社会/郷土史

 

ページ見本

100人の人生 沖縄感じて

『沖縄タイムス』2023年4月28日掲載記事

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