2023年に制作されたヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS(パーフェクト・デイズ)』という映画をご存じでしょうか。生きづらさを抱える人たちの支援に取り組むジャーナリストの引地達也さんは、この作品が「忘れられないもの」になっているそうです。その理由を、自身のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の中で語っています。
一歩一歩から始まる私達の「完全なる幸せ」
2024年最後の日、京都の叡山鉄道に乗車し鞍馬で降りた私たちのグループは鞍馬寺か貴船神社までの約4キロの道のりを風景に目を見張り、おしゃべりに興じながら歩く。
木漏れ日がさす場所で地上から空にカメラを向けてその光と木の枝のシルエットを撮影しようとグループの1人が「パーフェクト・デイズ」とつぶやいたところからその話題は始まった。
それは映画「パーフェクト・デイズ」の話である。
主人公の清掃員の趣味でもあるフィルムのカメラで公園の木々から木漏れ日を撮影するシーンの話をしようとしたところ、一行のオーストラリア人の友人2人は映画を観た、だけではなく、「それが一番好きだ」と興奮した。さらに、細部のシーンについて話したことで、人が生きることに関する普遍的な価値を共有し、歩きながら、生きることの大事な瞬間を一緒に見たような感覚になった。
これが「パーフェクト・デイズ」だと一同納得したことに、幸せを感じている。
映画『PERFECT DAYS』(パーフェクト・デイズ)は日本・ドイツ合作で2023年に制作された。
ヴィム・ヴェンダース監督が描く東京、役所広司さんが演じる清掃作業員の日々は、静かで深い感動をもたらし、私にとって忘れられない作品だ。
第76回カンヌ国際映画祭で役所さんが男優賞を受賞し、作品は金獅子賞を獲得したことでも有名だが、友人は作品の「言葉の少ないやりとり」に面白さを感じたようで、そこに私はリアリティを覚え、映画の奥行が醸し出されたと応じた。
この映画では、完璧に公園のトイレ清掃を行う主人公に対し、仕事にやる気を見せない同僚がおり、その同僚との交流を楽しみにしているダウン症と思われる障がいのある男性が登場する。
ふれあいを楽しむその姿は幸せそのもの。
しかしその同僚がいないことを知るととたんに残念そうな様子で一人トボトボと帰っていく。
そのシーンは、私が活動する中での障がいのある方の反応に通じて、ぐっと心を掴まれた場面となったが、友人もその場面に、障がい者の支援をする私を思い出したのだという。
この記事の著者・引地達也さんのメルマガ
このシーンに対する何らかの感情移入は、障がいのある人の社会での位置づけを考えたいという積極的な動機と個人的な関与を求めて思考されるものかもしれない、もしくは何かしらのつながりで、その苦しみや悲しみ、不釣り合いや非対称性を軽減することができるかを考えたいという感覚を持つ人は一定程度いる。
それが潜在的なケアラーでもあり、それを国境や文化を超えて、伝えられるのは、この作品の持つ文化性の高さと鋭さでもあるのだろう。
主人公が掃除する公共のトイレも、音楽のカセットテープを買い求める下北沢の中古レコード店も毎夕の食事の場となる浅草の飲食店もすべて何らかの文化的要素を含みながら、それはそこに存在するが、自分が関与する何らかのつながりを求めながら、映画を解釈し、価値を積み上げていく作業だと考えると、ケアに関することだけではなく、あらためて映画の持つ文化を育む題材としての機能が再認識もされる。
少し映画を教材として使う目線になってしまったが、そんな映画の話をしながら、友人とのハイキングは、上りも下りも一歩一歩踏みしめながらの行程が続く。
目の前の一歩をていねいに、との感覚を大事にと思いながらも、疲れてくると、先に進むことを目的化する自分がいる。
注意をしなければ目の前の重要な一歩には気づけない。
映画の中で描かれたカセットテープで古い洋楽を聴くのも、中古の小説を読むのも、小さな店に行って店員とちょっとしたやりとりをするのも、些細な日々の一歩かもしれないが、映画で丁寧に描かれている世界では、それが「パーフェクト・デイズ」となる。
日々の一歩一歩、周辺の小さなやりとりを大切にしながら、鞍馬の山で友人とともに叫んだ「パーフェクト・デイズ!」を味わって生きていこう。
今年も。
この記事の著者・引地達也さんのメルマガ
image by: 鋸香具師, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons