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“イジられ芸”の先駆者だった片岡鶴太郎、だが一般的な認識の低さからか役者へとシフトチェンジ
また、稲川淳二にしても『ひょうきん族』のみならず、他のバラエティ番組で「猛獣のいる檻に閉じ込められる役」的なポジションを獲得しており、両者ともイジられ芸人の先駆者だったのである。
さらに当時は、イジられ芸人というのは“自分の芸がない芸人”と、一般人にもバカにされる傾向があった。鶴太郎が役者路線にシフトしたり、芸術家やボクシングに走ったのも、そうしたポジションの影響があったからなのかも知れない。
ダチョウ、出川哲朗、松村邦洋が“イジられ芸”を確立! 世間からの冷遇から精神的な疲弊も
イジられ芸のメジャー化・拡大化は、1990年代初頭に『進め!電波少年』(日本テレビ系)ブームをもたらし、少なからず社会にも影響を与えるようになる。当初は松村邦洋をはじめ、ほぼ“イジられ芸”のみで構成されたような番組であり、松村は「渋谷のチーマーを更生する」などの企画で活躍し、チーマーに取り囲まれたり、追っかけられたりする場面をそのまま放送。また、松村の盟友とも言える立場だった出川もチーマーによる“出川狩り”に遭い、「渋谷(なんて)歩けなかった。“(出川を)見つけたらやってしまえ”って。本当にこわかった」と本人が明かしている。
“イジられ芸”はワンランク下の芸とみられ、誰がイジってもOKだろうという安直な発想が、そのまま世間にもまかり通ったかのような時代となったのだ。こうした、世間の冷たい目にさらされ、精神的に疲弊しながらも、“イジられ芸”の立役者たちは芸人としてのポジションをしっかりと保ち、プライベートを犠牲にしながら愚直に努力を積み重ねていったのである。
“イジられ芸人”の立ち位置がようやく変化 お笑い番組の多様化・細分化が影響
出川にしても、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)への出演以来、その“取り扱い方”にも徐々に変化が見られる。司会の内村光良に“御意見番”とキャラ付けされたり、「出川イングリッシュ」などで、ガチで出川はおもしろいと認識されると、それまでの一般の呼称「出川!」も、子どもたちを中心に「出川さん」に変化していった。昨年4月には、自身初の冠レギュラー番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』(テレビ東京系)がスタート、“可愛いおじさん”というポジションに落ち着き、“愛されキャラ”化まで果たすのである。
そんな出川の実力はまさに“プロ”からも高く評価されており、『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)で新入りメンバーが「二流芸能人で適当に楽しく暮らせたらそれでいい」と発言、さんまが「二流芸能人は、たとえば誰?」と質問、すると「出川哲朗」とのこと。それを聞いた瞬間さんまは真顔になり、「出川は一流や!」と言い放ったのである。
また、ダチョウ倶楽部の上島にしても、いわゆる「竜兵会」という太田プロダクション所属の芸人の飲み会では、上島と肥後のほか、有吉弘行や土田晃之、劇団ひとりなどが参加しており、例の「焼酎の瓶を水と入れ替えても上島は酔って泣いた」エピソードなど、爆笑のネタとなりながらも、後輩芸人たちの上島竜兵“愛”がうかがえるのである。
出川、上島に続く! 気鋭の“イジられ芸人”たちが台頭
その汎用性の高さから今では一般層でも“イジられキャラ”という言葉で定着、イジられ芸を“自虐ネタ”としてサラっとこなす人間は、逆に一目置かれる風潮すらあるのだ。
これまでバカにされてきた“イジられ芸人”が愛され、リスペクトされる対象となったのは、出川哲朗・上島竜兵といった“イジられ芸人”の最前線にいた先人たちの並々ならぬ苦闘と努力が、一般視聴者の信頼を勝ち得た結果と言えるだろう。世間の目が変わったとは言え、“イジられ芸人”はまだまだプライベートを犠牲にしている面も多分にあるようで、日々精神的な葛藤とも無縁ではないことも忘れてはならないだろう。今後の“イジられ芸人”たちの活躍に注目していきたい。