令和6年12月12日
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構 (理事長 小口正範、以下、「原子力機構」) 福島廃炉安全工学研究所 廃炉環境国際共同研究センター 環境モニタリンググループ(南相馬市) の吉村和也研究主幹の研究グループでは、住民の生活行動に基づいた新しい被ばく線量の予測モデルを開発しました。
福島第一原子力発電所の事故後、被ばく線量は個人線量計により測定されるか、簡易なモデルにより大まかにかつ保守的に評価されてきました。一方、特定復興再生拠点区域といった帰還困難区域における避難指示の解除に際しては、個々の住民の生活行動を考慮した、実際的な被ばく線量を予測する必要がありました。従来の個人線量計による測定では被ばく線量を予測することができず、また簡易なモデルでは実際的な被ばく線量を推定することができず、解除後に見込まれる個人被ばく線量の予測自体が困難な状況でした。
そこで原子力機構は、住民の生活行動に基づき精度よく被ばく線量を予測できる新たなモデルを開発しました。このモデルでは、滞在箇所における空間線量率を用いて被ばく線量を推定します。屋外の空間線量率は様々なモニタリング事業により測定されていますが、屋内の空間線量率については屋外の空間線量率から推定します。本研究では、207件の建築物について屋内外の空間線量率の関係を評価しました。その結果、屋内における被ばく線量を精度よく推定するためには空気中のラドンや建材・岩石に含まれる天然放射性核種などの自然由来の放射線を考慮することが重要であることを明らかにしました。自然由来の放射線を考慮した結果、屋内の空間線量率の推定精度が従来法から32~45%向上しました。
従来、個人線量は収集と活用が困難な準個人情報であり、またデータの品質がコントロールできないことから、被ばく線量についてモデルの推定値と実測値を比較することが困難であり、精度の検証が十分になされていませんでした。そこで本研究では帰還困難区域を含む地域に勤務する労働者の協力を得て、106人日分の個人線量と行動記録を収集、精査し、精度を検証しました。その結果、本モデルの予測誤差は、避難指示解除の目安となる年間20 mSvほどの環境下でわずか13%程度であることがわかりました。
このように精度検証も含め確立された本モデルは、帰還困難区域内の被ばく線量予測に用いられ、予測結果は避難指示解除の判断材料として各自治体の除染検証委員会等に提供されてきました。また、今後も特定帰還居住区域等での避難指示解除の判断が必要になりますが、その際にも本モデルの活用が見込まれます。また将来的には、万が一、原子力災害があった場合の避難時の被ばく線量予測など原子力防災への活用も考えられます。
本研究成果は、国際学術雑誌「Environmental International」のオンライン版に11月18日(日本時間0時)に掲載されました。
福島第一原子力発電所の事故後、住民の被ばく線量は主に個人線量計により直接測られてきました。しかし個人線量計は、過去や未来の被ばく線量を推し量ることが困難です。避難指示区域を設定するに際には、地域の将来的な被ばく線量を予測する必要がありました。そのため、国は住民が1日の生活で屋外に8時間、屋内に16時間滞在すると仮定し、各地域の空間線量率から被ばく線量を推定しました。この簡易なモデルは被ばく線量を保守的に、かつ迅速に評価することができるため、緊急時における速やかな避難計画に有効な方法でした。
一方、事故から時間が経過し、除染の進捗に併せて避難指示が解除される復興期には、保守的かつ迅速な上記の方法よりも、個人の生活行動を考慮したより実際的な被ばく線量に基づいて放射線防護対策をする方針が国により示されました。これにより、避難指示を解除する前の段階で、避難指示地域での生活を想定した被ばく線量を予測し、予測結果を放射線防護対策に活かすこととなりました。[1, 2,3]
個人の生活行動を考慮した実際的な被ばく線量を予測するモデルは、これまでにもいくつか報告されていました。これらのモデルは空間線量率の他にも、屋内における放射線の低減を表すパラメータ(※1)(屋内低減係数)や、空間線量率から被ばく線量に換算するためのパラメータ(被ばく線量換算係数)など、様々なパラメータを含んでいます。しかしながらこれまでのモデルは、このようなパラメータについて仮定の値を用いるなど、事故の影響を受けた実際の環境を反映できていませんでした。
またモデルにより推定した被ばく線量は、その妥当性を検証するために被ばく線量の実測値と比較することが重要です。しかしこれまでに国の事業で個人線量計により測定された住民の被ばく線量は、準個人情報であるため利用することが困難である他、個人線量計の装着状態など測定条件を管理することが困難であり、データの正確さが保証できません。そのためモデルの妥当性の検証が充分になされず、実際的な被ばく線量を予測する方法は確立されていませんでした。
そこで原子力機構は、徹底した現地観測から実際の環境を反映したモデルパラメータを検証し、住民の生活行動と各生活行動時の空間線量率に基づき、精度よく被ばく線量を予測できる新たなモデルの確立を目指しました。
本研究のモデルのパラメータとして用いている屋内低減係数は、事故の影響を受けた地域に位置する207件の建築物について評価しました。従来、屋内低減係数は一般的に屋内外の空間線量率の比とされてきました。しかし、今回評価した結果からその比は空間線量率に依存して変化し、空間線量率が非常に低い建築物では1に近づくことが分かりました。これは、放射性セシウムの影響が少ない場合には、空気中のラドンや建材・岩石に含まれる天然の核種に由来する放射線(バックグラウンド線量率)が支配的であり、屋内外で空間線量率の差が小さくなることを示唆しています。そこで我々はこのバックグラウンド線量率を考慮して屋内低減係数を適用し、屋内の空間線量率を推定しました。その結果、屋内の被ばく線量の推定精度が従来法から32~45%向上しました(図2)。また被ばく線量換算係数についても、高精度の測定器を用い28地点の開けた土地でガンマ線(※2)を測定し、得られた結果から実際の環境を反映した係数を取得しました。このように、実際に事故に由来する放射線の影響を受けた環境においてモデルのパラメータを測定し、その妥当性を検証した上で被ばく線量予測モデルを構築しました。
また本研究では、モデルの精度を検証しました。上述のよう従来、個人線量は収集と活用が困難な準個人情報であることに加え、データの品質がコントロールできないという問題がありました。そこで本研究では、帰還困難区域を含む地域に勤務する労働者から個人情報の取り扱いについて同意を得た上で、106人日分の個人線量データを収集しました。併せて個人線量を測定している期間を通して各被験者の行動や個人線量計の装着状況を記録、精査し、非常に品質の高い検証用のデータセットを作成しました。このデータセットを用いて精度検証した結果、本モデルの予測誤差は、避難指示解除の目安となる年間20 mSvほどの環境下(3.8 µSv h-1)でわずか13%程度であることがわかりました(図3)。
このように本研究ではモデルのパラメータの妥当性と精度について、実環境中での測定データを基に検証し、被ばく線量予測モデルを確立することができました。
本研究にて確立した被ばく線量予測モデルは、特定復興再生拠点区域(※3)における被ばく線量評価に適用され、その評価結果は各自治体の除染検証委員会等において避難指示解除の判断材料として活用されました。また原子力機構は更なる社会実装を目指し、本モデルを簡易に扱えるようプログラム化・オープンソース化しました。現在、本プログラムはリスクコミュニケーションツールの一環として、各自治体のホームページやサイネージにて一般の方が使用できる被ばく線量予測ツールとして提供されています。
現在、国は、「2020年代をかけて、帰還意向のある住民が帰還できるよう、避難指示解除に向けた取組を進めていく」との方針の下、令和5年6月に創設された特定帰還居住区域(※4)の除染・インフラ整備等の避難指示解除に向けた取組を実施しています。当該区域の避難指示解除に際しては、特定復興再生拠点と同様に本研究にて確立された被ばく線量予測モデルを適用し、その評価結果が除染検証委員会等の活用が見込まれます。また、残された帰還困難区域内の土地活用を目的とした避難指示解除を目指した自治体の第三者委員会においても、既に技術資料として本モデルによる評価結果が提供されています。
本モデルは、空間線量率と行動パターンに基づいて被ばく線量を計算できることから、モニタリングポストの測定値をリアルタイムに活用することで、原子力災害時の屋内退避時や避難時の被ばく線量を予測することも可能です。このように、本研究で確立したモデルは、福島第一原子力発電所の事故の影響を受けた地域の復興のみならず、将来的に万が一、原子力災害が発生した場合の原子力防災への活用も考えられます。
吉村和也、佐藤里奈、眞田幸尚、三上智(原子力機構):研究計画立案、手法構築、原稿校閲、研究総括
山田勉、中曽根孝政(日本放射線エンジニアリング株式会社):調査
金井塚清一(原子力エンジニアリング株式会社):調査
佐藤哲朗、森翼、高木毬衣(株式会社日立ソリューションズ東日本):手法構築、調査、データ解析
雑誌名:Environmental International
論文題名:“Assessment of Individual External Exposure Doses Based on Environmental Radiation in Areas Affected by the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station Accident”(福島第1原子力発電所事故の影響を受けた地域における環境放射線に基づいた個人被ばく線量の評価)
著者名:Rina Sato1, Kazuya Yoshimura1*, Yukihisa Sanada1, Satoshi Mikami2, Tsutomu Yamada3, Takamasa Nakasone3, Seiichi kanaizuka4, Tetsuro Sato5, Tsubasa Mori5, and Marie Takagi5
所属:1 日本原子力研究開発機構廃炉環境国際共同研究センター、2 日本原子力研究開発機構原子力緊急時支援・研修センター、3 日本放射線エンジニアリング株式会社、4 原子力エンジニアリング株式会社、5 株式会社日立ソリューションズ東日本
(*:責任著者)
DOI:10.1016/j.envint.2024.109148
[1] 原子力規制委員会. 帰還に向けた安全・安心対策に関する基本的考え方(線量水準に応じた防護措置の具体化のために). 平成25年11月20日
[2] 内閣府・復興庁・環境省・原子力規制庁. 特定復興再生拠点区域における放射線防護対策について. 平成30年12月12日
[3] 内閣府・復興庁・環境省・原子力規制庁. 特定帰還居住区域における放射線防護対策について. 令和5年8月15日
本研究は、原子力規制庁の原子力施設等防災対策等委託費(生活行動パターンを模擬した連続的な空間線量率の測定及び詳細モニタリング結果のマップ化)事業にて実施されました。
モデルの入力変数としてモデル式に使われる値で、条件に合わせた値が適用されます。例えば空間線量率から被ばく線量に換算する係数は、大人の場合に0.6ですが、子供は放射線への感受性が高いことを反映して0.7となります。このようにパラメータを使用することで、モデルの一部を簡単に調整できるようになります。
放射線の一種であり、波長がおよそ 10 pm (10億分の1 mm)よりも短い電磁波です。放射性核種によって異なるエネルギーのガンマ線を放射するため、ガンマ線のエネルギーを測ることで放射性核種の種類を見分けることができます。
帰還困難区域内に、各自治体が避難指示を解除して居住を可能とするエリアとして計画し、2017年から2018年にかけて内閣総理大臣の認定を受けた区域です。認定後、区域内の帰還環境整備に向けた除染・インフラ整備等が集中的に行われ、2023年11月までに全ての特定復興再生拠点区域の避難指示が解除されました。
帰還困難区域(特定復興再生拠点区域を除く。)に、2020年代をかけて帰還意向のある住民が帰還・居住を可能とするものとして定められる区域です。特定復興再生拠点区域と同様に各市町村が計画し、内閣総理大臣の認定を受けた区域です。認定された後は、住民の帰還を目指して区域内の除染やインフラ整備等が一体的に進められます。