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ARTICLE

近代国家が形作られていった日本の近代史を探求する理由

奥深き明治期の政治史 −前編−

  • 法学部
  • 全ての方向け

法学部 教授 坂本 一登

2024年9月2日更新

 静かに優しく、その都度適切な言葉を探しながら、歴史の魅力を説いていく語り部。インタビューを終えてそんなイメージを抱いたのが、坂本一登・法学部教授だ。その穏やかな声は、歴史の楽しさという確信に触れた瞬間、ふと弾むのがまた印象的だ。

 明治期を中心に日本近代史を専門とする坂本教授が、その研究分野へと深入りしていったのには、どんな背景があるのだろう。歴史をめぐる大きな文脈と、まだ自身を何者とも思えていなかった若き日の逡巡。その双方の視点から、明治期の政治史へと着地していくプロセスを語ってもらった。

 

 今年度の大学の授業をはじめるにあたって、最初のガイダンスで、「歴史は暗記ではありません。我々がどこから来て、どこへ行くのかということを省察し、思いを馳せることです」と話しました。

 我々が無意識のうちにとる行動であったり、かっこいいと感じたり、こうすべきだと判断する規範や意識は、自然に成立したものではなく、歴史のある時点でかたち作られた歴史的産物です。そして、いまという時代を考えるうえで、私にとって興味深いのは、現在につながる一大転換期としての近代──つまり、近代国家が形作られた時代です。

 このインタビューでも、まずは大きな視点からお話ししてみたいと思います。西洋史に「長い19世紀」という概念があります。もともとはイギリスの歴史家であるエリック・ホブズボームが提唱したものです。その後、「長い19世紀」の始期をアメリカ革命(アメリカ独立革命)がはじまった1760年代に求めるか、フランス革命が起こった1780年代とするか、研究者によって意見は分かれていますが、いずれにせよ終わるのは第1次世界大戦、というのが共通理解です。私が「近代」という言葉でイメージしているのも、この「長い19世紀」という時代です。

 さて、その近代という時代は、中央集権的な近代国家が形成され、その近代国家を中心に世界が相互に結びつきを強めて1つになっていく時代だということができます。18世紀までは、中国とかインドとかイスラムとか個々の文明圏というものは相対的に自律していて、うすいつながりをもちつつも並存していた。それが19世紀を迎え、近代に突入していくにあたって、世界は1つに結びついていきます。その推進力となったのが圧倒的な軍事力と経済力とイデオロギー力をもつ西欧文明であり、西欧を中心に世界が1つに統合されていく中で、西欧のあり方が世界の共通性、規範性となり、「世界史」という歴史のありようも形成されていきました。

 西欧を普遍的なモデル、いわば模範とするような認識が広がっていく一方、他方でそうした西欧中心の世界観の拡大に抵抗を感じて、自分のアイデンティティーを模索し、自国への帰属意識を高めながら西欧に対抗しようとする動きも、各国で生まれていきます。これがナショナリズムですね。こうした双方の動きの交錯と葛藤が、政治的なダイナミクスを生み出し、世界史を動かしていく。

 その渦中に、日本の近代もありました。私たちがいまおくっている社会の日常や現代の政治のあり方に連なる、明と暗の両面を含む日本の近代の物語はどのように紡がれていったのか。特にその起点となった明治期の政治史に、興味を惹かれ、研究を進めています。

 他方で、私が明治期の政治に興味をもつに至るまでには、多少の紆余曲折がありました。大学に入った頃は、法学部なので将来的には司法試験に挑戦してみようかと漠然と考えていました。しかし、これは歴史の偶然なのですが、入学して最初にうけたある先生の民法総則の授業が絶望的につまらなくて、一夜にして法律学への興味を失いました(笑)。おそらく学ぶ資質がなかったのだと思います。それで、どうしようかと思いながら、しばらくは人並みに自分探しにあけくれました。その過程では自分でもよくわからない自責の念と素朴な正義感にかられて、スモン病訴訟の原告団に入り浸り、ほとんど大学に行かない時期もありました。当時の厚生省の前でデモをしたこともあります。ただ、東京地裁の判決がでて一区切りついた時、無性に勉強がしたくなって大学に戻りました。

 その頃は、ミッシェル・フーコーとか、レヴィ・ストロースとか、ロラン・バルトとか、構造主義とかポストモダンとかいったフランス現代思想が流行していて、なにもわからないまま(今もわかっていません)知的ファッションとしてそれらに染まりました。と同時に、フランスつながりで澁澤龍彦をはじめとして「怪しげ」な文学評論にもかぶれ、そしてエラスムスやフランソワ・ラブレーなどの、フランス系のユマニスト(人文主義者)たちの作品にも出会い、人間とか社会について考えることの面白さを感じ始めていました。もっとも、人間の不思議さや社会の精妙な複雑さに驚きつつ、幼稚なことをあれこれ夢想していたにすぎませんが。

 そんなまとまらぬ思いを抱え、4年生の春、当時授業で好きだった政治学の先生のところへ大学院進学の相談にいきました。西洋政治思想史としてフランス人文主義などどうでしょうかとおそるおそる尋ねると、「あなた、ラテン語はどれくらいお読みになれますか」と聞かれ、ラテン語のラも知らなかった私は、その一言に驚愕し撃沈されました(笑)。

 つづけて、研究したいのなら「西洋のことよりも、日本のことのほうがやるべきことはたくさんある」、とくに日本近代史はまだまだ開拓の余地がある、とも話されました。「日本にはよい歴史家が少ない。よい社会とは、よい歴史家が多くいる社会だ」といったようなことも言われました。よい歴史家になれる自信は全くありませんでしたが、がぜん日本近代史に興味がわいてきました。文化人類学などに少し触れて、西洋近代のパラダイムを相対化し、批判的に検討する知的雰囲気になんとなく感化されていたことも、それらの言葉を受け止める背景になったのかもしれません。

 このように、偶然も重なり、遅まきながら私は日本近代の政治史を研究する道を歩むことになりました。西洋近代との交錯と葛藤という視点から、日本の歴史を遡っていくと幕末明治期に突き当たります。その時代を見つめることは、自分たちの社会を振り返り、ひいては日本近代の物語を多角的に検討することにつながるのではないかと思っています。

 インタビューの後編ではより専門的な研究の内容に触れてみましょう。

 

坂本 一登

研究分野

日本政治史

論文

第1次西園寺内閣と政友会ー「与党システム」の誕生と議会審議の政治資源化(2023/03/31)

明治憲法体制の成立(2014/06/20)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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